コレクションの行方について
表題をご覧になって、いきなり何のことだろうと思われた方も多いかもしれない。しかし、事実は事実として記しておいたほうがよかろうかと思って、あえて書くことにした。それは、この種の「コミック・アニメ商品コレクション」の、「社会的・文化的価値」と、筆者のコレクションがどうなってしまったか、の事実である。
そもそも、筆者が「怪盗セイント・テール」の、各種商品、および資料を、「可能な限り網羅的に収集しよう」と考えたのは、アニメ放送が始まってしばらくした頃にさかのぼる。当時まだインターネットは発達しておらず、商品や資料を収集するという行為は、「可能性のあるところを、片端から探す」ということを意味していた。そのため旅行に行けば、行った先の玩具店、文具店やスーパーなどを回り、たとえ仕事の合間でも、見知らぬ駅に降り立てば、そこの近くを探して回り、多くはない小遣いをそれにつぎ込むという生活である。我ながら、今から思えば苦笑ものだが、当時は友人数人と、競うようにそんなことをしていたことを思い出す。
しかし商品の類は、やがて放送や連載の終了とともに、お店からは無くなっていき、それ以後はいわゆる「バッタ屋」さんを探したり、問屋の「小売りしないお店」の中まで入っていって…とか、「マニアもの販売イベント」で探すというようになっていった。そういう中で、設定資料を入手したり、台本を手に入れたり、品薄の品物を大量に入手したり、はてはゲームセンター設置のゲーム機まで手に入れることになってしまった。
さて、入手したものは、知人と計3人で公開しようということになった。その辺の経緯は、「このコンテンツについての解説」のところにも一部記したが、最初はディスクで、それが許諾の関係でとん挫すると、その後はホームページでということになっている。それで今この世界でも唯一無二になったと思われる「怪盗セイント・テール商品データベース」や、その他のコンテンツが成立しているわけであるが、コミックスやアニメ全般ではなく、特定作品に関してのみ、極めて深く掘り下げたコンテンツとしては、それなりに成功・利用されているようにも思える。ところが、問題もやがて発生してくる。それは「個人としての限界」ということである。
それは、
1.物理的な保管スペース的限界
2.資金的な限界
3.目的意識を保ち続ける限界
…というようなことであろうか。
1は、まずこの種のコレクションを、大なり小なり企てた人ならば、すぐにおわかりになると思うが、保管場所にはかなり苦労する。知人3人で始めた、と上に書いたが、一人は会社の独身寮で、部屋中天井まで積み上げた箱に囲まれて生活していた。もう一人は、その後格安な不動産物件を買って、そこを資料館とした(詳しくは後述する)。残る筆者は、一時かなりな数の段ボールに囲まれる、窮屈な生活を強いられた。
2の限界は、特に資料性の強いものについて、収集が不可能な金額に上る品物が出てくるということである。それはネットオークションの発展とともに、世界中のファンを「出し抜かなければ」入手できず、したがって当ホームページに掲載できない「漏れ」ということになる。何度か「画像だけでも撮影させてもらえないか」、あるいは「画像を提供してもらえないか」と思ったものもある。
3は、趣味が他に移ってしまうという問題である。幸い筆者は特にそういうことはあまり無かったが、他の人々で、「グッズの多重債務」に見舞われている人を見かける。魔法少女系全般に「展開」してしまった例などである。これはなかなか感情の支配することだから、コントロールは難しい。
それで、主として1の限界には、いろいろ苦労したのであるが、格安不動産物件を購入した知人の一人W氏が、そこに自分で収集した各種資料を公開する資料館を設置するとした。当初それは、「成功するのか」、「見に来る人がいるのであろうか」など、割と「冷ややか」な反応が、筆者を含む周辺の人々に多数あった。しかしその後数年を経過すると、当然の事ながら、世界唯一の「怪盗セイント・テールおよびその周辺作品資料館」に、名実ともになったのである。
