2004年前半分地名など解説


 2004年前半分(第132話から第156話)に関係する地名、または一部の事柄についての解説をします。

 「コメットさん☆」という作品は、実放送もこの「ストーリー原案」も、割と狭い範囲で話が進みます。それとコメットさん☆が出かけていく各地については、一般的な解説が少し必要と思えます。また一部の事柄や、特別な用語、一般的でない言葉に、多少の説明も必要でしょう。そのようなものについても、五十音順で解説を試みることにします。話数の増加や、改訂などがあれば、適宜改廃されます。

 なお実放送にはない場所も、多数ありますので、実放送向けの解説とは異なることがあります。

凡例:実在するかしないか(●=実在しストーリー等に関係、▲=実在するが直接は無関係、×=実在しない、★=全く無関係、■=特殊なもの)、地名・言葉、よみがな、初出話数、説明の順です。



▲我孫子(あびこ)「151」:千葉県我孫子市。常磐線の途中駅で、ここでは小田急線から直通してくる各駅停車我孫子行き(小田急線内多摩急行我孫子行き)の行先として描かれる。

●今小路通り(いまこうじどおり)「147」:鎌倉駅西側を、南北に横須賀線に平行するように走る「今小路」という古道の、現在名。東口側の小町通りとは対照的に、寺が多く、住宅街の道路であることなどから、特に駅北方側ではひっそりしている。車の通りはかなり多い。

■医務室(いむしつ)「138」:通常医師や看護師などが待機し、体調不良や怪我などに対応する、施設内の特定の部屋のこと。ここでは、ハモニカ星国王宮内にある、医師(医者ビト)が待機している部屋のこと。

▲インフルエンザ(いんふるえんざ)「137」:インフルエンザウィルスによって引き起こされる、ひどい風邪様(よう)の症候群。ウィルスの型により、香港形、ソ連形、A形、B形などに分類される。ワクチンにより、抗体を体内につくるのが、予防には比較的有効とされ、近年はリレンザ、タミフルという抗ウィルス薬も開発されている。本来風邪とは全く異なり、時には死に至る怖い病気であるので、あなどってはいけない。普段の生活としては、手洗い・うがいの励行、紅茶でのうがい、ビタミンCの摂取、マスクの着用、室内の加湿なども、有効な予防策である。

●江ノ島線(えのしません)「143」:小田急電鉄は1927年4月に現在の本線である小田原線を、新宿−小田原間として開通させた。その2年後、現在の相模大野(下方参照・当時は信号所)と片瀬江ノ島の間に、江ノ島線を開通させた。これらが現在の小田急線の原形となっている。現在、相模大野駅から分岐し、中央林間(田園都市線乗り換え。以下同)、大和(相鉄線)、湘南台(相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄線)、藤沢(JR東海道本線、江ノ島電鉄線)を経て、片瀬江ノ島に至る路線である。片瀬江ノ島駅は、1931年の開通時からの木造駅舎であるが、江ノ島島内に乗り入れることが検討されたのか、現在に至るも「仮駅舎」なのだという。

●御成踏切(おなりふみきり)「147」:江ノ電の鎌倉駅を発車してすぐにある踏切。若宮大路と鎌倉駅西口から南に伸びる御成通りを結ぶ、それほど幅の大きくない踏切で、かつては警手がいた有人踏切であった様子。今も当時の踏切遮断棹の一部が残っている。

★角道(かくみち)「150」:将棋においては、コマの進む先に敵のコマや自分のコマがあると、その前のマス(敵のコマを取るときはそのマス)までしかすすめないルールである。角と呼ばれる「角行」コマは、ななめ上下のマスへ、自由に進むことが出来るが、その通り道のこと。序盤で角の右斜め上の「歩」を、一つ前に動かすことを指して、「角道をあける」と言う。

