餌やりが個体数を増加させるという「嘘」

 
 昔は公園などで、鳩に餌をあげるという行為は、特に迷惑視されるということもなく、ごく当たり前に行われていました。ところがここ数年、急速にかつやや感情的にそれらは禁止、もしくは中止勧告が行われるという事態になっているようです。

 それは土地価格が高騰する中で、主として都市の土地が細分化され、多くの都市生活者が、軒を接するような生活になったり、集合住宅がやたらと増えたりした結果、都市のスプロール化が進行し、本来人間が余裕を持って生活していたはずの場所に、ひしめき合うように住まざるを得ない状況になって、それがもともと一定の個体数をもつ鳩の生活圏と重なったことにより、多くの人々が「鳩害」と呼ぶ事態が発生しているため、と考えられます。またそれを助長する結果になっているのが、自治体を主とした「お上」「お役所」が、苦情処理のためなのか、率先して「鳩害が存在する」と広報したため、それにつられて、実際にはさしたる害を被っていない人までもが、行き過ぎた共通認識を持つに至っているとも考えられます。

 本来的に、都市のスプロール化を進め、認めてきたのは、国であり自治体であり企業です。それらの政治・経済活動を、選挙という手段によって「支援」してきたのは、また現代の人々ではありませんか。
 その現代の人々は、開発や乱獲、治水のために設けた堰堤やダムで、川の魚を激減させる一方、稚魚の放流をしてみたりするなどという、妙な矛盾を抱えていたりします。そういう人々が、昔から習慣として定着していた、野生生物への餌やりを、いまさら問題にするというのは、いささか違和感を感じますし、問題の根源は単純なことではないと思えます。

 さて、ここからは純粋に論理的な考察や論証をしてみようと思います。
 よく、鳩や鳥に「餌やり」をすると、栄養が豊富になることにより、年中繁殖するようになり、その結果個体数が増加する、と、いろいろな自治体のホームページや、日本野鳥の会のホームページにまで書かれています。しかしこれは、本当でしょうか?。

●日本野鳥の会によれば、
「広島市では,平和記念公園にドバトが増え,近隣のマンションなどから糞害や営巣してダニが出るなどと苦情が多くなりました。そこで,専門家を呼んで対策委員会を設け,5ヵ年計画で餌やりを制限・禁止した結果,5年後にはドバトの数が4分の1まで減少し,苦情もなくなりました。スイスのバーゼル市でも,広島市と同じくドバトが増えて苦情が多くなり,まず駆除を試みました.8割まで個体数を減らしたところ,周辺からどっと入り込んできて,かえって元の数より増加してしまいました。その後は第2段目の対策として餌やりを制限・禁止したところ半数まで減り,目的を達成しました。」
…と記述しています。

●東京都武蔵野市のホームページによると、鳩などへの餌やりについて、
「人間が餌を与えて数を増やさなければ、都市社会で生きられるハトの数は自然と限られてくるのです。」
…とあります。

●東京都福生市のホームページによっても、
「栄養状態がよくなるため、1年に何度も繁殖します(2ヶ月に1回程度繁殖します)。」
…とあります。

●個人のホームページの例として、
「餌だけやって、あとで知らん顔するのは自己満足だけの無責任人間だと思う。」
…という記述も見られます。

 ここで問題なのは、どのページの記述もそうですが、数値的な裏付けが全くないことです。
 日本野鳥の会のホームページは、一見数値的な裏付けがされているように見えますが、個体数が減ったかどうか、という議論であるとすれば、残りの減少分にあたる死骸が回収されるか、または「死んだと推定するに足る証拠」がないと、「個体数が減少」した裏付けにはならないわけです。
 広島市の例ですと、餌やりの禁止で、本当にドバトの数が4分の1に減ったと言うためには、猫やカラスによる死骸の捕食分も含めて、4分の3の死骸がカウントされないと、個体数が「減少した」とは言い切れないということです。

 武蔵野市のホームページの例では、人間が餌を与えることが、数を増やすという記述をしていますが、それの裏付けはなんらなされていません。人間が餌やりをすることで個体数が増加するという、数値的裏付けが無いのです。これでは全体が信用できません。

 福生市のホームページの例は、餌をたらふく食べると、元気モリモリになり、1年に何度も繁殖する結果、個体数が増える、という意味でしょうが、そもそも鳩は年中繁殖期の生物であり(少なくとも暖地の都市部では)、餌やりによって栄養状態がより良好になり、それが繁殖率増加につながっているのかどうか、具体的に検証されていないのが気になります。その点で、説得力に欠けますね。

