UR都市機構による強制退去の法的措置とその不当性について続き

<中古・新築・リニューアル物件>
 いくつかの物件を見てきましたが、さすがに簡単にはしっくりしたものが見つかりません。そんなとき、不動産屋に勤める友人に意見を求めましたら、「絶対に新築にしろ」と言われました。それはどうしてか、ということですが、実際の物件を見た時、中古・新築・リニューアル(家の駆体は変わらないが、内部などを完全に最近の新築住宅並みに更新修繕してある物件のこと)のいずれも見たものの、やはり中古物件では基礎にヒビが入っていたり、全体的な老朽化が問題だったり、一度更地にして建て直しをしたほうが良さそうなものなど、なにがしか問題を抱えていました。リニューアル物件でもこれはだいたい同じで、今まさに工事中というのも見ましたが、設備は新しくなっても、古い建築基準法で作られているので、大きい地震の時に大丈夫かとか、基礎周りには手入れをしてないので、昔ながらの布基礎だったり、しかもそれがあまり良好な状態と言えない(例えば基礎の亀裂、フーチングがどこまで入っているか疑問、基礎の外より中が低いなど)ものがあり、長期的にみた信頼性が低そうなのが気になりました。
 ただ、世田谷区内のフレール西経堂から近くの物件の例ですが、基礎のコンクリートにスタイロフォームの切れ端や空き缶が混入していたり、玄関脇の壁がずれており、「3センチくらいずれてるんだけどよー」と、業者さんがどこかへ携帯で電話していた例なども実見しましたので、新築住宅も特に都内のものは、あまり信用できない場合があるという認識でした。
 ところが、都内から電車で2時間くらいのところに行った時には、販売会社もかなりいろいろオープンに教えてくれ、さらに年間数十棟建てている建築業者のものであるなど、きちんと図面を出して見せてくれたりするところがあって、そこはかえって都内の業者より信用できると思えました。もちろん、その業者紹介の物件も、しっかり見学しました。地方のメリットは、正直「しっかり作った実績を積み重ねないと、他に客を取られてしまう」ので、都内よりはいい加減に作ってないということはありそうです。話は前後するものの、今住んでいる家で、特に目立った不具合はありません。建築時期の関係で、東日本震災はくぐっていますが、特に問題は起きていませんでした(同時に建設した隣家は、若干外壁に亀裂が出来たようですが)。台風の時、風で吹き上がる雨が、ベランダの一部から浸水し、ベランダ下にシミが出来た程度のものです。
 そうなってくると、当家の条件は以下のように傾いて行ったのです。既に都内という選択肢は、かなり薄くなったのも事実でした。
1.一戸建てで土地150平方メートル程度・建物100平方メートル以上
2.新築に限る
3.持ち家に限る
4.都内よりはやや遠目。ある程度都市化しているところ。
5.予算の概算はおおよそ4000万円から5000万円として探す

 うちが探したラインということではありませんが、おおよそ7000万円以上(地域により変動)になると、中古の良質物件があっても、土地を買って注文住宅で建てた方が良いという印象も持ちました。今回の家探しにあたっては、期間の短さから、建売住宅以外の選択肢はありませんでしたので、土地+注文住宅という家の買い方は考えませんでしたが、一般論としてはそういうことです。
 
 さて、都内からだいぶ離れたところで、家を探してみましたが、そこの街全体の住環境が比較的良好なことと、現地の販売会社、建築業者ともに好感が持てるものだったので、再度そこには家探しに通うことになりました。世田谷から通うのですから、ほぼ丸一日がかりで探すことになり、疲れて大変でしたし、一度に4〜5物件見るのが限界でしたので、なかなかな苦労はありましたが…。
 この時に探した地域は、こちらから見たい物件を販売会社言っておくと、あとで電話がかかってきて、日にちや時間を予約してから行く段取りになります。現地(この場合は会社の店舗)に着くと、既にちゃんと図面や広告類が準備されており、すぐにかっこいいスーツに身を包んだ社員女性が付いて、自ら車を運転し、いろいろな物件を見せてくれるのでした。物件のマイナス点もきちんと説明してくれるので、そのあたりは信頼置けるものでした。こういうところで「夢で家を買え」とか言う業者との差が出ます。
 中には土地が400平方メートルを超えるような物件も見ましたが、庭として整備するとすれば、広すぎて管理が大変なのではないかと思えました。広ければいいということにもならないようです。また、おおむね250平方メートルを超える土地は、不動産取得税がかかり、その分高くなってしまうという問題や、変に傾斜地を含んでいる物件などは、その部分の土砂崩れを気にしたりする必要があったりしますので、固定資産税が高くなるという問題も含めて、おおよそうちのレベルで管理でき、妥当な土地の広さは200平方メートルまでであり、やはりおおよそ150平方メートルを基準に考えるべきであるという結論に達しました。

