9000系10連による、直通準急本厚木行き。この日は9007ほか10連の91E運用を撮影しました。学校帰りに撮影するのですが、今から思えば、いつでも9000系のきれいにそろった10輌編成を撮影できたのですから、もっと撮っておくべきでしたね…。1982年頃。玉川学園前−鶴川間。
たまには地下鉄線内へも撮影に行きましたが、駅間で撮影することは不可能ですから、撮影に良い駅が少なくて苦労しました。現在は東京メトロとなっていますが、当時はもちろん営団千代田線です。「綾瀬」を表示する9007号ほか10連による、小田急線内準急。二重橋前にて。1981年頃?。まだこの時期は、ヘッドライトとテールライトが、一回り小さい旧タイプです。
地平時代の経堂駅を通過していく、9000系+2400系の8連急行。待避線に止まっているのは、3扉締め切り装置を使用している2600系冷房改造車による各停です。冬の10時台と思いますが、このように8連の急行は、珍しくありませんでした。デハ9009ほか。経堂駅にて。1980年頃の冬。当時の経堂駅は、下りホームに8連をぎりぎりで入れられたようですが、10連は上り方の踏切を支障する構造でした。しかし入れ換えに備えてか、停止位置目標には、「10」の文字が見られます。
1800系さよなら運転の日、新百合ヶ丘駅5番線にやって来た9000系急行。デハ9009ほか10連。通過表示灯を点灯しているのも、今となっては懐かしいというものですね…。1981年7月16日。新百合ヶ丘駅3−4番ホームより。
朝方の上り直通準急綾瀬行き。97Eの運用で、デハ9003ほか10連です。側面の表示は、種別表示器に「準急 本厚木−綾瀬」という、独特のものを表示していました。この表示は9000系だけにあるものでした。97E運用は、百合ヶ丘〜生田を通過しないため、前の「スキップ準急」表示板は、伏せられています(前面向かって左側)。またこれは夏の撮影ですが、この時点では冷房を使用しています。しかし、冷房は、なんと代々木上原駅で止められてしまうのでした。冷房をつけたままの9000系が、地下鉄線内を走るまでには、さらに数年を要したのです。1980年頃の夏。玉川学園前駅にて。