ミンキーモモのスクール水着姿続き


ミンキーモモのスクール水着画像

 ミンキーモモさんのスクール水着も、最新の「21世紀仕様」に近くしてみました(ついでに左足のサンダルが脱げかかりに描いてしまいました)。最近(2019頃)は、とある母親のブログ(全然知らない人)によると、半数くらいの女子児童がこんな感じのスタイルなんだそうです。
 これは、トップスは「長袖ラッシュガード・前ファスナータイプ」で、ボトムスはいわゆる「スパッツ」形のものです(長ズボン形のものも存在します)。特にトップス・ボトムスともに、ほとんど男女の違いはなくなりました。ごく最近(2022年シーズン前)には、完全に男女の違いを無くしたタイプも出現しており、私ら世代には想像も付かない方向へ行っています。まあしかし、ジェンダーフリーおよび性的マイノリティーの人への配慮という観点、さらには子どもたちが恥ずかしいと感じる思いを取り去る意味からは、それも好ましい方向性と思います。
 1982年に私たちの前に現れたミンキーモモさんも、21世紀も始まって20年くらいになると、スクール水着はこういうものを着るだろうということですね。21世紀に入ってから顕著になった気候変動の影響もあり、紫外線が強くなったり、暑い夏ばかりになり熱線がきつくなっている現代、このように肌を守る必要が出てきたのは、それはそれでゆゆしき問題ではありますが、それとともに考え方の変化から、授業と言えども体の線を他人にさらすことは、あまり好ましいとは思えないと考える人が増えたことは、個人の尊重という観点からは、それもいいことなのではないかと思うところです。

 機能面としては、この水着であれば、例えば海が近い人や、夏休みのプール開放などの場合、家から着て行って、そのまま泳いで、着たまま帰ってきても、特に問題なさそうというのもちょっと驚きではあります。すなわちそれは、スクール水着を旅行先や市営プールなどでも着ても、あまり目立たない時代が再来したかもしれない、ということでもあります。
 なお、ラッシュガードは、前にファスナーがあるタイプを、万一の危険性除去のためとして禁止している学校があるそうなので、実際に購入する場合は(この記事を読んで購入の参考になさる方がおられるとは思えないですが…)、よく確認が必要なようです。

<スクール水着の起源を考える>
 ここまで「スクール水着」を概観してくると、その歴史的なことも気になります。1936年のベルリンオリンピックで、男女競泳選手が着用していた水着が、戦後発達する「スクール水着」そっくりであったことは、少し前にも述べましたが、形態としてあの形の水着が、いつ頃始まったのかについては、はっきりしていないのではないかと思います。
 日本国の歴史上、戦後と戦前というのは、大きな転換点になったと思われますし、戦後には技術的な革新により、衣類の素材や形状が大きく変化もしています。それらと「スクール水着」の発達は、無関係とは思われませんが、ひとまず戦前の学童たち、また一部大人たちも、どんな格好で海水浴などしていたのかについて、調べてみようと思いました。

 とはいえ、戦前の習俗のようなものを探るのに、膨大な書籍にあたるというのは現実的では無いので、何か適当な資料は無いのだろうかと思っていたところ、「絵はがき」に結構参考になりそうなものがあることがわかりました。
 いくつか入手してご紹介し、その中で当時の人々がどんな姿で水と親しんでいたのかについて、解説したいと思います。いったんミンキーモモさんなどのアニメキャラとは離れることになりますが…。

