乗り入れの開始から、平日のみ乗り入れという、案外寂しいダイヤが組まれました。そのため地下鉄千代田線に、実際に乗り入れた9000系の姿を見る、撮るためには、平日に行かなくてはならず、当時中〜高校生の身には、なかなか大変なことでした。今のように、ちょっとネットで調べれば、運用もわかり、夏休みに気軽に生徒が外出するという時代でもなかったのです。試験休みを利用して撮影した、地下鉄線内の9000系。ATCの「チン」というベル音が、なかなか印象的でした。二重橋前にて。9702号ほか10連の綾瀬行き。今も昔も、北行き列車は、「準急」などの種別を消します。右側の「売店」という、素っ気ない表示も、今となっては意外な感じ(笑)。1978年。
成城学園前駅に入ってくる、上り直通準急綾瀬行き。9006号ほか10連です。ちょうど4連(手前)と6連(向こう側)の連結部あたりが通っている踏切は、地下化で廃止されました。1981年頃。
同じ列車を別な日に。後方のビルに、新しい看板が取り付けられているので、上の写真よりはあとの撮影ですね。9007ほか10連。この9007編成が、最後まで残った(一般運用としては)9000系4連となるとは、当時思いもしませんでしたね…。この時代は、前面向かって左に、3本まとめた形のジャンパー連結器があります。よく見ると、2枚上の乗り入れ当初と、ヘッドライト・テールライトのケースが、外開き式に変更されているのがわかります。内部の電球の取り替えの便を図ったものでしょう。9000系のヘッドライトは、当然シールドビームですが、その外側に一つカバーが着いているのです。
1986年のことだったと思いますが、読売ランド前−百合ヶ丘間で土砂崩れが、朝に発生し、その復旧一番列車(2600系)に乗り合わせたことがありました。学校は遅刻ですが、仕方ありません。乗務員室ごしに撮ったのがこの写真。対向は9000系です。当時昼間はヘッドライトを点灯しなかったので、昼間の点灯は珍しいと言えますね。それにしても多くの人が、復旧作業にあたったことがわかります。この時は、上り列車の一部を、急行多摩センター行きとして、新百合ヶ丘から多摩線に運転し、京王に乗り換えて都心へ向かう人々に配慮しました。その列車にも9000系は活躍したようです。
現在この場所には、分厚いコンクリート壁が設置されていますが、なんとその上の斜面は崩され、マンションが建っています。
9000系は、前の見通しがあまりよくないのが、特に子どもたちに不評のようでした(笑)。前を見ようとすると、当然こういうことに…。運転室ドア上には、この時代まだローレル賞のプレートが光っていました。…それにしても、ちょっと背伸びして、上の手すりをつかんでいる子の姿は、かわいらしいです。1988年頃。昼下がりの下り各停車内。