クハ79600番台を電装化したクモハ102−3004号。高麗川にて。仙石線時代の尾灯かけが残っているほか、中央窓のワイパーが手動の旧形なのが目を引きます。ドアには半自動用の取っ手が残っています。72系から流用の台枠が厚いので、少し普通のクハ103より面長に見えます。
クモハ102形式が誕生したのは、クハ79+モハ72+クハ79を改造して、103系3輌とするのに、モハ72をそのままモハ103としたほうが、工事が簡単ですみ、したがってモハ103とユニットを組むとすればクモハは102形式になったとのことです。モハ103も、普通のモハ103とパンタの位置が逆で、前位より(つまりは前パンなのですね)に付いています。
行先表示を見ると、このころは大宮直通の運用があったようで、3輌のまま大宮地下駅に出入りしていたようです。すごいなぁ(笑)。
川越線内は単線なので、すれ違いもあります。相手はクハ103−3001でした。尾灯かけがない、乗務員室直後にタブレット防護板が残っている、中央窓ワイパーが違う、など細かい差異があります。武蔵高萩にて。
八王子駅から発車する八高線電車。八高線も高麗川までは電化され、103系が八王子まで延長運転されるようになりました。この時点では103系3000番台も健在でしたが、だいぶやつれてしまいました。クハ103−3005号。特徴あるドアの取っ手などは、そのまま残されています。また台車中心ピン直上にふたがあり、72系時代を彷彿とさせます。奇数側となるクハ103−3000には、ジャンパ栓受けが追設されたようです。2004年8月20日撮影。
拝島ではDE10形と並びました。こちら側の先頭はクモハ102−3005ですが、尾灯かけが残っています。また前面上部は、補修されていますが、あまり上手な仕上げではありませんね。2004年8月20日撮影。
クモハ102−3005の屋根上をねらってみました。AU712クーラーで冷房改造されていますが、鋼体全体を補強せずに、簡単に取り付ける方式で、車内には「豊田電車区」の銘板がありました。拝島駅、2004年8月20日撮影。
クモハ102−3005号の車内端部。妻窓は埋められています。貫通ドア窓は表裏逆付けタイプなのが目を引きます。これはとなりのサハ103−3005も同じでしたので、72系970番台時代からそうなっていたものと思われます。また戸袋窓のカーテンキセが独立しており、戸袋窓がわずかに手前に出っ張っているのが特徴的です(右端)。その他戸閉め機械がTK8形と、115系と同じものになっていて、半自動対応(現在は完全自動で使用)なことも、特徴の一つでしょうか。台車中心間距離が13600ミリ(103系0番台などは13800ミリ)であったり、横梁を貫通して穴開けが出来ないため、戸袋窓上から主電動機に至る風道が、車内に一部出っ張っていることなど、旧形国電の台枠を流用しながら苦心して工事した様子が見て取れます。車体そのものの造作は、一般の103系中期あたりのタイプと特に違いません。
友人のED 23-901氏から、画像提供を受けました。川越電車区イベントで展示される第53編成です。手前からクモハ102−3003、モハ103−3003、サハ103−3003、クハ103−3003と続きます。最後まで生き残ったのは、3500番台ではありませんでした。「箱根ヶ崎」の行先表示が珍しいです。2005年10月1日撮影。画像提供:ED 23-901氏。
午後になり、順光線となると、ヘッドマークもつきました。大井工場で1984年にデビューしたときのヘッドマークを付ける第53編成。撮影は同日。画像提供:ED
23-901氏。定期運用が無くなった後も、しばらくイベントに出張しておりました。