逗子海岸戦前の様子です

 神奈川県逗子市の、逗子海岸です。これはたまたま発見した絵はがきで、「逗子名勝 逗子海水浴場 横須賀鎮守府検閲済」の右書き記載があるものです。したがっておおよそ昭和10年代ではないかと思いますが、「検閲済」という割にはのどかな風景が広がっています。今のように、海の家がおしゃれになっていたり、チャラいお兄さんがナンパしていたりということは無さそうですし、何より人が少ないです。沖には「飛び込み台」と思われるやぐらがあり、波の高さはさほど高くない様子が見て取れます。
 この絵はがきが面白いのは、手前に女の子たちが写っており、まるでその子たちを写したような画面構成であることです(その割には露出が暗いのですが、当時のフィルムの感度と、強い日差しのもとでは、なかなか難しい撮影であったでしょう)。
 そこでこの子たちの水着がどんなものかよくよく見てみますと、特に中央の子は、近年まで主流であった「スクール水着」に似たようなものを着用しているように見えますが、下半身は露出の関係で形状がよくわかりません。右から2人目の子も肩のあたりは中央の子と同様ですが、注目するべきは一番左の子と、右から2番目の子で、水着のすそは、太ももの上部まである「短パン」のように見えることです。すなわち上下はつながっているのに、下は短パンのようで、トップス部分はあまりその後の形態と変わらないのが特徴と思えます。それと、直接形態に関係ないですが、この時代は女の子のたしなみ?として、みんなスイムキャップをかぶっていることがあげられそうです。髪が砂や潮で汚れるのを嫌っているのかもしれませんね。
 ゴムボートやうきわが見えますが、素材がビニールでは無いと思われます。

鎌倉市由比ガ浜海岸の様子

 続いてこれは、神奈川県鎌倉市由比ガ浜海岸の様子です。右書きで「鎌倉由比ヶ濱」と記載があります。ここで意外に思えるのは、男性や男児の水着です。一番左端の成人男性と思われる人物は、上の逗子海岸で女の子たちが着ていた水着と同様、胸はかくれていて、かつ下はやや長めの短パンみたいな形状であり、すそに白い太めの線が入っています。左手前の後ろ姿の男の子もほとんど同様で、さらには画像中央背中を向けている男性も、やや短パンの丈が短めという以外同じに見えます。背中のくりは小さめで、あまり泳ぎやすい形状とは思えません。
 この画像の年代は、あまり正確にわかりませんが、戦前であることは間違いなく、軍部が海水浴を体力作りのために推奨したような時代でしょうから、やはり昭和初年頃から昭和10年代までの間ではないかと推定します。
 では、女の子の水着姿はどうなのかについても、検証したいとは思うのですが、この絵はがきには、見る限り女の子の姿はあまり無く、中央やや右よりに浮き輪をはめた子がいますが、姿は不鮮明でよくわかりません。また左手前に白ブラウス?の背中向きの子がいますが、この子はお尻丸出しで、水着は着ていません。今からすれば驚きですし、大変な「事案」ですが、おおよそ昭和40年代までは、水着が無ければ裸で泳ぐ(もしくは水遊びする)子どもがいるのは、さして珍しいわけでもなかったように思います。
 事実、母に昔話を聞いたりしますと、特に地方の子どもたちは、男女ともに丸裸で川で泳ぐなど珍しいことでもなかったそうで、ある意味そうやって性の違いを認識したりしていたのかもしれません。

 と、ここまでの絵はがきからは、戦前の水着には、あまり男女で目立った違いは無さそうにも思えます。このことは現代からすれば驚きですね。

蒲郡海岸の様子です

 これは、愛知県蒲郡市の常磐館という旅館前にあった小さめな海水浴場の風景と思われます。常磐館は、多少紆余曲折がありましたが、2022年現在は「蒲郡クラシックホテル」となって存続しているようです。
 さて、この絵はがきは、「蒲郡風景 常磐館前海水浴場の賑かさ」と右書きで書かれています。なぜかローマ字が「Kamagori」になっているのが気になりますが、直接関係ないので割愛します。
 この絵はがきで特徴的なのは、まず一番左下の男の子の水着でしょうか。この子は頭が丸刈りなので男の子であることは間違いありませんが、やはり上下がつながっていると思われる水着を着ています。そして形状からして、胸の両側は見える状態で、現在のレスリングユニフォームのような形なのは、やや珍しいのかもしれません。
 また右端の男性(めがねをかけている)も、胸が隠れるタイプの水着を着ており、結局戦前の時代は、男性もおおよそ胸を少なくとも一部は覆って、肩に肩紐をかける形状の水着を着ていたことがわかります。
 さらに特筆すべきは、女の子の水着姿を見ると、なんとなく肌着のままではないかと思われる人(中央部左付近に二人)と、中央やや左に浮き輪を前にしている人の場合、スカートのついた水着と思われるものを着用している人がいること、また左奥には肌着や浴衣と思われるもので子どもに付き添っている人がいることです。
 右中あたりには、浮き輪をはめた二人の女の子がいますが、例によってスイムキャップをかぶっていて、水着の上半身は、その後の「スクール水着」に近い形のものに見えます。しかし、下半身は短パン形かもしれません。

