第30話の東勝寺橋・大御堂橋周辺続き



177:粘土怪獣が急激にただの「粘土細工」に戻ったため、コメットさん☆は、その背中から落とされ、「あっ」と言いながら、水中にしりもちをついてしまいます。コメットさん☆もう水は冷たいよ…。それに…、早く濡れた着物は換えないと…。いろいろな意味で、体に毒だよ…。

大御堂橋から見た滑川水面の画像です

 コメットさん☆は、しぼんだ粘土怪獣→粘土細工から、水の中に落ちてしまいます。場所はこの位置です。作品では右上のところにもう少し草が生えているように描写されますが、実際はこの通りです。しかし驚くべき忠実度ですね。コメットさん☆はお尻と手先を濡らしてしまったように描かれますが、ここはやや水深がありますので、本当はもっといろいろなところが濡れてしまうと思われます。ちなみに泳いでいる魚は鯉です。



178:粘土は悲しそうに、小さくなってうなだれています。コメットさん☆はその背を見ます。

大御堂橋から見た滑川水面の画像です

 カメラは右から左に少しパンしながら、うなだれた粘土細工の背中を映します。なんともしょんぼりした背中ですが…。実際の場所は、この画像のところになります。ここは水深が一定しているのか、河床にあまりでこぼこは見られません。コメットさん☆がしりもちをついたところの真ん前です。



179:コメットさん☆は、そんな哀れな粘土細工に、「怪獣さん」と声をかけます。

滑川護岸の画像です

 コメットさん☆は、かわいらしい顔で、少し下向きの視線を、粘土細工に向けますが、その位置はここになります。撮影可能な位置との関係で、わずかに石積みの角度が異なるようにも見えますが、位置としてはここで間違いありません。コメットさん☆がしりもちをついたところの真後ろということです。それにしてもコメットさん☆、しりもちをついて、お尻が冷たいはずなので、とりあえず立ち上がれば?(苦笑)。



180:ツヨシくんとネネちゃんを、家に送り届けたラバボーが、ムークとラバピョンという「援軍」を連れて、やって来てくれます。

滑川上流側から大御堂橋を見た画像です

 コメットさん☆は、やっと立ち上がり、「大丈夫だよ」と答えます。撮影条件があらゆる面でよくないのですが、位置としてはこの位置になります。本来もう少し前に出て撮影したいところなのですが、角度、地面(水がない+普通に歩ける必要)、障害物、強烈な逆光、そもそもコメットさん☆と粘土細工の位置などを考えますと、このようにならざるを得ませんでした。上に見える橋が大御堂橋。下の水面の左手前より(葦のような植物で隠れ気味のところ)にコメットさん☆、その1.5メートル位先に粘土細工という配置です。



 このカットのあと、181からは、藤吉家のそばにあるという設定になっている、大銀杏の下でコメットさん☆はラバボー、ムーク、ラバピョンとともに話をします。…えーと、濡れた衣服は換えた?、コメットさん☆…。星力で乾かすとかでしょうか(笑)。
 この大銀杏については、設定場所が特定できておらず、ここであるという場所がわかり次第、別にページを立ててご紹介します。


 コメットさん☆はラブリン変身をします。そして粘土細工を、八ヶ岳(!)のラバピョンの小屋に連れていきますが、粘土細工はそこを好みません。と、その時スピカさんが、たまたまやって来て、コメットさん☆に気付きます。八ヶ岳のカットは、なぜか夕暮れ時に見えるのですが、時間は超越しているということなのでしょうか…。

 

