経堂駅の北側には、「経堂工場」がありました。右手前の線路が工場線です。奥よりの線路は、駅ビルが出来た1970年よりのちも、留置線として使われていたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。構内踏切の遮断棒支えが、古レールで造られており、車庫線のレールも古く、細いですね。奥に見えているホームは、下りホームで、手前右にちらりと見えるのが上りホームですが、この当時は長さが短いです。おそらく1960年頃の撮影だと思われます。現在この場所は、駅のホーム下になり、駅中のネットカフェがあるあたりになると思います。
経堂検車区の車止め。経堂駅の上り方には、検車区がありました。ここは覆いのある検車線の末端部分。車止めに古タイヤが付けてあるのが面白いです。車止め標識もランプの入る古いもの。車止め自体も、古レールを組んだ形態のものです。右を通過中のロマンスカーも、3100形で、冷房増設がされていない、スマートな姿の時代。このあたりも、高架化で全く景色が変わりました。1965年頃撮影。
旧塗装のデハ2221号。検車区に隣接する車庫線に止まるデハ2220形です。当時は製造後10年足らずの車輌でした。特に断って入った覚えもないのですが、右側は故人となった父、奥の赤い帽子の子どもは、私自身です(笑)。当時はこんなおおらかな時代でした。1965年頃。
これは父(故人)が、箱根に旅行したとき、誰かに撮影された写真だと思うのですが、小田急のSE車3000系の、クーラー増設後の車内だと思うので、プライベート写真ではありますが、紹介させていただきます。SE車は、当初非冷房→床置きクーラーで冷房化、さらにのちには屋根上にクーラー搭載という流れをたどるのですが、これは床置き形クーラーの時代です。窓を埋めずに、ルーバーにして、そのまま冷房化されているようです。また当時はクーラーの前にも座席があったとか。床に段差があるのは、連接部の床を上げて、台車を逃げるようにしていたためです。1960年頃?。