さて、どう不自然なのかということですが、だいたい擁壁のようなものは、多くは「公共工事」に伴って出現します。また、当然線路際にも列車の進行を妨げないように出現します。もちろん個人の宅地にも出現することはありますが、規模の大きいものはたいてい公共工事または線路工事でしょう。すると土木工事技術を駆使してということになろうかと思いますが、それらも年代とともに進歩したり、特定の工法が廃れていったりするものです。それは日本が「地震国」であることと無関係ではないようにも思えますが、擁壁のようなストラクチャーでも、特に見た目が年代によってはやり廃りがあったり、必要性が変化したりするということです。
とある海無し県地方の高齢者が、未だに作り続けているレイアウトで、それなりの哲学に基づいていろいろ細かく作り込んでいるにもかかわらず、全体の年代設定に矛盾だらけというレイアウトを見かけました。年代設定は昭和40年代の、甲信・東北地方でまだSLが活躍していた頃を再現したとするのですが、細かく作り込もうとはしているものの、例えば駅前の商店の構成や、列車の編成、機関区の線路配置など特に人工物に無理があります。なかでも不自然が気になったのは、やはり擁壁の年代でした。
その人は、市販のキットなどを使わず、ボール紙にプラ角棒を数十ミリ間隔で固定して、ウエザリングもろくに無く灰色に塗るだけという、スネ夫くんにも指摘されそうなくらい乱暴な工法で制作しているのですが、ボール紙にプラ角棒がくっついたような形の擁壁というのは、見たことがありません。近年の土砂崩れ跡に作られる擁壁には、少しは似ている形状のものがあるのですが、それらは早くとも昭和末期から平成初期頃(西暦では1980年代頃以降)からしか見られませんし、全体的に曲面を描いているのが普通です。
この記事を書いている少し前に、江ノ電「タンコロ祭り」に行きましたので(イベントそのもののレポートは、「鉄道資料館」から「イベント」をご覧下さい)、ついでにその周辺に見られる擁壁を調べて撮影してきましたので、いかにボール紙+プラ角棒ウエザリング無しが不自然か、見てみたいと思います。また、当然ですが、これからレイアウトを作られる方、作っている方のご参考になれば幸いです。
古い住宅周辺などで見られる、グリ石をセメントで固めたタイプの擁壁です。おおよそ場所から推定するに、1960年代頃から作られたものと思われます。このやり方は、比較的背の高いものは作られないようですが…。
このようにかなりな段数積んでいる例も見つかります。
いわゆる石張りのタイプです。これは結構昔から見たような気がします。水抜き穴が無いと崩れやすくなるので、少なくとも日本国では設置が必須です。この形状は、城の石垣にも通じる形状なので、場所によっては相当遡るかと思います。明治大正ということもありうるでしょう。
これは切石をモルタルでつないだものと思います。施工も様式も近年のものですが、様式としては昔からあるものと思います。
これも切石をモルタルでつないだものですが、かなり古いもので、へたをすれば大正時代くらいかもしれません。だいぶ風化もしており、メンテナンスされた形跡も見られます(左側のモルタル足しの部分など)。またこのように縦に走る導水パイプ?のようなものは、割とよく見られるものです。擁壁面から排水のためのパイプが出ていないので、それらが義務化される前に施工されていると思います。
上のもののアップです。このように石をモルタルでつないでいますが、モルタルは補修されたりしています。また石が欠けた部分にも充填されています。
これは江ノ電の線路に築かれた道路に接する擁壁です。上を電車が走ります。水抜きパイプが多数見えますが、形としては四角く整形された石を隙間無く積んだような感じです。この手ですと、割と高い場所にも使われることがあるようです。
これはかなり珍しいタイプと思います。切石をレンガのように積み上げたもので、上三段とその下とで積み方が変わっています。最上段は「土留め石」のような細長いものが横方向に使われ、さらにその上は土が露出しています。こういうものもあるのですね。
ちなみにここは、ドラマ「俺たちの朝」で、出演者たちが座り込んでいた場所のはずです。
擁壁の補強に古レールを使った例。レールが張り付いている面は全面的にコンクリです。年代としては古レールの推定年代から、昭和後期頃ではないでしょうか。
かなり高い位置まで続く石積み擁壁。これも整形した石を積んでいますが、年代は近くにあった銘板から、1970年頃ということがわかりました。昭和時代の山留めはこういう感じでしていたようです。
やや離れた場所にあった土砂崩れ跡。「ボール紙にプラ角棒」の擁壁は、一応このタイプが形状として近いですが、色はくすんでいるものの比較的近年の施工です(2000年代に入ってから)。この土砂崩れ跡に形成される擁壁は、形状が平らでは無く、このように斜面の形に合わせてグニャグニャしているものです。また縦横の補強部の交点には、山の中に向けてアンカーが打ち込まれており(交点に見える出っ張りがそれ)、しっかり固定する形になっていることがわかります。
コンクリートや石というと、グレー色を想像しますが、ごらんのように全くと言っていいほどそんな色はなしていませんね。全てもっと白っぽかったり、逆に黒っぽかったり、さび色っぽかったり、土の色をしていたりと、表現の難しい色をしていることがわかると思います。さらにはシミがあったりしますので、ウエザリングも相当テクニックを要する感じです。
ストラクチャーとして模型に取り入れるには、やはり市販の製品を利用し、それを適宜貼り付けてウエザリングするという流れが、まあ手間がかからない割に実感的なのではと思えます。実物の小石を積むなんていうのは、あまり効果的な表現では無さそうです。粘土板にはんこを押すように「型押し」して、それをまるごと貼り付けるというのも、方法としては考えられますが、何を型に使うかが難しいところでしょうか。「滑り止めシート」など、同じ形が連続するものというのは、案外使えるかもしれません。
(まだ画像がありますので、多少の記事追加を予定しています)
いずれも撮影は2023年12月。江ノ島電鉄極楽寺駅周辺。すぎたま撮影。禁無断転載。