鉄道復権・時を切り取る者「モデラー」・そして「セイントテールスーパーエクスプレス」


 私は鉄道模型を趣味として、もう二十数年になる。私たちはまごうことなく「モデラー」なのだと思うが、「モデラー」の使命とは何だろうか。あるいはその基本的に持っているべき「スピリット」があるとしたら、それは何だろうか。

 それは特定の場所、時間、対象物と人との関係を、流れゆく時の川から引き上げ、切り取って固定化することだと言える。

 例えばそれは、鉄道模型の世界に照らして見れば、走り去る列車も、郷愁を残して消えていった国鉄も、SLの煙も、すべて私たちは自らの手で切り取って残すことができるのだ、ということである。そんな環境の自分たちを、私たちは幸せなのだと思うが、一方でそこにあるべき「鉄道の旅」の態様を考えたとき、その態様が今と昔では、かなり性格的に違ってきていると思う。

 鉄道の旅を、単なる移動の手段と考えれば、車や飛行機のほうがはるかに便利なことが多い。これは鉄道が、レールというものに縛られる限り、仕方のないことだろう。

 そもそも電車に乗るには、「駅」というところに指定の時間に行かなくてはならない。電車は迎えに来てはくれない。レールのつながっていないところには、物理的に行かれない。日本の場合、外国旅行に行こうとすれば、鉄道で行くことは絶対にできない。国内だって、北海道や九州へ、東京から行こうとすれば、丸一日かかってしまう。そんなひまはなかなかないのが現実だろう。

 かようにして、鉄道の輸送、移動の手段としての地位は、新幹線や都市間連絡特急などをのぞけば、今や非常に低い。

 しかしようやく日本人も、最近鉄道の旅に、「乗車すること自体」、あるいは「乗車して各地を車窓からゆっくり見る」という価値を、見いだしつつあるようだ。

 それは例えば、寝台特急「カシオペア」や「北斗星」に乗って、豪華な車内を体験し、青函トンネルを通って、朝日が車窓に昇るのを見る、という旅に、非常に高い人気があるというのを見てもわかる。

 また鉄道事業者も、ようやくそういう、「移動の手段以外に鉄道の旅の価値を認める人」がいることに気づき、いろいろな「イベントトレイン」の製作や設定をするようになった。

 そして今、「環境保護」が叫ばれる時代になって、「地球にやさしい」鉄道が、都市交通、中核都市連絡交通の手段としてすら見直されるようになってきた。これは「鉄道復権の時代」と言われている。

 こうした時代の今、私たちは鉄道の旅に、再び目を向けるときが来たのだと、世に問うべきと確信するに至った。

 「亜美スーパーエクスプレス」を制作するちょっと前、まだこの段階では「りりかスーパーエクスプレス」は立案のみの段階で、漠然としたプランしか持っていなかったのだが、友人のK.O氏から、JR東海の美濃太田運輸区に、大量の急行形客車が廃車待ちで留置されている、と聞いたとき、上に述べたような「モデラーズスピリット」が、頭をもたげるのを感じた。

 これらの車輌を大修繕して、日本国中を回る列車があったらどうだろうか。時間はものすごくかかるが、その車内空間はきっと楽しいものに違いない。そしてその列車に乗る人は…。…そうして「スーパーエクスプレス計画」は発動した。

 今回の「セイントテールスーパーエクスプレス」は、中古車輌の改造という設定ではないが、コンセプト自体は、「鉄道の旅の復権」と、「それに伴う新しい価値観の創出」という点で共通する。

 ともあれ、あたかも実際の車輌を製作するように、1/80の世界ではあるが、「鉄道の旅の復権」を具象化しようとしたものが、このスーパーエクスプレス計画の本質である。