 結局、1936年ベルリン五輪での男女競泳選手の水着と同様、一般に着られていた男女の水着もこの時代は目立った違いがなく、近年の「ジェンダーフリー」タイプの水着は、ある意味「先祖返り」の様相を呈しているとも言えそうです。男性の水着というと、「ふんどし」が思いつくわけですが、上に掲げた絵はがき類を見る限りでは、そんな格好の男性はあまり見当たりませんでした。時代的に普及してなかったとも思えないのですが…。

 その後、撮影者不明の家族写真と思われる写真を入手出来ましたので、もう少し検証してみます。
 まずは戦前の写真とされるものから。説明によれば、お医者さんのおうちの娘さんらしいです。さすがに大昔の写真ですので、ここから個人が特定される恐れはまず無いと考えられますから、公開に問題は無いでしょう。

小学校高学年程度の女児画像です

 この子はやや年齢が高めで、そういう意味ではミンキーモモさんと近い年齢かもしれません。おおむね小学校高学年くらいに見えます。この子が着ている水着は、当時としては斬新なものではなかったかと思われる、上下がつながっているものの肩紐や背中のデザインは、今とそれほど変わらない形で、かつベルト状のあしらいがあり、ボトムス部分は完全なスカートになっているものです。昭和10年代頃?。どこかの川(鈴鹿川?)だと思いますが、今では想像も付かない清流です。撮影者不明。時期的に著作権切れ(以下全て同じ)。

小学校高学年程度の女児画像です

 同じ子の背中側がわかる画像。やはり背中はクロスバックになっていて、かなり近年のものに近づいたデザインであることがわかります。戦前にも既にこういう水着があったのですね。

小学校中学年程度の男児画像です

 では男の子はどうなのかを見てみますと、上の女の子のきょうだいと思われる男児の画像がありました。これを見ると、一見女の子と同様なデザインで、ボトムスが短パンになっているように見えますが、どうもこの子はランニングシャツと短パンで水に入っているようです。しかし、男性用の「海パン」は、この頃が時代的な発祥かもしれません。

小学校低学年程度の女児画像です

 上の画像の子どもたちの、別なきょうだいなのでしょうか。左の子は女の子で、この子も上下がつながったトップス側はランニングシャツ形、ボトムス側はスカート形の水着を着ています。短パン形ではありませんね。この一家はやはりお父さんが医師ということで、子どもたちにちゃんとした水着を買い与えていたのかもしれません。右側の男の子も、普通の海パンを穿いているように見えます。
 残念なのは、一連の画像では、材質がよくわからないことですね。戦前というと、ナイロンの商品化が1938年だそうで(昭和13年)、「家柄」の良さからすると、もしかすると出始めのナイロン水着ということもありうるかもしれません。

戦前女性と女児の画像です

 この画像も同一の家庭、かつ撮影者も基本的に同じと思われますが、これを見ても、女の子(手前)の水着はスカート付きでかつぐように通す肩紐が付く、近年でも特に幼児から小学校低学年くらいまでにはよくあるような形状の水着が見て取れます。
 右側の大人の女性は、「お母さん」つまりは、撮影者の妻ではないかと思いますが、この人の水着も、当時としては斬新なものであっただろうと思います。1966年(昭和41年)の、前田美波里さんのデビュー時ポスターの水着姿にすら似ています。すなわちスイムキャップに、上下がつながったスカート付き、ベルトが付いたデザインの水着で、思いの外明るい色が使われていた様子ですね。鈴鹿川にて。撮影日、撮影者不明。著作権切れ。