▲鎌倉高校前(駅)(かまくらこうこうまえ)「151」:江ノ電の七里ヶ浜−腰越(下方参照)間にある駅。直接海が眺められる駅として知られ、その印象的な風景は「関東の駅100選」にも、極楽寺駅とともに選ばれている。名前の通り、高校生の利用が多い。日坂という駅を、移転改称したと言われている。

▲観覧車(かんらんしゃ)「145」:小部屋をたくさん円形状の鉄骨枠に吊り下げ、全体を回転させながら、小部屋に乗った人が周囲を眺望する遊戯具の一種。1800年代の終わりに開発され、その後世界中のいろいろな場所に設置された。ここで登場しているのは、横浜コスモワールドの観覧車。現状で世界最大の時計機能付き観覧車で、横浜みなとみらい(下方参照)新港地区に立つ。高さ112.5メートル。一周の所要時間約15分。

●砧三丁目(きぬたさんちょうめ)「151」:東京都世田谷区の中心よりやや南よりに下った場所の一地名。最寄り駅は小田急線祖師ヶ谷大蔵駅。

★キャットウオーク(きゃっとうおーく)「155」:さまざまな施設内において、地上から高い位置で細廊のような構造になったところ。例えばダムでは点検用の細い通路のことであったりする。家の中ではロフトや中2階などにある細い廊下のこと。藤吉家では、屋根裏部屋に通じる階段を上がりきったところに設置されているが、その先の南側には何もなく、その後北側に延長され、先にトイレが新設された。

■宮殿のキッチン(きゅうでんのきっちん)「141」:ハモニカ星国の宮殿内、王と王妃の居室には、部屋続きでキッチンがある模様。普段の簡単な食事程度は、ここで作られたりもする。一通りの道具は用意されている…らしい。

▲経堂(きょうどう)「151」:東京都世田谷区経堂町。新宿から8qほど離れ、世田谷区の中心付近に位置する町。かつては小田急線の車庫や工場、古くは建設基地が置かれ、戦前からにぎわった。現在小田急線の高架化に伴い、駅前の整備工事が少しずつながら進む。小田急線の多摩急行(下方参照)、急行(一部を除く)、準急が停車する。

×ケースケのアパート(けーすけのあぱーと)「136」:鎌倉市和田塚の近くにある、洋館風木造建築アパート。築年数は相当なもので、共同トイレ、風呂なしと、現代の単身者住宅としては、設備的にもつらい部分があるが、その分家賃は安い模様。

★けんちん汁(けんちんじる)「137」:根菜類と芋類などを、しょうゆ味とだし汁で煮込んだ汁物。いろいろな流儀があると思われるが、例えばサトイモ、ニンジン、コマツナ、ゴボウ、とうふ、シイタケを用い、しょうゆと少量のごま油、だしで味付けをした汁物など。

▲腰越(駅)(こしごえ)「151」:江ノ電江ノ島−腰越間の、併用軌道区間終端にある駅。義経が兄頼朝に「腰越状」をしたためた故事にちなむ駅名であるが、江ノ電の歴史上、腰越と名の付く駅は都合3つあり、他の2つは廃止されている。現在の腰越駅は谷戸駅という駅を改称したもの。開業当時の初代腰越駅は、現駅より下り寄り、その後の二代目は江ノ島寄り道路上にあったらしい。

●小町踏切(こまちふみきり)「147」:JR横須賀線の鎌倉駅北方にある踏切。ほぼホーム先端に接している。鎌倉駅の中心街を東西に結ぶ役割をするので、車と歩行者で混雑し、最近拡幅工事を始めると発表があった。

▲材木座(ざいもくざ)「137」:「座」というのは、今でいう同業者団体のことで、材木商のあつまりを材木座と呼んだ。現在の材木座は、鎌倉市由比ヶ浜海岸の東側よりを呼び、そのあたりは文字通り材木の集積地であったという。ここでいう材木座は、海岸の名称ではなく、町名のこと。若宮大路東側より、海岸沿いの地域のこと。

