古い110カメラのフィルムなので、やや先鋭度に欠けますが、80キロ以上の速度で疾走する、直通準急本厚木行き。97Eの運用番号で、昼過ぎに千代田線から戻ってきたところです。経塚山トンネルに、高速で進入します。1979年頃でしょうか?。玉川学園前−鶴川間にて。
経堂駅は当時急行も、10連で運転される準急も通過でした。地平時代の経堂駅を通過する9703ほか10連による下り急行小田原/片瀬江ノ島行き。このような分割運転も、ごく普通に行われており、現在の新松田で後ろ4輌を落としたり、藤沢まで10連の快速急行が走るなどというのは、当時考えられもしませんでした。そもそもこの経堂駅も、高架線になるとは…。1980年頃。
この時代になっても、全ての急行が10連となったわけではなく、日中にも8連の急行や、6連の準急が多数走っていました。当時は8輌固定編成はなく、中形車同士、大形車と中形車、大形車同士を併結して組成していましたし、10連の場合でもそれは同じでした。大形車と中形車が併結する場合は、どちらが前になるかで2通りあるので、結果4通りのパターンが存在し、10連のパターンとあわせ、「分割案内板」と呼ばれる、どの位置で編成を分割するかを案内する表示板は、現在の「A」だけではなく、Eだの、Fだのまでありました。4000系の5(輌)+5編成や、3+5編成も入れると、Hくらいまではあったのでしょうか?。9301号(9001編成)が下り方に出た、2400系(前4輌)との併結上り急行。1980年頃。成城学園前駅にて。下りホームからの撮影ですが、右上に写っている、番線案内の表示も、昔懐かしいタイプです。
小田急の特急と言えば、展望席が有名です。2階の運転室下に座席を設け、前が見えるという趣向で、特別料金も必要なく、普通の特急料金だけで乗ることが出来ます。当時新鋭だった7000系LSE車ロマンスカーの展望席から、対向の各停を撮影してみました。9706ほか6連の下り各停本厚木行き。1982年夏。座間駅付近?。