戦時中のポートレート画像です

 さらにその後入手した写真をお目にかけます。
 これはどこかの写真館が撮ったのか、そうでなければ今で言う商品カタログ写真の原版ではないかとすら思わせる、1943年(昭和18年)撮影とされる写真です。海をバックにしているように見えますが、よくよく見ると背景は絵に描かれたもののようです。したがってここはスタジオではないかと思えます。
 おおよそ10歳から12歳くらいの少女が、当時の最先端と思われる水着を着てポーズを取っている写真(ポートレート)、ということのようですが、これも上半身部分は毛糸素材にも見え、それでいて腰にベルトが通っており、スカートはナイロン素材にも見えます。持っている浮き輪は、おそらくゴム製と思われます。ライティングのせいなのかどうかはわかりませんが、肌はかなり小麦色に見え、少女の固めの表情は、時代を物語ってはいるものの、ボーダーが入った上半身部など当時としてはおしゃれな水着なんじゃないかと思います。上の医師一家の子どもや母親が着ているものと、基本的デザインはおおむね同じですね。
 しかし、この画像でも、その後の「スクール水着」に直接つながるデザインとは言い切れず、一応上半身がランニングシャツ形で、下半身がベルトのついたスカート(パンツ内蔵)という形状が、系譜としては一応関連していそうという程度のことしかわかりません。撮影者不明。1943年。場所不明。著作権切れ。

 結局ここまでの時代は、今に通じる水着デザインの萌芽が見て取れますが、やはり今の目で見ると古くさい感じではあると思います。それは現代の水着が具備している「機能性」があまり感じられないからでしょうが、一方で、その後の「スクール水着」のような、一種の均質性の発祥は見いだせず、割と市井の人々は、好き好き勝手な格好で水泳をしていたようにも思えます。つまり、戦前の水着には、一応ベルリンオリンピック選手たちの影響はあると思われて、そこに「スクール水着」のデザイン的な原点は見いだせても、メディアが画像や映像を簡単に伝えられる時代でも無く、デザイナーが存在して自由な発想で形を提案するという時代でも無いことから、戦後の「スクール水着」の発達と発展へのつながりは、ほとんど無いと言い切れるかと思います。

戦後の児童の水着姿画像です

 この画像は戦後の撮影です。1957年8月に静岡県の大浜海岸にて撮影された、やはり県職員の家族と町内会の人の写真だそうです。
 この画像で特徴的なのは、右側の女の子の水着は、化学繊維を用いたスカート付き、肩紐が本当に紐に近いものであるのに対し、左側二人の女の子は、素材に毛糸を用い、デザイン的にはややパンツ丈は長めなものの、その後主流となる「プライベートゾーン」のみを隠すタイプの水着に、だいぶ近くなって、その面ではデザイン的に「スクール水着」にやや近づいた感があることでしょうか。
 また、右端や左遠方の男の子たちの水着も、単なる海パンになり、上半身を覆うものは無くなっています。

戦後の児童の水着姿画像です

 これは別カットではありますが、同じ女の子に男の子二人が加わった状態の画像です。男の子は一応パンツになっています。胸は露出する形になったわけです。これは男性用水着の戦前と戦後で起こった一番の変化であろうと考えられます。
 毛糸で出来た女の子の水着は、おそらくこの頃が終焉期に近いのではと思われます。1960年頃からおそらくは急速に化学繊維で出来た水着が普及していったと考えられるからですが、まだこのあたりは資料が少なくて、確証を欠くところです。
 それにしても、毛糸の水着は保温性はよさそうですが、思いの外胸の両側が開いているデザインなのが驚きです。浮き輪やビーチボールには、ビニール素材が使われているように見えますね。
 いわゆる「プライベートゾーン」のみを覆うような水着が主流となったのは、スポーツとしての水泳が「泳ぎやすさ」を求めるようになったため男性用の水着からは「上半身部分」が無くなり、女性用については短パンを廃して、太ももを露出させるようになり、背中のくりも大きくなったのではないかと推察されます。そしてそれを実現させるために、ある程度の伸縮性や撥水性を持った化学繊維の発達と応用も関連があるものと思われます。
 その後、特に女性用水着は、「見せる水着」へと変革していくのですが、「スクール水着」への波及はほとんど無いと考えられるので、そこは検証してもあまり意味は無いでしょう。