▲相模大野(駅)(さがみおおの)「134」:小田急線の本線・小田原線と、江ノ島線(上方参照)とが分岐するジャンクション駅。神奈川県相模原市に存在する。江ノ島線の建設当初は駅はなく、信号所であった。その後軍の通信学校が移転してくると、通信学校前という駅に昇格。1970年代には小田急の経堂工場が移転してきたため、広大な電車車庫を擁する駅に変貌した。最近は駅周辺の開発も盛ん。

■さくらの丘(さくらのおか)「140」:ハモニカ星国に、コメットさん☆が送ったソメイヨシノを、増殖成長させて多数植えた、宮殿敷地内の公園施設名。宮殿敷地内なので、よく整備され、禁酒。

●七里ヶ浜(駅)(しちりがはま)「151」:江ノ電の稲村ヶ崎駅と、鎌倉高校前駅の間にある駅。サーフィンで有名な「七里ヶ浜」の最寄り駅である。駅前にはさしたる商店もなく、思いのほかひっそりとした駅とも言えるが、通学の高校生でにぎやかなことも。稲村ヶ崎や七里ヶ浜東町に至る循環バスが、ここを起・終点として走る。

▲下北沢(駅)(しもきたざわ)「134」:東京都世田谷区北沢にある、小田急線と京王電鉄井の頭線のジャンクション駅。周辺は戦後の闇市から、商業地域として発展した。現在も若者の集まる町として、また演芸の町として、その名はよく知られている。小田急線の地下化工事に伴い、今後大きく変貌する可能性がある。

★将棋(しょうぎ)「150」:9×9マスの盤上で、動き方の決まっている20個のコマを動かし、相手の王を取ると勝ちになる2人対戦ゲームの一種。西洋のチェスに似るが、日本固有の将棋は、相手のコマを取った場合、それを自分のコマとして再利用できる点が、大きく異なっている。

▲湘南急行(しょうなんきゅうこう)「151」:小田急電鉄の2002年3月23日ダイヤ改正から、2004年12月10日まで設定された、江ノ島線(上方参照)内で停車駅を少なくすることで、新宿−藤沢間の速達化を達成した、新しいタイプの急行電車の種別名称。そのネーミングの語感の良さから、沿線住民に愛された名称であったが、2004年12月11日に行われた大規模なダイヤ改正により、新種別「快速急行」に発展的解消する形で、惜しまれつつ廃止された。停車駅は、新宿−代々木上原−下北沢−成城学園前−登戸−向ヶ丘遊園−新百合ヶ丘−町田−相模大野−中央林間−大和−湘南台−藤沢(−片瀬江ノ島)であった。

■処置室(しょちしつ)「138」:病院などで、診察とは別に、ケガや病気の処置をその場でする必要があるとき、それを行う専用の部屋のこと。通常診察室に隣接している場合が多いが、救急救命センターや開業医のように、診察室がすなわち処置室である場合や、大きな病院のように、部屋が離れていたりということもある。ここでは、ハモニカ星国王宮内にある医務室に隣接している、治療を行う部屋のこと。

▲新百合ヶ丘(駅)(しんゆりがおか)「134」:小田急電鉄では、多摩ニュータウンの開発に伴い、新線を建設して、住民の便宜を図ることとしたが、当初の計画では、多摩ニュータウンへ至る路線は、東京都世田谷区喜多見より分岐して、多摩川を渡り、多摩ニュータウン東部からアプローチする計画であった。しかし世田谷区内の道路が狭隘で、千代田線を喜多見駅まで延伸して、多摩線と連絡する計画は無理と判断されたこと、及び多摩川にかかる橋梁が2本になることのコスト的問題から、千代田線との連絡は、代々木上原駅(下方参照)とし、多摩ニュータウンへの路線は、別途分岐駅を選定、南東部からのアプローチとすることにした。地理的に百合ヶ丘駅が好適と判断されたが、同駅は谷底のような形状の土地にあり、新たなホームを建設したり、分岐線を建設するには困難が予想された。そのため同駅と隣接する柿生駅(当時)の間の丘を崩して、線路を移設した上で新しい駅を建設し、そこから多摩ニュータウンに至る路線、「多摩線」を分岐させることとした。この時に作られたのが新百合ヶ丘駅である。当時は山の中の駅であったが、現在は麻生市役所を始め、多数の商業ビルやマンションが建つ、一大ジャンクション駅となった。