 そうすると、予算の範囲内での物件は多数存在します。特に地方であれば、2000万円台からあるでしょうが、最終的に絞っていった地方では、おおよそ4000万円からというのは、「狙い目」のラインであったようです。

<住戸における野鳥対策への具体的提言>
 大規模団地などでは、最近カラスをはじめとして野鳥が住みつく等の「問題」をかかえるところが多くなっています。それらは実のところ人間のエゴや、人間の無理解によるものと考えられるのですが、いわゆる「環境と人為の対立」で語ろうとすると、収束点は見いだせません。そのためそのような見方はせずに、全てを考えたいと思います。
 他方、野鳥と人間が共存するには、そもそもどうしたらいいのだろうかということについての考察は、世間であまりされていないと見られます。経験に基づき、少し具体的な提言をしてみたいと考えます。

1.建物の問題
 鳩というの生き物は、もともとその祖先が崖に巣作りしていたため、ドバトにはその名残があり、人工物に巣を作りたがります(ほとんど人工物以外には巣を作りません)。そのため人間の住まいに巣を作り、それを迷惑がる人間との間で衝突が起こるのです。これを解決するにはどうしたらいいでしょうか。
 A.絶対に巣作りは困る場合
 これはなかなか大変なのですが、基本的には「最初から巣作りされるような形に建物を造らない」ということが重要です。でこぼこを排し、雨が全く当たらない場所を造らない必要があります。鳩は雨に濡れやすいところを巣には選びません。

古い建物時代の西経堂団地画像

 古い時代の公団住宅は、このように極端に直線的なデザインで、実用一点張りですが、入り組んだ場所が少ないので、鳥などは巣を作りにくい構造。1993年2月17日、無人になった西経堂団地棟南側。

古い建物時代の西経堂団地画像

 建物主体では無いので、あまりいい画像とは言えませんが、同じ時代の建物の北側画像です。こちら側も、全く外からのアプローチを考慮していない平面的なデザイン。わずかに窓上にひさし状のものがある程度。これならば、やはり鳥は巣はほとんど作れません。最近の建物は、鳥を呼びたくないみたいなことを言う割に、「鳥を呼びたいとしか思えない」デザインですね。1992年春西経堂団地北側。

 B.少しは巣が出来ても仕方が無いと考える場合
 屋根にさしかけを設け、フンなどが住戸内(ベランダなども)直接落ちてこないように対策をします。また一方で規約を整備する必要もあります。例えばそれは、外に出すように洗濯物は干さないなどとともに、巣が出来たらどうするのか、どう対処するのかを、「法に触れない範囲で」決めておくことです。

 C.特に関心をはらわない場合
 巣ぐらい出来たっていいや、ということは考えにくいですが、一応掃除を徹底(特に巣のあと)すること程度であとは放置ということになりましょうか。

2.建物構造と使い方の関係
 最近の建物には、さしかけが無い物が多いように思えます。フレール西経堂も同じような感じですが、これは特に平面で構成される鉄筋コンクリート建物の場合、無いと雨だれもしますし、落下物があった場合、真下に重大な影響を及ぼす懸念があります。それは鳩のフン程度のことのみならず、例えば植木鉢を落としたとか、重い洗濯物を落としたなど、事故につながりかねない場合があると考えられるからです。
 今まで幸いにして、そのような重大事案は聞いたことはありませんが、今後起こらないとは限らないということです。それらから考えると、
A.布団は絶対に外へは干さない(ベランダ内まで)→万一風にあおられる等して落下した場合非常に危険。見た目の問題もあり、外観のだらしなさはスラム化への第一歩。
B.鳩などの野鳥が侵入して困る場所があるのなら、網を張って防護する。糸にすると、鳥が足を失う原因になるので厳禁。消防法に注意。
C.野鳥は来るものという前提で、さしかけ状の構築物を建物の主として窓上に設置する一方、意味の無い凹凸は無くする。
D.当方の実測に基づくと、8センチ以下の隙間なら、鳩は通れない(もっと小さい野鳥は通る)。そのため、少なくとも8センチを超える隙間を作らない。
E.必要に応じ、お金がかかっても遡及改造をなるべく施す。
…というようなことは、最低限必要でしょう。

