第9話に登場する日比谷野外音楽堂と日比谷公園続き
231:手の中で消滅してしまった「綿菓子雲」にびっくりした様子のイマシュン。綿菓子は、砂糖を膨らませたものなので、放っておくと、やがて消えてしまいますが、それに星力が加わっていることとかけた、なかなかの演出だと思います。
232:ふと我に返り、前を見つめるイマシュン。再びカメラは、彼を右後ろからとらえます。カットは223と同じです。
233:そして観客に「みんな、待たせたな!」と。…そりゃまあ、正体無く眠りこけていましたからね(声:ムーク)。コメットさん☆に、星力毛布?まで、お母さんにしてもらうようにかけてもらって…。イマシュンを正面から撮ったカットです。
234:喜ぶ観衆。カットとしては、212と同じで、光を合成していると思われます。
235:「気分は最高」と手を挙げるイマシュン。カットは233と同じ。…そりゃあ、あれだけ正体無く…(以下略。声:ムーク(笑))。
236:1曲目はバラード調でしたが、今度はロック調で。2曲目に入ります。カットとしては、194、199、208、210、213、218、225と共通なんですが、観客に手が描き足されています。うまいバンクの仕方ですね。
237:イマシュンを右後ろから撮ります。カットは223、232と同じ。ただしイマシュンの右手はちゃんと動いています。
238:イマシュンの演奏シーンは、全体にカット割りが長めになっているのが、この回の特徴ですね。ギターを一心に弾くイマシュン。カットは224と同じ。
239:相当遠くから、野外音楽堂をロングにとらえたカットです。しかしこのカットを、作品と同じように撮影しようとすると、「日比谷パレス」という建物か、「草地広場」というあたりにやや高い場所が無い限り不可能なような気がします。立ち木によじ登るわけにも行きませんし…。撮影可能かどうか、今後調査する予定です。
240:そしてコンサートが終了しました。カメラはパンダウンしながら、空、そして野外音楽堂入口手前のゲートを映します。
カメラが下いっぱいに映すのは、一応この位置になりますが、多少角度などが異なっているので、この画像は暫定画像とします。アーチの形状や、足の形状が単純化されますが、だいたいにおいて忠実な描写であることがわかります。2006年3月21日撮影。撮影協力:Naka氏。
241:コメットさん☆が走ってきます。コメットさん☆の足のみのカット。場所の特定は難しいですが、このあとのカットから試みてみます。
242:ラバボーの「なんとかもう一度会うんだボ」と言う言葉とともに、コメットさん☆、ツヨシくん、ネネちゃんは走ります。この次のカットへ通じる道を走り、かつ林の中の風情なので、野外音楽堂を取り巻くように続く、土の遊歩道?のところではないかと思いますが、そこだとすると、そこをいくら走っても、フェンスに阻まれ、イマシュンのいる楽屋口にはたどり着けません。このあたりは、再度調査をしてみます。今のところは、上の240のカットのところに示した画像の、左方に続く道ではないかと思いますが…。
243:野外音楽堂ステージに向かって左奥にある楽屋口に、ファンたちが集まっています。カメラは右から左に横へパンしながら、楽屋口のところを真ん中までとらえます。
作品で描かれているのは、まさしくこの場所です。カメラの移動がはじまるのも、このあたりの位置ですが、作品で手前に描かれる比較的大きな木は、場所が異なっているようです。その辺はもう一度よく確認してみたいと思います。そのためこの画像は暫定画像とします。コメットさん☆が走ってくるのは、画像右側に見えるフェンスの、さらに右側に続く道だと思われます。2006年3月21日撮影。撮影協力:Naka氏。
244:イマシュンは「並んでくれるかな?」とか言っています。イマシュンが立っているのは、上の画像の低いフェンス状のコンクリ構造物が、直角に交わるあたりです。ちょうど左側で影になっているところと、正面向きのところが交差する少し手前、というところですが、この構造物の描写は非常に正確で、上に植えてあるヘデラ?のような植物まで忠実です。
245:イマシュンを同じ場所で、バストアップにしたカットです。黒岩マネージャーが心配そう。
246:メテオさんが強引に割り込んできて…。場所は243の画像の、右側フェンスよりやや奥側から、楽屋口の出口スロープを横に見た位置です。
247:さらにアップ。メテオさん、イマシュンを殿下扱い…。ところがイマシュンは、「売り出し中の新人さん?」と。メテオさん形無し(笑)。
248:そして横を見たイマシュンは、ファンのずっと後ろに、コメットさん☆が、ツヨシくんとネネちゃんを連れて立っているのを見つけます。だんだんカメラが寄っていき…。
249:次いで三人のみを映したカットになります。距離感は異なりますが、243の画像の右側に見えるフェンスをバックにしていると、イマシュンの視線から見ると考えられます。再度取材したいと思います。コメットさん☆の右後ろに街灯があるのがポイントなんでしょうか?。
