旧建物におけるヒナ死亡事件

 1981年1月頃と思いますが、どういうわけか、排水溝に鳩が卵を産んでしまい、それがかえったのはいいものの、排水溝という場所柄、雨天や雪になると雨水が流れるため、親鳩が巣を放棄したような状態となり、ヒナは死去してしまうという事態が発生しました。それまでこの場所で、鳥が産卵するということはなかったので、うちの人々を大いに驚かせる事態でしたが、当時のベランダは狭く、人の出入りも多い場所で、もともと産卵に適した場所では無かったと思えます。ただ、狭い団地なので、ベランダの園芸用品などは、工夫してあちこちに置かざるを得ず、それによって鳩が卵を産みやすい場所が出来てしまったことは否定できません。
 この時も、せっかくなのでと観察を続け、それを観察日記に記していたのですが、思わぬ事態で観察終了となり、残念に思ったものです。
 しかし重要なのは、この事例を見るとおり、この団地には、日常的に鳩などの鳥が飛来してきており、特段珍しいことでもなく、当時鳥を(犬猫すらも)飼っている人が多かったこともあり(鳥は規約上問題なし)、「団地には鳥はつきもの」というところに着目していただきたいと思います。

※このコンテンツ内には、必然的に鳩の死骸の画像が含まれます。むごたらしい画像ではありませんが、その種の画像が苦手な方、教育上好ましく無いとお考えの方は、3枚目の画像をご覧にならないようお願いいたします。


ベランダに飛来した鳩の画像です

 この鳩さんが、親鳩らしいです。このように手すりに鳥がとまっているなど、それほど珍しいことではありませんでした。何しろ3階なのに、ゴミ箱をあさりに来た猫がいたほどなので…。
 手すりの下に見える地面を、横切る白い線が見えますが、これは当時の住宅都市整備公団が、庭に草花や低木を勝手に植えることを、認めていた証拠です。この時代(1950年代末から1960年代半ばくらい)の団地は、建物はともかく、周辺環境を整備する資金に乏しかったらしく、住民有志による花壇作成などは、容認されていました。建て替え時にも、育っていた樹木で所有権を主張しないものについては、まとめて移植しておき、建て替え後の植栽に利用されたりしています。中央右に電柱が見えますが、その手前に見える枝が多数出た木は、オオシマザクラです。その後これはそのまの位置で、新しい建物の間に残されました。
 というように、時代背景もあり、この種の住民と公団側の関係も、かなり良くも悪くも「おおらか」であり、そのあたり「あうんの呼吸」のようなものが存在していたと言えるでしょう。その信頼関係は、やがて建て替え後から徐々に、そして公団の自主管理の手を放れたあたりから、崩壊していくのでありましたが…。

排水溝に出来た鳩の巣の画像

 水の流れが悪いようなので、排水溝の先をのぞいてびっくり!。鳩のヒナが産まれています!。かわいいですが…、この先どうする?。左に見える2段に積んだものは、非常用等に使用する目的で買っておいた炭です。近くの燃料店に頼むだけで、配達してくれたものです。
 

●このだいぶ下に鳩のヒナが死んでいる画像が映りますので、見たくない方はこちらからお戻り下さい。→戻る

 

 
 
































死んだ鳩のヒナの画像です

 懸念はしていましたが、この後数日してよく見ると、どうもヒナが動いてません。気になって前の炭をどけてみると…。ヒナは死んでいました。冬ですので、カラカラ天気が続き、親鳩にしてみれば、ここに水が流れることを予想しなかったのではないかと思います(奥側に水が流れたあとがあります。住人の私たちは、水を流さないように注意していたのですが、雨・雪はどうしようもなく…)。鳩は、巣の湿気を嫌うので、今からすればそのようにも思えるのです。排水溝はこの先左方向へ続き、さらに手前に続いて、雨樋に流れ込みます。そのためベランダに降った雨などは、全てここを通過して雨樋に向かうわけです。
 現在の知識があれば、あらかじめ巣ごと手前に15センチほど移動させればすんだことなので、とても残念です。しかし当時インターネットなどもちろんありませんし、どこに相談していいかもわからない状態で、学校の図書室に行き、図鑑などで調べ、ようやく鳩がピジョンミルクで育つということ程度を知ることが出来た程度で、水に弱いとか、巣は少しくらいなら移動しても大丈夫だなどということは、わかりもしませんでした。
 
 しかしまあ、全体として、もともとこの種の団地には、鳥などがやって来るものであり、「樹木を植えれば鳥は来る」、「人工物に巣が出来る」位のことは、当時から公団→のちの都市再生機構も知っていたはずだというのは、おわかりいただけるかと思います。


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