★吸い飲み(すいのみ)「138」:病人に水分をとらせたり、薬を飲ませるときなどに、寝た姿勢のまま水が飲めるようにするための、急須に似た器具。急須のように持ち手はなく、注ぎ口にあたるところに口をつけて飲ませるため、下を向いているのが特徴。

●成城(せいじょう)「151」:東京都世田谷区成城町。世田谷区の西部に近い場所に位置する。高級住宅街とされているが、実際には古くから開けた住宅街であるため、敷地が広いこと、緑が多いことなどが、そのイメージを後押ししていると考えられる。町としての利便性が高いかどうかは微妙。

▲成城学園前(駅)(せいじょうがくえんまえ)「134」:成城学園という学校の通学生利用と、周辺住宅地の利便性を考えて、小田急小田原線開通時からある駅。成城町の玄関口ということである。通過線を持つ普通の駅であったようだが、のちに通勤急行、次いで急行が停車するようになり、利用客も増大した。その後小田急線の複々線化工事に伴い、半地下の駅に改築。喜多見電車基地からの出入庫線が合流するようにもなったことから、規模の大きな駅に変貌しつつ、駅の東西連絡通路が平面化されるなど、利便性も向上した。

▲祖師ヶ谷大蔵(駅)(そしがやおおくら)「151」:成城学園前駅(上参照)のとなりに位置する、東京都世田谷区祖師谷町の駅。王妃がかつて住んでいた、世田谷区砧3丁目(上方参照)の最寄り駅。駅前は狭隘な商店街であったが、小田急線の高架化工事に伴い、南側の駅前を中心に整備が進み、かつての面影は失われつつある。北側にも駅前広場を作る工事が進み、ケヤキの木と桐の木がシンボルツリーとして、保存されている。桐の木の大木が保存樹木とされる例は珍しく、特筆されるものと思われる。この木は、藤吉家裏山にある桐の木と、関係があるもよう。

★太平洋(たいへいよう)「139」:アメリカ大陸とアジア大陸に囲まれた形の、地球の相当面積を占める海。海溝の最大深度は約11000メートルにも達する。南方は南洋諸島、さらにオセアニアが位置する。

▲多摩急行(たまきゅうこう)「151」:小田急線は、1973年に建設した多摩線に、長く急行電車などの設定をほとんど行っていなかったが、2002年3月23日のダイヤ改正より、地下鉄千代田線直通の多摩急行と呼ばれる急行電車を設定し、多摩ニュータウン地区と、都心を直通で結ぶこととした。当初千代田線は多摩ニュータウンに至る路線として計画されたため、ようやくその計画が実現した形となった。30分に1回運転され、停車駅は、千代田線内各駅から代々木上原−下北沢−経堂−成城学園前−登戸−新百合ヶ丘−栗平−小田急永山−小田急多摩センター−唐木田である。特徴としては向ヶ丘遊園を通過し、経堂に停車することであり、全列車が地下鉄に乗り入れ、新宿に向かわないことと言える。

★チェス(ちぇす)「150」:8×8マスの盤上に、16個ずつのコマを並べて、敵陣の王(キング)を取ることを目的とした、2人対戦ゲームのこと。日本の将棋とルーツは同じと言われている。将棋とほぼ同様な動きをするコマがあるが、ルールには違いがあり、取った相手のコマは再利用できないので、ゲームが進行するにしたがって、盤上のコマはどんどん少なくなっていく。