250:イマシュンは、「ちょっといいかな」と言い、ファンの人々をかき分けます。場所は246と同じです。
251:イマシュンは5〜6歩ほど歩いて、コメットさん☆に近寄ります。かなり広い場所のように描かれますが、実際はかなり狭いです。ここは演出が入っています。
252:にこっと笑うコメットさん☆。ちょっとはにかんで。位置は249をさらにアップにした感じ。
253:ギターをしょったイマシュンは、はっとします。252の位置から、反対向きで、少し右下からイマシュンをあおりにした感じです。
254:コメットさん☆の前髪に、自分の前髪についていたのと同じ「綿菓子雲」が張り付いているのを見つけて、そっと手に取ります。わあ、コメットさん☆の髪にさわっています(笑)。二人はなかなかいいムードですねぇ。場所は251からずっと寄ったところです。
255:イマシュンの手の中に、コメットさん☆の前髪についていた「綿菓子雲」が…。このカット、背景は異なりますが、手は227、231のカットのバンクです。
256:自分の前髪にあったものと同じものが、コメットさん☆の前髪についていたことに、びっくりしつつも、なにがしかの「縁」のようなものを感じている様子のイマシュン。もしかしてそれは…(略)。
257:再びイマシュンの手。「綿菓子雲」が消えます。カットは255と同じです。
258:イマシュンは、「やっぱり君だ」と。眠っている間、ふと目を覚ましたときに見たのは、コメットさん☆であったことに気付くのです。
259:びっくりするコメットさん☆。イマシュンをじっと見つめます。フェンスを背景にしていますが、位置は移動していません。なんか二人は、いいムード過ぎます(笑)。
260:なんだかがったり疲れている黒岩マネージャー。後ろは楽屋口のところです。カットは245に似ていますが、背景は描き直されています。そしてそのままいきなり「何何何ー!」と言いながらインしてくるメテオさん。メテオさんとしては面白くないでしょうね(苦笑)。
261:場面は転換し、コメットさん☆の部屋が映ります。それもベッドとメモリーボールが…。窓はなぜかいつもより広く描かれます。
262:光るメモリーボールのアップ。王妃さまのナレーションがかぶります。このカットはどこか別話数のバンクのような気がします。
263:夜の七里ヶ浜に立つケースケ。かなり高い位置から、七里ヶ浜の駅より江の島寄りの浜に立つケースケが描かれます。カメラは少しパンダウンします。この場所は、当然日比谷公園ではありませんが、便宜上ここに取り上げておきます。このあとのカットも含めて、画像が作成できた時点で、別に項目を設けるかどうか検討する予定です。
264:立っているケースケを、右下から映します。これは253のカットのイマシュンと、対比表現になっているのでしょうか。ここも場所は七里ヶ浜です。
265:波立つ七里ヶ浜の海が映ります。この波立ちは、イマシュンとケースケの想いの対立をあらわしている?。ケースケの真正面前の七里ヶ浜です。
266:大きな波が、ケースケを飲み込みます。ケースケびしょ濡れ…。通常あんな波は、急には来ないと思うので、「ケースケに浴びせられた冷や水」という意味でしょうか(苦笑)。
267:四角囲みカットで、ちょっとコメットさん☆のことが、もしかすると「 す き 」になってしまったイマシュンが映ります。カットは258と同じですが、黒い四角の囲みが合成されています。
268:同じようにコメットさん☆が映ります。コメットさん☆はどう思ったんですかね。やっぱりちょっとドキドキ?。カットとしてはこれも259と同じです。
269:真横から、じっと見つめ合う二人を映します。なんかいいムード過ぎるなぁ(笑)。カットとしては、251に黒い四角のマスクをかけたものです。
これでこの回は終了します。意外と長めに映すカットが多い回だったと思えます。じっくり見せるカットと、淡々と進むカットのメリハリが効いている印象です。
綿菓子が全編のモチーフの一つになっていますが、それに星力を加え、その星力を通じて少年と少女が絆を結ぶという、なかなかドラマチックな展開は、静かに心に残るストーリーの持って行き方だと感じます。やはりこの作品は、全体を通じてよく考えられて作られており、緻密な思考と軽妙な演出、そしてリアリスティックな舞台装置としての実在の場所の利用という、いくつかの要素を、うまく混ぜ合わせて作られているのだという感を、今さらながら強くします。
この作品の主要なテーマである「縁と絆」を、感じさせてくれるいい話だったのではないでしょうか。ここで実在の場所として利用されている日比谷公園は、確かに実在の場所であり、効果的に用いられていますが、トータルな印象としては、やはり素材として用いられているに過ぎず、忠実に描写しながらも、比較的その場所が、ストーリー上の重大な意味を持ったり、規定したりしていないという点は、ほかの回と比べても、少し印象を異にすると思えます。これは、実在の場所を忠実に再現しながら、それを広くイメージ醸成のために用いるという、この作品特有の志向が、突出している例ではないかという気がしました。