神田川の始まりを見る

 「川の起点」というものは、なかなか見られるものではないようです。というのは、テレビなどで紹介される、インダス川とか、ガンジス川とか、著名な長い川の元は、たいてい急峻な山の雪から溶けだした水であり、そのおおもとを見つけるのは、容易なことではありません。「ここから始まります」というようには、なかなか紹介できない場所ばかりでしょう。これは、日本の各河川も同じで、例えば利根川の元や、多摩川の元、信濃川の元、木曽川の元…など、どれもおそらくは山の上のほうであり、そこを直接見ることは、まあ普通出来ないと考えられます。せいぜい「分水嶺」がわかるくらいではないでしょうか。川の途中の風景は、いくらでも観察できますが、その元を見ることが可能な場所というのは、本当に限られると思います。
 さて、小学生の頃、自分の住んでいる近くの地図を見ていましたら、ふと、小さな川が小学校の近くを細々と流れていることを思い出しました。地図上で追うと、その流れは、小学校の裏手にある企業の保養所で消えています。保養所にはプールがあり、夏の間は解放されていたりしましたので、中に入って見て来ることは、可能にも思えます。また学校の「自然観察会」のような行事でも、そこに入ってあれこれ観察していた記憶があります。保養所の中には池がありますので、そこがその川の起点でしょうか?。しかし、保養所の脇には、細い道があり、そこには水路がありました。そうすると、そっちの先が川の始まりのようにも思えます。
 
 その川の起点がどこかについては、その後ン十年を経過して初めてわかりました。企業の保養所の中ではなく、そこからさらにさかのぼった場所にある病院の敷地付近がかつて湿地帯だったということです。小学生当時、その行動範囲ではわからないはずですね。
 このように、都市近郊の中小河川であっても、意外と「川の始まり」を見ることは、容易なことではありません。都市化で川が暗渠になっていたり、湧水であったのに、地下を通すように工事されてしまっていたりするためでしょう。
 
 ところが、東京都内を堂々と流れる「神田川」は、その始まりを見ることが出来る、ほぼ唯一の川と言えそうです。そんな風景を見てみましょう。

神田川始点の画像です

 神田川の始まりはここ。この奥側の四角い升からわき出る水です。これが手前側に流れて来て、池にたまります。ここは武蔵野市の井の頭公園端にある、「御茶ノ水」という場所。もう吉祥寺駅に近いほうです。井の頭公園から神田界隈まで、延々と都内を流れ下る神田川は、まさにここから始まるのです。「御茶ノ水」という名の由来は、徳川家康がお茶を点てるのに、ここの水を好んだからと言われ、案内看板も立っています。2009年4月3日撮影。

井の頭公園の池の画像です

 上の画像から後ろの方へ下がる(つまり川の流れに従う)と、桜の名所井の頭公園の池があります。「御茶ノ水」からすぐ近くで撮影しました。2008年3月27日撮影。

京王電鉄井の頭線富士見ヶ丘工場裏の桜画像

 このあと、この池から流れ出た水は、井の頭線・井の頭公園駅近くの水門を通り、駅のすぐそばで井の頭線をくぐり、しばらく井の頭線と沿うように流れ続けます。画像は井の頭線富士見ヶ丘車庫裏手の、土手の桜。下が神田川です。2009年3月28日、富士見ヶ丘検車区公開日に構内から撮影。この先東京メトロ中野車庫脇も通りますので、2つの鉄道の車庫脇を流れる、珍しい?川ということになりますね。

聖橋と御茶ノ水駅の画像です

 有名な聖橋(左側の橋)と、中央線の電車(右側201系)、そして神田川(左下から左上へ)です。ここはJR御茶ノ水駅。向こうのほうに秋葉原の電気街の看板が見えます。川にかかっている低く青い橋は、地下鉄丸ノ内線の鉄橋です。地下鉄なのに地上へ出て、さらに川を渡るという珍しい風景。神田川はこの先、秋葉原電気街の近く、万世橋の下を流れ、かつて神田市場へ荷揚げするための小さな船渠がたくさんあった、秋葉原貨物駅跡地脇を抜け、浅草橋を抜けて隅田川に注いで終わります。2007年7月8日撮影。
 まあ、大陸を抜けて流れる大河に比べれば、ずっと短い流れと言えるでしょうが、都内を延々と流れている感じはします。おおげさに言えば、「千里の道も一歩から」。そんな言葉も思い浮かびます。
 なお、この「御茶ノ水駅」の「御茶ノ水」は、神田川起点の「御茶ノ水」とは異なり、二代将軍徳川秀忠が、この水でお茶を飲んだ事に由来するそうなので、直接の関係はありません。起点と終点近くに2つの「御茶ノ水」。それも親子二代の将軍にまつわる…。これもまた、ちょっと面白いと思えますね。


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