 そしてコメットさん☆は、スピカさんに諭されるのです。このシーンは、重大な示唆が含まれているので、少し引用してみましょう。
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スピカさん:そう…。今回はコメットがいけないわ。
コメットさん☆:私?。
スピカさん:ええ。
コメットさん☆:どうして?。
スピカさん:あの子に命を吹き込んでしまったんでしょう?。
コメットさん☆:…うん。
スピカさん:命は勝手につくっていいものじゃないの。
コメットさん☆:つくるって、すごいことだと思ったんだけどな…。
スピカさん:すごいことだから、いけないの。
コメットさん☆:……。
スピカさん:命はちゃんと守ってあげて、責任持って育ててあげる覚悟がなければだめだと思うわ。星国の王女のあなたなら、わかるはずだわ。
コメットさん☆:ええっ!?。
スピカさん:生まれたばかりの星の子たちを守って、育ててあげる立場でしょう?。
コメットさん☆:…はい。
スピカさん:ごめんね、えらそうなこと言って。これね、私、自分に言っていることでもあるの。
コメットさん☆:自分に?。
ラバボー:姫さま。
コメットさん☆:どうしたの?。
ラバボー:さっきからかがやき感じてるんだボ。でもどこから感じるか、わからないボ。
コメットさん☆:へえー…。
スピカさん:…わかんないかな?。ラバボー…。
ラバボー:えー?。…わあー、これは…、小さな命のかがやきだボ。
スピカさん:…うふっ…。
コメットさん☆:もしかして、赤ちゃん!?。
スピカさん:(頷く)……。
コメットさん☆:えー!。…スピカおばさま、お母さんになるんだ…。
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 第30話の意義は、このシーンに集約されていると言っても、過言ではありません。粘土怪獣の動きと、それに翻弄されるコメットさん☆たちは、実はこの場面のための、素材に過ぎないのです。
 コメットさん☆とラバボーは、この第30話の冒頭、こんな話をしています。
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ラバボー:星の子は勝手に産まれて来るんだボ?。
コメットさん☆:勝手に…?、…なのかな?。
ラバボー:そう言われるとわからないボ。
コメットさん☆:…難しいね。
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 ここのシーンの、2行目と3行目の間、コメットさん☆は、にこっと微笑みます。この一連の会話が、星の子と言い換えた命が、どうやって生まれてくるのか?、それにはどんな責任が伴うのか?、というコメットさん☆とスピカさんのシーンにつながる伏線になっているのです。

 コメットさん☆は、いろいろな点で奥手な少女です。これはその実年齢を考えると、意外な印象ですが、冒頭のシーンを見る限り、まだまだコメットさん☆の、人の誕生に関する知識は、ラバボー以上、普通の同世代の子ども以下と言えるようですね。
 さて、上の引用部分で、赤い字にした部分、これらは、冒頭の「命は勝手に生まれてはこない」というテーマを、受ける形になっていると思われますが、途中星の子の話をはさむことで、やや緩衝した形になっているとは言え、コメットさん☆に対して、スピカさんが、「命をつくる営みを、守れる立場と責任なしにしてはいけないよ。それはこうして赤ちゃんという形で、命になるもとなんだよ」という、当たり前ですが、今時の世の中で、ともすれば忘れられがちなことを、説いているように思えます。直接的な表現は、ほとんどない中で…、です。このことは、コメットさん☆という、やや奥手な女の子に説くことで、コメットさん☆の後にいるあまたの視聴者たちに、間接的に訴えかけているのではないか?…。そのようにも思えます。
 意外と教条的なことを、さらりと言ってのけるこの作品「コメットさん☆」の、作品全体に流れる特徴が、ここにもまた現れていると感じます。
 性を考えることは、生=命を考えること。そんなテーマが、この回には隠されていると考えられます。それは、粘土細工に命を安易に吹き込んだコメットさん☆が、スピカさんに諭されることで、小学校低学年以下の子どもたちには、普通に命の大切さを、またそれ以上の子どもに対しては、赤ちゃんという実際的な命を、「つくり出す」ことに、実は大変な責任が伴う。…さらにだからこそ、命をつくり出すことにつながる行為は、安易な興味本位でしてはいけないよと、考えさせられるようになっているからです。

 実は一番、コメットさん☆という人物の体に迫った回と言いますか、コメットさん☆の体温とか、血液の循環とか、息づかいのようなものが、間近に感じられたストーリーではなかったか…。そのようにも思えます。それは、冒頭の王妃さまのコメントにあるように、「生きているものには、全てにかがやきが宿る」から…。「生きている」コメットさん☆の、未来への希望のかがやきが、その生命によって維持されていることを、強く感じさせるからではないでしょうか。
 コメットさん☆という女の子が、叔母さんの妊娠を知り、自分が女の子であることの意味や、命を授かるということの意味、それがどんな感情に基づいて、どうやったら起こるのかということを、きっと、そっと、じっと考え、そして理解したのではないか…。そう思わせる、しっとりとした良質なストーリーであったと思えます。


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