 このように、女子用水着に関しては、戦後しばらく戦前と同様な状態が続いていたと見ていいのではないかと思います。

 戦前の水着と、「スクール水着」には、形態上の共通点があるので、一応のつながりはありそう、またそれにベルリンオリンピックでの日本選手の活躍と関連がある程度のことは言えると思いますが、やはり戦後のスポーツの発展、素材の開発、学校での均質な水泳授業の導入とプールの普及という諸点が複合的に作用した結果、「スクール水着」が出来てきたのだと想像できます。

 一方、日本の学校で水泳の授業が始まったのはいつなのか、ということも、当然にしてその授業のための道具の一つである「スクール水着」に直接的に影響するので、それも少し調べてみました。

 一説によると、国鉄の宇高連絡船で起こった「紫雲丸事故」が、学校で水泳を教えるきっかけになったとも言われます。
 例えばこの記事を書いている段階では割と最近の記事として以下のものがあげられます。

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 そもそも学校のプールが普及したのは、1964年の東京オリンピックを前にした1961年、スポーツ振興法が制定され、国が学校のプールに建築補助金を出したことがきっかけといわれている。…(中略)…
 水泳の授業が学校で行われることのきっかけとしてよく語られるのが、1955年にあった紫雲丸沈没事故である。修学旅行中の子どもたち168名が命を落としたこの事故が、「水難事故防止のための水泳授業」の普及に大きな影響を与えたとされる。
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※PRESIDENT WOMAN Online 2023.08.31号(https://president.jp/articles/-/73400 1・4ページより部分引用)

 これについては、異説もあるようで、例えば、

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 「東京オリンピック(昭和39年)の開催を前にした昭和36年にスポーツ振興法が制定され、スポーツ施設整備と選手強化を促進するという法の主旨を受けて、国による学校プール建設に対する補助が定められたこと、また、日本の高度経済成長期にもあたるこの時代は、学校施設を整備する市町村の税収も増加したことが、学校におけるプールや体育館が急増した主因であると想定できる。つまり、水難事故対策というよりも、経済成長によって、学校におけるスポーツ振興のための施設整備費が増加したことが、学校プールと水泳指導の普及要因と分析することに合理性がみられるのである」
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とする、東洋大学大学院客員教授 南 学氏投稿の論文「学校プールの共同利用と跡地活用の可能性―1学校に1プールを問い直す
―」も見つかります(https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/19230.pdf の3ページより部分引用)。
 この論文には、加えて「急速に学校プールの整備が進んだのが昭和40年以降」との記述も見られ、相応の説得力があると言えるでしょう。
 ただ、当時(1955年)の衆参国会・文教委員会でも、児童・教員の泳力向上、プール建設に関する質疑が、紫雲丸事故を含めた水難事故に関してなされているので(https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102215077X00419550514&current=1とhttps://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102215077X02719550730&current=1)、学校へのプール設置振興が、水難事故多発のため、あるいはスポーツ振興法のためのどちらかだけで進んだということも無いように思えます。

 そのような背景をおさえた上で、使う場所が無いのに道具(この場合は「スクール水着」という定形的な水着)だけ作られるはずもありませんから、やはりプールの普及に伴って、児童たちの泳力向上のために開発・発展したと考えるべきでしょう。そしてそれが1965年頃から学校プール施設が急速に普及したというのであれば、当然「スクール水着」の発祥もそこにあると思えます。ですが、直接スクール水着の形態が、よく知られるものとして定着するのには、1964年の「東京オリンピック」との関連がありそうなものの、もう少し戦後の歴史的な空白を埋める必要がありそうです。
※絵はがきも、撮影・発行時期からして著作権切れしています。

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 さて、とりあえずモモさんの「スクール水着」姿のイラストは、今後「前側に水抜きがついたタイプ」について考察するのに伴い1点程度追加を考えていますが、ひとまずこれまでといたしたいと思います。ですが最初の「検証課題」であった、「似合うのかどうか」について、少し触れたいと思います。
 私個人としては、学校にはほとんど通ってないミンキーモモさんでも、「比較的新しい形状のスクール水着」は、案外似合うのではないかと、考え直しました。特に色は黒がシャープで似合っているように思えます。また、このページ上のラッシュガードにスパッツというのも、なかなかかっこいいと思えます。ミンキーモモさんというような年齢の人(1000年以上生きているようですが…)は、私たち世代からすれば、もう孫みたいな年齢かと思える(笑)ので、「かわいらしい」というような感情のほうが先に立ちますが、一人の女性として考えれば、やはり「美しくかっこよくあって欲しい」とも思うので、そのような水着であれば、スクール水着であっても似合うと思います。つまり「保守的」に見える「スクール水着」であっても、いつの間にかバラエティに富んだものになっていたということでもありましょうか。