そこで筆者も、だんだん上に書いた1の理由、および多少3の理由により、「羽丘資料館」と呼ばれる、W氏が運営していた資料館に、いっそ全ての資料を寄贈し、氏のコレクションと、筆者のコレクションを統合することにより、相互補完し、世界唯一無二の一大コレクションを有する資料館として完成させるのが適当と考えた。その裏には、以下のような理由もあった。
●美術館・マンガ博物館の類は、個人コレクションに対して極めて冷淡。
●その種のいわば「公的な資料館」の類は、既にしてスペースが無いところが多く、物理的に受け入れ困難との回答が多い。
●長引く不況の中、新たにそれで「町おこし」等をねらう状況でもなくなった。
●特定作品のみを集中的に収集したコレクションは、一般的な美術館、博物館系施設では、受け入れが難しいらしい。
実際のところ、多数の「公的資料館・博物館」には、打診してみたのだが、筆者のコレクション受け入れは、当然無償でという条件であったが、どれも不調に終わっている。
そのような経過と理由により、W氏が運営していた「羽丘資料館」には、2007年夏頃から、相互に連絡を取り合った後、原則送料筆者持ちで、寄贈譲渡を開始した。筆者が所有していたグッズ、資料、その他の雑物などは、「怪盗セイント・テール」のものと、いくらかの「立川恵氏作品」のもので、何しろ段ボール箱に50箱分ほどもあったので、簡単に輸送も出来ず、筆者のホームページでの画像差し替えが望ましいものなどがあった関係で、1〜2カ月に1回、3〜5箱程度ずつしか進められなかった。
ところが、悪いことは起こるものである。寄贈をはじめて、おおよそ1年近くが経過したある日、W氏と連絡が取れないと思って、自宅に連絡したところ、脳内出血で救急搬送されたという。
氏はその後意識を回復することなく、翌年の夏に亡くなった。こういうことは、予想しなかった…。W氏は、筆者より若いので、まさかそういうことがあるとは、夢にも思わなかったというのが正直なところである。闘病中は、何度も家族に連絡したりしていたのだが、氏が亡くなったあとに残されたものは、「羽丘資料館」そのものと、その中にある膨大な、一般の人には価値が理解されにくい資料であった。
さて、この「羽丘資料館」をどうするか、ということは、氏が企画していたイベント(東京近郊の友人・知人で代行開催)の関係者や、氏の姉などで問題となったようだ。ところが、筆者からW氏に、各種物品の寄贈がされていたことは、遺族の間で認識されていたはずだが、そのまま忘れ去られたようになっていた。
結局6割程度の品物が、「羽丘資料館」に寄贈されたまま、残りの4割程度のものは、筆者宅に残された状態となった。当然、「羽丘資料館」そのものを、なんとか引き継げないのか、あるいはどこか博物館が、コレクション全体を引き取ってくれないか、ということは検討の対象になり、いろいろ具体的な動きもあるにはあったようで、もし引き継がれるようであれば、筆者宅に残る4割程度の品物も合流させるべく、存置していたのだが、筆者が寄贈した品物とは、その後筆者自身最悪の場所で「再会」することになった。…それは、ネットオークションの「怪盗セイント・テール」カテゴリの中、ということであった。
現在、ヤフーオークションにて、「セイントテール」などと検索すると、大量の出品がある。その半分程度が、2009年11月現在、W氏のコレクションである。当然その中には、多数筆者から寄贈したコレクション品が含まれる。これを「どう考えるか」ということであるが、筆者の認識としては、あまり気分のいいものではなかった。その理由は以下と考えられる。
一度は寄贈したものだから、最終的にそれをどう処分しようと、そもそも被寄贈者が死去するということ自体想定外なのだし、遺族としては勝手である。が、遺族は死去したW氏が、筆者から各種品物を寄贈されていたことを知っていたし、送付時の伝票もそのままに残されていたのだから、一言あいさつが欲しかったと思う。お金がどうこうということは、筆者としては考えていない。そういうことではなくて、「相続の関係から、売却せざるを得ない」旨、一言言ってくれれば、筆者の感情としては不快に感ずることも無かっただろう。むしろ事情を知るだけに、協力すら出来たかもしれない。