▲地上の特急ホーム(ちじょうのとっきゅうほーむ)「134」:小田急線新宿駅は、2層式のホームを持つ。原則的に地上ホームは特急・急行系列車用、地下ホームを各停系列車用として使用している。その地上にある特急列車専用の2−3番線ホームのこと。

●時計台(とけいだい)「144」:鎌倉駅西口駅前のロータリー片隅にある公園に建つ、丸い時計をはめ込んだ、とんがり屋根の小さなモニュメント的建物。この時計は、鎌倉駅東口駅舎に取り付けられていたものを、同駅舎改築時に取り外し、ここに取り付けられたものである。コメットさん☆が地球にやって来た日、ここで仮眠を取っていた。

▲西新宿(にししんじゅく)「134」:大ターミナル新宿駅の西方に広がるあたりを指して言う。淀橋浄水場の跡地を高層ビル街とし、都庁の移転もあって、当初栄えた東口に負けないほどの開発が進む。

★日本海(にほんかい)「139」:日本列島の「背中側」、すなわち山陰・北陸・信越地方、及び北海道の西側に広がる海。さらに北西側は中国大陸と、朝鮮半島に囲まれた形になっているので、比較的狭い海と言えるが、東シナ海側から暖流が入る。

▲登戸駅(のぼりとえき)「151」:小田急線が都内を抜け、神奈川県川崎市に入って最初に通る駅。多摩川に接するようにある。JR南武線との乗換駅で、かつては「稲田多摩川」という駅名であった。現在大改良工事が行われている。

▲バス通り(ばすどおり)「156」:江ノ電は七里ヶ浜駅から、国道134号線を少し走り、稲村ヶ崎駅脇より住宅街を抜け、再び七里ヶ浜駅に至る循環バスを、1乗車100円均一料金で運行している。七里ヶ浜東3丁目付近を横切るように通る道をバスは走るが、ここではその道を指して言う。

▲長谷(駅)(はせ)「144」:江ノ電の鎌倉から3つ目の駅。鎌倉大仏の最寄り駅として知られる。江ノ電の中でも一番観光客利用の多い駅で、かつては長谷−鎌倉間の区間運転も行われていた。

★飛車先(ひしゃさき)「150」:将棋で打ち手から見て右下側には、飛車と呼ばれるコマが配置される。このコマは縦横に進むことが出来るが、序盤ではその前にある「歩」を動かさないと、前に出ることは出来ない。飛車の前にある歩を動かすことを、「飛車先の歩を突く」などと表現し、飛車の前のことを指して言う。

▲藤沢の小田急デパート(ふじさわのおだきゅうでぱーと)「134」:藤沢駅南口前に建つ「江ノ電ビル」内にあるデパート。かつては江ノ電百貨店であったが、その後小田急デパートとなり今日に至る。2階からは江ノ電が発着する。JR・小田急の藤沢駅とは、ペデストリアンデッキで結ばれている。藤吉家は、けっこうここでも買い物をするもよう。

★フラワーショー(ふらわーしょー)「151」:花を展示物とする展覧会のようなもの。小田急向ヶ丘遊園(下方参照)で、毎年春から秋にかけて行われていた、花展のこと。

■星国のプラットホーム(ほしくにのぷらっとほーむ)「138」:ハモニカ星国では、星と星の間を行き来するのに、列車形移動体「星のトレイン」が使われる。列車なので乗車するときは、プラットホームが必要であるが、ここでは宮殿内にあるものを指して言う。1面1線(1本の線路に対してホームが1つあること)で、通常ホームを左に見るように、星のトレインは入線する。

▲本牧のシンボルタワー(ほんもくのしんぼるたわー)「145」:正式な名称は横浜港シンボルタワー。本牧埠頭のD突堤というところに建ち、出入りする船の信号所の役割と、展望台を持つ港湾施設。英文字を表示して、船に信号を送る。