 次のイラストでは、普通のレジャー水着のモモさんを2点ほど載せてみたいと思います。これとの比較もしてみて下さい。

ミンキーモモの水着姿画像です

 まあ、ミンキーモモさんのレジャー水着スタイルの一案。花火のような柄を想定していますが、白地なので実際には肌が透けないような対策が必要です。
 白い水着というのは、一時期流行りましたが、やはりそのままだと肌が透けてしまうので(白以外でも薄い色は注意が必要とされます)、特殊な繊維や編み方で対応したメーカーがありました。一般的には、アンダーウエアを着てから重ね着することでの対応になるかと思います(そのへん詳しいわけではないので、細かいところはわかりません)。
 それはさておき、ミンキーモモさんは、年齢的にもろに「思春期」なので、実際には「結構恥ずかしがり」なのではないかと思えます。しかし、そうするとスクール水着のようなある種「保守的」なものもいいのですが、逆にここに示したような「華やかな」ものも、この時期にしか着られないだろうと思え、特に思い切った原色系を使ったものが似合うのかもと思えます。

ミンキーモモの水着姿画像です

 ミンキーモモさんのレジャー水着姿その2例目です。この人には原色系が似合うと思うのと、意外と複雑な柄が似合いそうにも思えるので、そのようにしてみました。また、地色は黒にして、上のものとは対照的な感じにしましたが、どうでしょうね。
 やはり、イメージ的にはこのような「学校系」でない水着のほうが似合うと思うのですが、全体として、髪がピンク色系なので、全体に華やかなものが似合うことと、年齢的にあまりシック過ぎるものや、地味な柄ものは合わせにくい印象、黒系が意外に似合うというような特徴がありそうに思えます。
 さて、みなさんいかがでしたか。

 モモさんに限らず、スクール水着を今まさに着ているであろう世代の人はどうなんだろうかと、ふと考えまして、そういえばと『ドラえもん』から「源 静香さん」に着せてみて、どんな似合い具合か見てみようと思いました。
 モモさんに比べると、わずかに年齢が下ですが、昨今の成長個人差からすれば、さしたる違いはありません。しかし、もろに小学生であることは、原作、アニメ共にしっかり設定されているので、学校の水泳授業では着るでしょう。
 今までしずかさんのスクール水着姿というのは、旧シリーズ(大山のぶ代さんがドラえもんの声を当てていた時代)の、ごくわずかな時期にそれらしいものが確認されていますが、原作では全く見られません。原作でのしずかさんは、とても衣装持ちで、いろいろな姿を読者に見せてくれます。
 前置きが長くなりましたが、「源 静香さんスクール水着姿」いかがでしょうか。似合いますかね。

源静香ちゃんのスクール水着姿画像

 私「F-girls」(藤子・F・不二雄先生が描く少女たちのこと)を描くのは初めてです。それもあってか、この人は思いの外描きにくかった印象です。かなり修正を繰り返しましたし、手本にしたカットの等身があまり統一されていない印象だったり、頭がモモさんより大きいので手とのバランスがシビアだったりしました。そのため足先が描ききれないという事態に(笑)。一応2005年のリニューアル以降のアニメ版しずかさんを想定して描くことにいたしました。

 タイプとしては、ノーマル・ベーシックなスクール水着で、胸パッド入りを想定した感じといたしました。
 しずかさんに、スクール水着が似合うのかどうか、見ていただければ幸いです。

 なお、源静香さんについては、後年になってから「ピンクのラッシュガード水着」を着て、のび太の造ったウオータースライダーを滑るというストーリーがありますが、これについては、世間の人々の少なくとも一部が少々誤解をしているようなので、なぜラッシュガードを着ていたのか、スネ夫とジャイアンも同様の姿であったが、その関係はなど検証を試みたいと思っています。

(以下次号)

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