また、「グッズも同好の人に譲られれば本望であろう」と言う人もいる。本当にそうだろうか?。
コレクションというものは、体系的・網羅的に収集した全体・総体が、本当の価値を持つもの(金銭的な価値ではなく、文化的な価値)であり、各地に散逸していて良いというものではない。結果として、各地の「公的資料館・博物館」が、個人コレクションに冷淡だという問題があるから、散逸しないように維持し続けることは困難だとしても、ああして「切り売り」してしまった時点で、コレクションの「文化的価値」は、残念ながら失われてしまったと言っていいと思う。そのことについて、死去したW氏自身が、一番無念なのではあるまいか。グッズが同好の人に譲られたら本望などと言っている人は、もう一度収集者の無念ということに、思いを致して欲しい。
遺族は、友人筋等に依頼して出品しているようである。その中には、元々まとまっていたセット品を、バラして売却してしまっているものがある。例えば「ムービングポップ」のセット一式などがそれであると思えるが、このセットは、販促物として販売店に配布されたときの状態をそのまま残しているから意味があるわけで、それをバラしてしまっては、マニアグッズとしての価値はともかく、資料的な価値は無くなってしまう。そういうことが、残念ながら収集当事者ではない遺族にはわからないのであろう。これまたW氏が仮に息をふき返したとしたら、極めて無念に思うであろうと思う。また、寄贈した筆者も残念に思う。
これを読んでいる人々には、「こういうこともあるにはある」のだということを、認識して欲しい。筆者としては、まあ散逸していくグッズ類を、傍観しているしかないわけなのであるが、個人でこの種の「社会的認知」を受けたとまでは言えない、「消耗品」としてのグッズ類や資料類は、少なくとも網羅的収集を試みても、意味があるかどうか疑問であることが、W氏の死という事態により露呈してしまったと言えるのではあるまいか。
アニメ・コミックス関連の資料・商品は、今まで系統立てて収集、体系的に保存されてきたことはほとんど無い。その意味では、まだまだ社会的認知度は、低いと言わざるを得ないと思える。
この国は、「アニメの殿堂」を作ろうとか言い出したり(さすがに撤回になりそうだが)、ジャパンアニメーションを世界に売り込もうなどという「企画」だけは立派かもしれないが、それを本当の「文化」として育成しようというような意識は、まだ持てていないのだと思われる。実際、有名な「アニメミュージアム」が、「本や設定資料だけなら欲しい。あとはいらない」などと、「えり好み」するような国である。網羅的な収集というものの、文化的価値はご存じ無いらしい。国立国会図書館や、大宅壮一文庫に価値があるのは、「網羅的に揃っているから」である(大宅壮一文庫は雑誌専門)。そういう意味を、博物館自身が理解できていない。まことに文化的に低い国だと言わざるを得ない。
…とまあ、後半多分に嘆きも入ってしまったが、「羽丘資料館」の顛末は、おおむねここに記した通りである。やはり一番無念なのは、志半ばに若くして倒れた、W氏自身であり、それ以外の誰でもない。あらためて氏の冥福をお祈りする。
(以上すぎたま記。2009.11.4)
追記:なお、最近著名な魔法少女作品を世に送り出したプロダクションが、株式会社になったのを期に、自社制作作品のグッズや資料の収集に乗り出した。個人コレクションの吸収というのとは、少々事情が異なるものの、資料の散逸を防ぎ、将来のためにはいい動きだと思える。また、筆者のところに残る「怪盗セイント・テール」に関するコレクションの残りは、既に6割程度寄贈してしまっており、それがネットオークションで売却されている現状から、もはや保有の意味が無くなってしまったため、一部以外廃棄の方向であることを申し添える。