DD51 715と並ぶクハ103。上野直通電車。1978年11月。成田駅にて。
乗務員室以外の全ての窓と、表記類が塗りつぶされているので、由来がわからないのですが、見る限りでは103系です。そして右の車輌はクモハ103改造と思われますが、この写真の中央に写っている車は、どうもクハ103−500番台の改造のようです。ところが床下を見ると、おなじみの抵抗器が半分切りになってついていたりするので、2輌で走るため、モハ102やモハ103から部品を転用していることは明らかです。いずれにせよ、間近で見ることが出来ないので、果たしてクハなのかクモハなのかすら不明なものですが、主電動機冷却風取り入れルーバーがないので、クモハではなさそうです。そもそも本来の使用目的すら不明です(笑)。
なお行先表示は「東芝府中」となっており、幕ではないようです。1998年2月8日撮影。北府中駅北方。
東芝府中工場は、他にもED76 1048なる機関車がいたり(既に解体?。ED76には1048なんてハイナンバーな車は存在しなかったことから、「トーシバ」の語呂合わせに改番したもよう)、3つドアのクモハ100がいたり(この写真のさらに右方で、車体を短縮したようでしたが、何の目的で???)と、謎の多いところです。
広島駅で、可部線の105系(右)と並ぶ、瀬戸内色103系。ヘッドマークを横に振ってかけているのが珍しいです。右側の105系も、元はと言えば、103系1000番台の改造ですね。画像提供:ED
23-901氏。
4連に短縮された時代の、クハ103−842他4連です。関東の黄色103系と異なるのは、JRマークが白いことでしょうか(関東は銀色)。「イエローライナー」というヘッドマークを付けています。偶数向き車のためか、よく見ると、ジャンパー栓受けにジャンパー線がはまっておらず、その下にブレーキホース用の「ツノ」と呼ばれるホース受けが付いています(103系でこの「ツノ」が付いているのは少数です)。大阪駅にて、1987年6月22日。「Fコレクション」より。
上の画像の反対側先頭。クハ103−835+モハ103−777と続きます。左側にちらりと写るのは、関西線色の113系です。大阪駅にて、1987年6月22日、「Fコレクション」より。
九州地区では初めての直流電車となりました。さすがに関東から撮影には行かれず、川崎重工での製造後、試運転する同車の風景をお目にかけます。
正面は105系に準じ、側面は201系に似ていますが、戸袋窓が廃止されています。クハ103−1507他6連。鷹取駅付近にて?。
春日道駅を行く103系1500番台試運転。川崎重工の公式試運転で、ヘッドマークが付いています。この時代の塗装は青22号。帯はステッカーでクリーム色10号です。2枚ともFコレクションより、1982年。
しかし本車も、既に老朽化が進み、地下鉄乗り入れからは撤退。現在は3輌編成化された(このときクモハ103−1500とクモハ102−1500が登場)一部の車輌が細々と活躍するに過ぎません。