復活旧塗色2670編成

 小田急2600系、最後まで残った2670編成には、その引退に際して、1969年頃までの旧塗色を施して運行し、最後の花道を飾ることになり、臨時入場の上、塗色変更が行われました。当初は翌年秋まで位の運行を考えていたようです。
 塗装色は「ダークブルー」と、「オレンジイエロー」という、元々は特急車色(1949年登場の1910系から1955年登場の2300形まで)であり、1954年登場の2200形の登場時から、高性能車色とされた色です。2600系も1964年登場なので、この色で誕生しています。標準塗色としてこの色が採用されたのは、旧4000系までで、5000系からは、新塗装(ケープアイボリーにローヤルブルー帯)で登場しています。
 今回の2670編成に塗装されたのは、当時の塗装よりかなりつやがある塗料で、腰板の塗装位置がわずかに高い位置という、全くの原形塗装ではないものではありましたが、そんな細かいことよりも、「旧塗装を復活させる」という試みは、大変な反響を呼び、遠く関西などからも撮影に訪れる人もあり、その後各地での、同様なイベントカーの登場を後押ししたと言えると思います。
 お披露目後、巨大掲示板の住人たちにより、運用が大規模に調査され、毎日のようにどの運用で走っているか書き込みが行われたので、かつてのイベントカーのように、車掌さんなどに聞くこともなく、パソコンなどを所有していれば、割と簡単に誰でも撮影できたというのが、時代の変化と言うべきでしょうか。その情報にもしたがって、多数とらえられた2670編成の姿を見ていただこうと思います。

ファミリー鉄道展で展示される2870号他の画像

 まずは10月に入ってから臨時入場し、2003年10月19日の「ファミリー鉄道展」(海老名検車区で開催→「海洋紀行トップ」→「鉄道資料館」→「イベント」のところでも取り扱っています)でお披露目されました。同じ色に塗装された2200形(これはもっと前から)と、10000系ロマンスカー「HiSE」と並んで。

ファミリー鉄道展で展示される2870号他の画像

 2600系のみをアップで撮影しました。塗装色は、旧塗装よりほんのわずか紺色が濃く、オレンジイエローは少し薄めになっています。また大変つやのある塗料のようで、近年の塗料の進化を物語っているようです。
 2600系は、登場時から種別幕がありましたが、なぜか使用しない編成もあり、そのような場合は、このような「急」などという種別標識を掲げて運転されていました。1980年代の5000系でも、種別幕故障のため、筆文字の「急」を掲げて走っているのを、見たことがあります。また方向幕は、かつて江ノ島線で運転されていた「快速急行」(現在の快速急行と異なり、相模大野−藤沢間無停車の海水浴臨時急行)のものを掲げています。もちろん2670編成の方向幕は、冷房化時に標準仕様のものに交換されていますので、これは特別に復元したものを貼ったようです。種別幕も白幕は無いので、よく見ると紙です。

通常運用に入る2670編成の画像

 さっそく翌日から、通常の6連運用に戻りました。展示から翌々日、経堂駅の複々線化・高架化暫定ホームを通過していく上り急行。この時代まだ経堂駅への急行停車はまだ実現していません。2003年10月21日。下回りは、ボルスターアンカーとスカートのみ塗り直されています。それにしてもツヤッツヤの塗装ですね。

湘南急行の運用に入る2670編成の画像

 湘南急行として、5000系を従えて走る2670編成。千歳船橋駅にて。この場所も、まだ高架・複々線化が完了しておらず、左側の線路は本来下り急行線になる予定の暫定上り線です。暫定上りホームは、上り方にかなりずれているのがわかるかと思います。2003年11月15日撮影。

湯本急行で走る2670編成の画像です

 特に運用上制約があるわけではないので、このように箱根湯本行き急行としても走りました(その後6輌編成の箱根湯本乗り入れは廃止)。この時期経堂駅は、まだ複々線化に伴う大工事が行われながらの列車運転でしたので、本来各停が発着する下りの1番線が急行・多摩急行など、2番線が原則各停、通過線になる予定の線路が暫定ホームで上り急行・多摩急行など、急行線になる予定の線路は工事中、4番線が完成して上り各停となっていました。この画像は、暫定上りホームからの撮影ですが、建物の影が落ちるので、左側の信号機もじゃまになることもあり、苦しいところです。2003年11月16日、経堂駅上り方にて。


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