 以上、「常識化」していることが、実のところ何の裏付けもないのです。
 ここで、「餌やりが、当該動物の個体数を有意に増加させ、それが特定の問題を引き起こす」と結論づけるには、以下の条件が必要になると思えます。
●通常、科学的論証のためには、学会などへの論文発表が必要となる。
●学会などへの論文発表のためには、十分なサンプル数に裏付けされたデータが必要。
●この場合では、例えば「餌やり」をした群と、しない群に鳩の群れを分けた上で、その後それらの群の個体数がどのように変化したかを追跡する必要がある。
●その場合、大規模な庭園をいったんすっぽりと網で被ってしまい、その中で群を、試験区と対照区の2つに分けて観察し、それを各地で繰り返すなど考えなければならない。寒冷地ではどうか、暖地ではどうか、都市部と農村部で違いがあるか、餌やり群で、有意に繁殖率が向上するかどうか。これらを大規模に調査し、データを検証しないと、他のファクター(例えばエアガンで撃つ馬鹿者や、禁止行為なのに鳥かごで飼ってしまう人などの人為的な要素、猫やカラスに襲われて、調査対象個体が不意に死亡するなどの不作為な要素)を排除できない。
●餌やり群の餌の量と内容、餌やりをしない群の食餌量なども、厳密に調査しなくてはならない。
●そういった大規模な実験は、膨大な予算と要員を必要とし、自治体なども広域的に協力してもらわねばならないので、実行するのはかなりの手配が必要となる。

 以上の理由により、一度やってみる価値はあると、動物行動学的な観点からは思えますが、実現性は乏しいかも知れませんね。ですが、これがこの論争=「餌やりが個体数を増加させるかどうか」に、決着がつかない原因です。

 ここであらためてになりますが、「個体数」とはどういうことでしょう?。簡単に人間に置き換えて言ってしまえば、「人口」にあたるものです。立教大学の三上修氏の研究(2008)によれば、「日本本土のスズメの成鳥個体数は、およそ1,800万羽と推定」しています。つまりこの日本の「人口」ならぬ「スズメ口」は、1800万羽ということになりますね。これはいわば「広義の個体数」でありますが、その場に集まっている鳥を数えるときにも、「個体数」という言葉を使うことがあります。
 つまり、「あそこの電線に止まっているスズメの個体数は、7羽だ」と言っても間違いではありません。
 しかし、ここで問題にしている「個体数」とは、「鳩の群内総個体数」。つまりある地域に生活している鳩の総量(「人口」ならぬ「鳩口」)であり、その場に集散する鳩の数ではありません。
 どうも、上の方で上げた、「餌やりが個体数を増加させる」という、各自治体などの「仮説」は、この「総量」と、「その場に集まる数」とを混同しているように思えます。

 「朝のラッシュ」というのは、程度の差はあれ、日本中にあるのではないかと思います。朝の都市部へ向かう電車は、一般に混雑していますよね。朝の山手線には、1編成11輌の車輌に、約4000人もの人が乗っているそうです。それが2分ほどの間隔でどんどん走ります。しかし、朝だけ日本の人口が増加しているわけではありませんよね。当たり前です。朝産まれて夕方死に、また翌日生き返る人など、いるわけはないからです。
 ではなぜ朝の電車は混んでいるのか?。それは郊外の住居から、都市部のオフィスなどに移動して仕事などをこなす人が多いからですね。これまた当たり前の理屈です。
 とすれば、少なくとも年中繁殖期と考えられる鳥が、餌やりを受けたとしても、それは一時的にその場に集合しているだけであり、餌が無くなれば、また別の餌を求めて散っていくのではないか、という仮説も成り立ちます。
 もしあなたが、5ミリ角位に切ったパンを持って、公園のベンチに座ったとします。それをパラパラとベンチ前に撒きますと、鳩やスズメが寄ってくるでしょう。そしてパンをついばむかもしれません。しかしあなたのパンが無くなり、ベンチから立ち上がって立ち去りますと、おそらく鳩もスズメもそこから立ち去り、場所を変えて餌を探しに行くでしょう。
 このように、餌や用事のある場所に「集まる」性質は、動物の全てが持っています。しかし、一日中そこにいるのではなく、食べるものが無くなったり、用事が済めばそこから場所を変えるものです。人間ももちろん、その例から外れません。

 上で示した、野鳥の会や自治体のページに見られる記述には、「個体数」という言葉について、本来「総量を示す言葉」なのに、「その場に集まる数」の意味で使用している“すりかえの嘘”がある、と私は考えます。こういう意味の取り違え、すり替え、操作、解釈の変更は、それが不作為になされていたとしても、この種の「公的団体」や「自治体」は、しないほうが良いのではないでしょうか。立場上、もっと厳密であるべきです。
 上の日本野鳥の会のデータなるものでは、広島市の例で、集まっていた鳩の3/4は、単にその場から散っていっただけであり(もちろん、一部寿命や事故で命を落とした個体もあるでしょうが)、「総量としての個体数を減らした」とは考えられません。あたかも、餌やりが「総個体数」そのものを操作するかのような記述を、現状数値的裏付けを明示しないまま、責任持った団体がしてはならないのではないかと思います。上の「●〜●」で示したような、大規模な実験・調査が出来ない現状では、「餌やりの中止が、その場に集散する鳩の数を減らすことに関係したかもしれない」位の表現に、留めておくべきです。

 現状の日本で、条例があろうが無かろうが、個人の思想・信条として、動物への「餌やり」を肯定するのも、否定するのも自由です。しかし、あまりに非科学的・非論証的な物言いで、“嘘”をばらまく行為は、いかがなものかと思います。冷静な論考を望みます。

2010.3.9.すぎたま記

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