▲本牧埠頭(ほんもくふとう)「145」:横浜みなとみらい地区や、山下公園、大桟橋、氷川丸などのさらに東側に位置する埠頭。本牧地区にある。横浜ベイブリッジのほぼ真下にあたる。いくつもの突堤があり、そのうちのD突堤には、信号所として「シンボルタワー」(上参照)が建つ。物流の拠点。元は海岸であった地域を、埋め立てて作られた。

●みなとみらい(みなとみらい)「145」:横浜港西部の造船所や、貨物線路などの跡地を利用して再開発した、桜木町駅付近地域の名称。正しくは「みなとみらい21地区」という(略称としてMM21とも)。高層ビルやランドマークタワー(下方参照)、宿泊施設、会議場などが集まる。観覧車のある遊園地、横浜コスモワールド(上方参照)もここにある。

▲耳穴式体温計(みみあなしきたいおんけい)「137」:体温を測定するには、体内の温度を測定しないと意味がない。そのためいろいろな測定法があるが、最近では耳穴に差し込んで、鼓膜から放出される赤外線から、体内の温度を測定する方式の体温計がある。それをさして呼ぶ言葉。通常1秒程度で測定でき、簡単、確実、正確に測定できる。

▲向ヶ丘遊園(駅)(むこうがおかゆうえん)「151」:神奈川県川崎市の、登戸駅から約600メートル先にある、小田急線の駅。少し前まで存在した向ヶ丘遊園(遊園地・下参照)が、駅名の由来だが、昔は「稲田登戸」と呼ばれ、南武線との間の連絡線が存在したりした。小田急線の通勤区間と近郊区間の分界点の駅とされ、ここより新宿方をインター区間、以遠をサバー区間などと呼んだが、最近では長距離の通し運転列車が多くなり、あまりその区別は意味を持たなくなった。一部の特急ロマンスカー(下方参照)が停車するなど、駅の規模としては大きい方。しかし遊園地の閉園に伴い、利用客数は減少し、多摩急行電車が通過するようになるなどの変化も見える。

▲向ヶ丘遊園(地)(むこうがおかゆうえん)「151」:1927年当時の小田原急行鉄道(現小田急電鉄)によって整備された遊園地で、当初は無料開放されていた。戦前からガソリン機関車の引く豆列車が、稲田登戸駅(現向ヶ丘遊園駅)から乗客を遊園地正門前まで輸送していたが、バッテリー機関車への更新を経て、1966年にモノレールになっていた。しかし少子高齢化と、レジャーの多様化の中で、比較的ベーシックな遊園地の姿を残していた向ヶ丘遊園は、次第に時代の流れから取り残され、モノレール車輌の致命的損傷の発見と、運行停止もあり、ついに2002年3月末で廃園となった。全盛期には夏のプール、冬のスケート、ボウリング場、フラワーショー、宙返りコースターや、各種遊具、キャラクターショーなど、ごく一般的な遊園地のメニューを持っていたが、やや山がちな地形と、駅からの距離なども災いした模様。現在跡地は、大部分川崎市に寄贈され、バラ園は今も市民に解放されている。

▲夜間診療所(やかんしんりょうじょ)「137」:通常開業医は、朝から夕方まで、病院でも朝から午後まで程度診療を行うが、ケガや病気は夜間・休日でも発生する。特に子どもや高齢者の場合、急速に容態が変化するため、開業医や通常の病院が診療していない時間でも、診療が受けられる施設が必要となる。そのような住民の要求に応えるため、夜間や休日でも医師・看護師が常駐している診療所のこと。鎌倉市は材木座に実在する。内科と小児科で、夜22時45分まで診療。