3.人間の問題
 実はこれが一番やっかいなことかもしれません。
 通常、「鳥害」と呼ばれるものの多くは、実は「作られたもの」であるかもしれません。このように書くと、すぐに脊髄反射な人は反発を感じるかもしれませんが、誰かが作為を持って「作っている」というのではなく、もともと鳥の生活域に人が入っていって、開発をするものだから、逆に鳥がそれを利用しようとしている、そしてそれが人に取っては迷惑な状態になってしまっているという点で、「人が」、「作り出してしまった」ものかもしれないと言っているのです。
 したがって、この種の議論は、専門家から純粋に科学的なデータを入手し、それにしたがって議論する必要があるのですが、市井の人々が、簡単に専門家の意見を聞いたり、データや論文が読める状態にはありませんから、ここではひとまずデータ的なことは置くとします。
 さて、URは管理丸投げの財団法人住宅管理協会に、実際の管理をさせているのは既に述べました。しかし、いささか「人との対話」という点では、「コミュ障」なのかと思うほどのひどい対応でありました。それは結局「一方口しか聞いてない」(クレーム側の人のことしか信じてない)ことから発していると考えられます。
 管理というのは、一方に肩入れすることではありません。常に住民がみんな快適に過ごせるようにするのが管理の本質であるはずです。それを実行するには、話し合いの場を持ち、例えば住民同士対立することになっても、相互に譲歩可能な点を探るのが本来的な役割ではありませんか。どっちかの尻馬に乗って、相手者をののしるのが役割でも、管理の本質でもありません。
 具体的には、住民同士のトラブルが生じても、その解決のために対案の提示、対応のためのコストの算出、折衷案の検討などしたり、住民同士も検討するためのデータ出しに協力したりすることだろうと考えます。当然にして、自治会があるのであれば、自治会の意見も聞く必要があるでしょう。
 何でも禁止にするのは、楽ではありましょうが、あまりそこだけ「民間並み」にすれば、住宅性能が民間に比して劣っていることが明らかな今、入居者は減るばかりでしょう。URも自分の首を絞めるだけだと認識した方がいいと思います。役所時代の「ことなかれ主義」を捨てることですね。
 例えば本件でも、感情的に相手者のやり方を非難するのではなく(この場合の相手者とは当家)、どういう問題が「困ったことになって」いるのか、発生している問題の本質は何かを冷静に把握し、「何が」、「どのくらい」の頻度で起こっているのかを定量的に指摘し、科学的に対応を協議する必要があったのではないかと思うわけです。そうしないと、納得できないのは道理ではありませんか。
 むしろ、互いが顔を合わせて具体的な話が聞ければ、当家でも当面餌やりを1〜3ヶ月くらいやめてみて、どうなるか実験してみることも可能だったと思えます。一方的に「おまえらのせいだ。ああしろ、こうしろ」と、「上意下達」的に、しかも「揚げ足取りなどする、あおり口調の若年者が、尊大な態度で」言えば、感情を逆なでされてしまうのは人情でありましょう。そういう事態を避けるのが人の知恵というものではありませんか。
 どだい、相手者に弁明の機会が無いというのも問題です。文書でのやりとりにするべきでしょうし、その方が言った言わないの見苦しい口ゲンカにならずにすみます。もっとも、それを狙っているのかもしれませんが…。
 ちょっとしたトラブルでも、その賃借人を出て行かせればよいという「安直主義」が見え見えなわけです。国の機関としては、いささか乱暴と言わざるを得ませんね。
 自治会も、一般住民も、高い意識を持っていないと、本件などが前例になって、ちょっとしたことで、一方的な「管理強化」や、「監視」、「居住権剥奪」等のゆゆしき事態が起きないとも限りません。これは認識しておいたほうがいいんじゃないでしょうか。役所(元役所も含む)というところは、「前例主義」であることを、忘れてはなりません。

4.具体案としての提言
 団地内に木が植えてあるというのは、野鳥の飛来を当然考えているはずです。前にも書いたように、うちにやってきた財団法人住宅管理協会の職員に言ったのですが、「野鳥が来て困るというのであれば、全ての木は切ってしまい、ベニヤ板に木の絵でも描いておけばいいではないか」と指摘してみました。そうすると「ご要望は承る」と、また頭の悪い役人のようなことを言うのですが、態度としては「そういうわけにもいかない」というつもりのようにも見て取れました。まあ、常識で考えれば、景観ということもさることながら、擬似的な自然環境を構築する(完全な自然環境では全く無いことに注意)ことが、団地内に木が植えられている理由でしょう。当然、そうすれば、鳥が飛んでくるだろう、というようなことは予想できるはずです。というか、よほど頭の思考性が悪い人で無い限りしているでしょう。

