元写真に多少荒れが見られたり、空部分に変色がありますが、車輌の感じはよくわかるのではないかと思います。
この写真には説明書きがあり、それによると、1967年11月23日より1968年1月7日まで毎日(店休日を除く=なんと当時は毎週1日ずつデパートが休んでいたんですよ)、相模大野−新宿間に1往復「お歳暮特別号」、年が明けてからは「新年特別号」として運転した、とあり、準急運用であった旨も書かれています。また1968年3月16日から6月9日までは、「フラワー号」として、向ヶ丘遊園の「フラワーショー」の宣伝もしたそうです。この写真は、「新年特別号」のヘッドマークが付き、確かに準急の相模大野行きです。さらによく見ると、5輌編成で、まだサハ2762号は組み込まれていません。
当然準急以外にも運転され、1968年1月8日から3月15日も運転されていたはずですが、どんな運用だったのか気になりますね。
「小田急百貨店全館開業記念塗装車」には、旧4000系の4001編成(当時3連)もありましたが、2600系の2編成だけは、1969年5月に、直接現在と同様のアイボリーにブルーに塗り替えられ、元の色には戻らなかった旨、「鉄道ピクトリアル」誌は記しています。
写真は登戸駅にて、1968年1月撮影。「Fコレクション」より。車輌右下の「かやぶき屋根」の家にも、今からすれば驚きですが、当時は珍しいものでもありませんでした。右端に写っている鉄筋の建物は、その後「リバーサイドマンション」という名前になり、今でもあるのではないでしようか。私はすでに生まれていましたが、幼稚園児でしたので、この車輌の直接の記憶はありません。しかし、鶴川に遠足に行った際、小田急線の線路に「フラワー号」が走っていたのは見ました。ただ、一般塗装車だったと記憶しています。
もう1枚、写真が発見されました。経堂駅を発車して、新宿へ向かう2661編成の「小田急百貨店全館開業記念塗装車」。台車はグレーなものの、ボスルターアンカーの半分は黒、連結器と胴受けは黒なのが目に付きますが、これは記念塗装車だからではなく、この時代の2600系全てが同じでした。連結器はまだ密着連結器化されておらず、胴受けの形状も異なるようです。種別表示窓が山吹色地の無表示ですが、これは各停で運用されるとき、本来の車体色であるオレンジイエローに合わせてあるためです。白幕は無かったんですかね。
なお、この編成にも、まだサハ2761は組み込まれていません。その後、記念塗色車のサハを入れて、6連化されています。クハ2861他5連。1968年1月撮影?。経堂駅3番線。「Fコレクション」より。