▲柳小路(駅)(やなぎこうじ)「134」:江ノ電の藤沢駅から2つ目の駅。両側は住宅街の小さな駅であるが、鎌倉寄りには廃止された別の小駅のあともある。

▲由比ヶ浜(駅)(ゆいがはま)「144」:江ノ電の鎌倉駅から2つ目の駅。都心から近く、著名な海水浴場「由比ヶ浜」(由比ガ浜と書くことも)の最寄り駅。沙也加ママさんのお店、「HONNO KIMOCHI YA」の最寄り駅でもある。昔は「海岸院通」駅、その後「海岸通り」駅と呼ばれた時期もあった。

▲代々木上原(駅)(よよぎうえはら)「134」:小田急線の新宿を出て最初の急行停車駅。高架上にあり、地下鉄千代田線との連絡駅。千代田線の終点。かつては、地上に設けられた小駅であった。忙しく出入りする電車を眺めることが出来、新宿方には新宿の高層ビル街がよく見える。

▲ランドマークタワー(らんどまーくたわー)「145」:横浜みなとみらい地区に建つ、当時世界最高の高さを誇った高層ビル。地上70階。本来はオフィスとホテルのビルであるが、「ふもと」にショッピングモールがあり、文字通り観光の「目印」ともなっている。テレビにもよく登場する。

●連絡地下道(れんらくちかどう)「144」:駅などの東西南北や、特定地点同士を、地下で結ぶ道路。通常人とせいぜい自転車程度のものが通ることを想定して作られる。ここでは、鎌倉駅の東西を結ぶ地下道のこと。横須賀線ホームの直下にある。地下部分の両側は、市民ギャラリーになっている。

★露出計(ろしゅつけい)「143」:写真を撮影する際に、そのフィルムの感度に見合った光を当ててやらないと、適正な色や濃度の写真は得られない。そのため、フィルムに光を当てる時間や量を加減するシャッターや、しぼりというものがカメラやレンズには搭載されているが、それらを適正な状態にするために、光の量・強さからフィルムへの露光時間を算出するための器具。最近はカメラに組み込まれており、単独で使用する機会は少ないが、本格的に写真の勉強をする人には欠かせない道具の一つ。

●ロマンスカー(ろまんすかー)「134」:小田急電鉄の特急電車の愛称。起源としては、戦前京阪電鉄が使いはじめた用語であるが、当時2人がけの、カップルが座るような座席を、ロマンスシートと称し、喫茶店や映画館に設けられたという。それが、一方向向きの2人がけ横手座席をもつ特急電車の愛称になり、小田急電鉄で戦後デビューした1700系電車の愛称としていつしか定着した。ただし当時の1700系特急電車のデビュー時ポスターに、すでに「ニュールックロマンスカー」の文字が見えることから、その前の特急電車である1910形から、すでにロマンスカーと、散発的に呼ばれていたようである。しかし1910形は、向かい合わせ席であったので、ロマンスシートとは言い難く、この辺の経緯は今となっては不明である。その後小田急電鉄は、鉄道車輌の常識を覆す設計の、3000形ロマンスカーを1957年に登場させ、当時の狭軌鉄道世界最高速度記録(145km/h)を樹立した。これは新幹線につながる高速電車の技術開発に、大きく貢献した。この3000形特急電車(SE車と呼ばれる)の登場は、名実ともにロマンスカーの名称を世にとどろかせ、以後国際的観光地箱根に、江ノ島に向かう特急電車の愛称として、関東地方だけでなく、日本国内に知れ渡らせたと言っても過言ではない。現在、「ロマンスカー」は、小田急電鉄の登録商標となっている。

●若宮大路の脇の教会(わかみやおおじのわきのきょうかい)「132」:若宮大路の鶴岡八幡宮に向かって右側を歩くとある教会のこと。カトリック教会。青空に立つ十字架は印象的。

▲和田塚(駅)(わだづか)「144」:江ノ電の鎌倉から藤沢に向かい、1つ目の駅。駅名の由来は、史跡和田塚(北条氏に破れた和田義盛一族が葬られているところ)から。


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