メタセコイアの木の画像です

 古い建物の時代は、こんな木もありました。なぜか植木に混ざっていた「メタセコイア」。ここの近くでは、世田谷区立経堂小学校にもありました。戦後アメリカが持ち込んだとも言われていますが、うまく育たずにアメリカの機嫌を損ねるといけないので、国や都立の施設などに優先的に植えられたという話があるようです。西経堂団地は1959年入居開始なので、GHQが、という時代でも無いと考えられるため、この木がその話と関係があるのかわかりませんが、こういう背が高くなる木を植えておいて、「鳥が来るために植えているのでは無い」というのは、かなり無理があると思います。

ニセアカシアの画像です

 棟の間に植えられたニセアカシア。これで鳥に来て欲しくないなんて…。
 現在の建物でも、棟間にたくさん木が植えられている以上、日本住宅公団時代と、コンセプトが変わっているとは思えないので、同じ状態になってもかまわないという「暗黙の了解」があるようにも思えるのですが。

 だとすると、プレイロットに住民以外を入れて、共益費だけは住民から取るような管理なのですから、いっそ木がたくさんあることを逆手に取って、「バードサンクチュアリ」にしてしまうのはどうなのかと思います。
 つまり、周辺環境が悪化していく現代において、団地は逆に擬似的ではあっても自然の一部を保持し続けることで、新しい価値を呼ぶという考え方は出来ないのか、ということです。
 鳥は夜になると、通常は山に帰って行くか、またはそこにとどまるにしても、眠りにつきますから、早朝からさえずることはあったとしても、どこかのたむろする若者のように、一晩中騒ぐということはありません。

(以下次号。書かれている内容は予定稿のあらましです)

<家を買うとはどういうことか>
 家を購入するということで、抱えるリスクというものがあります。また一方、それによって解放される制約というものもあります。それぞれのメリット・デメリット等を交え、一戸建てを所有するということによってもたらされる意識の変化のようなことを、考えてみたいと思います。

<UR破綻の可能性と国民が負うリスク>
 URは、本体の経営状態があまり良好と言えず、民営化の論議や、分譲事業からの撤退など、明るい未来があるとは思えない状況です。いずれ赤字の処理をしなくてはならない一方、別財団を作って、黒字の事業部門をそこに丸投げすることによって、本体を必要以上に赤字に見せかけているなどという見方もされています。それらが事実として、今後少子高齢化や、郊外住宅のスラム化、過疎化などが進めば、UR破綻というのも、現実味を帯びてくるかもしれません。そうしたとき、「公的資金」の名の下に、税金が注入されるでしょう。それは国民にとってリスクと言わざるを得ません。しかし、あまりそうした認識は、一般化しておらず、問題化したときには手遅れということになりかねないと思えます。今だ抜けきれない「お役所体質」の問題と、管理状況の変化、将来的にどうURを「処理」するのか、ということに考察をしてみたいと考えます。

<本件が一般に広がる懸念とスラップ訴訟>
 URが当家になしたような、居住権の侵害行為が一般化する懸念があります。それについて一言。また、国や地方自治体の機関が、個人を訴えるというような、「スラップ訴訟」が最近頻発しています。URも独立行政法人ですので、当家になした行為は、それに類するものかもしれません。組織力を背景にというか、笠に着て、市井の個人を「攻撃する」ような振る舞いは、まったく卑怯者の所業と言えます。それについても一言書いてみたいと思います。

<滅びゆく団地と地域>
 「団地」という言葉は、既に死語になりつつあるのかもしれません。戦後の高度成長期に、企業戦士たちを支え、核家族化の元となった「団地」は、もう使命を終えたのかもしれません。それとともに、街全体が高齢化、世代交代が進み、街としての機能を少しずつ喪失しつつあるところが、都内を始め、いろいろなところで見られるようです。これはひとりURだけの問題ではなく、社会全体の問題でもあるのですが、地域における人間の生活をどう守るのかということが、問われているのでしょう。今後「ヨウカン」を切って並べたような団地が、すたれていく過程を押しとどめるのは困難にも思えますが、既にある団地をどうするべきなのか。機能が低下した街に建つ団地をどうするのか。それらを少し考えてみたいと思います。


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