仙石線の103系

 仙石線は、仙台と石巻を結ぶ旧宮城電鉄買収線区です。この路線は通勤ラッシュが激しく、名勝地を通るのにも関わらず、旧型車の時代から4ドアロングシート車が使用されてきました。新性能化に際しても、103系の投入となったのですが、寒冷地のため対策工事をしたほか、半自動ドア、タブレット対策などがなされました。103系がタブレット使用線区に投入されたのは、ここだけではないかと思います。
仙石線多賀城駅におけるクモハ103−35号の画像です

 首都圏でもおなじみのクモハ103ですが、ここの先頭車は運用番号表示窓をつぶしてあり、この部分にクモハのみ車号のステッカーを貼っているのが特徴です。また新性能化は2次に分けて行われましたが、1次投入の車輌は、タブレット授受による窓ガラス破損防止のため、乗務員室直後の戸袋窓が、外だけふさがれています。また検査は郡山工場へ、機関車牽引で入場しましたが、そのときに使用する尾灯かけが、本来の尾灯の下に付けられています。多賀城駅にてクモハ103−35。1988年夏。

陸前原ノ町電車区に留置されている105系電車の画像です

 仙石線には、末端区間用に103系を短編成化した105系化改造車が2編成ありました。1987年3月末に登場して、クモハ105はクモハ103とモハ102からの改造、クハ105はクハ103とサハ103からの改造で、主として石巻付近で活躍しました。写真はクモハ105−101(もとクモハ103)+クハ105−105(もとクハ103)の編成です。塗色以外これといった違いはありませんし、関西の103系改造105系ほどには、大がかりな手は入れられていないようにも見受けられます。陸前原ノ町にて。

陸前原ノ町電車区にてクモハ105−601号の画像です

 こちらは運転台取り付け車のクモハ105−601号の正面付近。モハ102の改造だそうですが、特に違いはわかりませんね。101系の部品を使ったとか言われていますが、どの辺まで使ったのか、今ひとつはっきりしません。陸前原ノ町にて。1987年夏。

故障してパンタグラフを降ろしてしまったクモハ103−62号の画像です

 仙石線で忘れられないのは、クモハ103故障事件です。私と友人とで乗りに行ったわけですが、野蒜まで乗る予定で石巻行きに乗車したのでした。ところが福田町だかの手前の直線区間でかなり飛ばし、100キロ出したのです。私たちは運転室の後で「かぶりつき」をしながら、「老朽103系で100キロなんて、大丈夫か?。故障とかしないかな…」なんて、冗談めかして言っていたのですが…。果たして駅について停車後、発車しようとしたところ、ノッチがなぜか直列段までしか入りません。運転士さんは首を傾げながら、なんどもマスコンを4ノッチへ回すのですが、直列から並列に入ろうとするところで、床下の断路器から「スコン」という音がして、加速が中断してしまいます。そしてまたノッチが入って、制御器が進段し、並列の手前で「スコン」。これの繰り返し。運転士は窓から床下の様子を見たりもしていますが、だんだん電車はのろのろ運転になって、遅れだしました。私たちは「まずいこと言っちゃったかなぁ…」などと思いながら、その様子を見ていましたが、しかたありません。まさか私たちの言ったことが、現実になろうとは思ってもみないことですし。
 そうするうちに、目前に絶体絶命の25パーミル登り勾配が!。しかも結構距離があります。その登り切ったところに駅が見えましたが、いったいこの坂登れるのか…。私たちはもし登れなかったら、乗客は降りて押すのだろうか…などと、ありもしないことを考えたのでした。運転士は必死です。効かないノッチを入れては切り、入れては切りを繰り返して、少しでも加速と反動を付け、勾配に挑みました…。私たちも口々に「うりゃぁー」、「いけー!」などといつの間にか叫んでいる始末。
 結果はなんとか登り切り、スピードメーターが5キロ以下を差してはいましたが、なんとか駅にたどり着きました。運転士も私たちも、おそらくは乗客もほっとしていたと思います。
 その後多賀城駅に停車(上写真)して、一度パンタを下げ、運転士が床下点検を行いましたが、応急処置できず、やむを得ずそのまま発車ということになりました。どこまで行けるか、という感じでしたが、指令と話は付いていたのでしょう。続きは下へ。
 故障してパンタを下げたので、車内灯も消え、扇風機も止まったクモハ103−62。多賀城駅。1987年夏。

故障して東塩釜駅で運転打ち切りになった103系の画像です

 結局電車は東塩釜駅で運転打ち切りとなりました。後続の東塩釜止まりを石巻行きに振り替え、したがって東塩釜折り返し仙台行きは運休となったようです。写真は「石巻−仙台」の表示を出したまま、東塩釜駅の引き上げ線に入れ換えるクハ103−562他4連。このあと野蒜には1時間ほど遅れて着きましたが、クモハ103−62は翌日も東塩釜の検修庫内に取り込まれていました。
 あとにも先にも103系で遭遇した、珍しいトラブルでしたが、首都圏で使い古された中古の電車には、仙台鉄道管理局(のちJRになってからは支社)も困らされたようです。その後も首都圏から転属の更新車が走り、さらにはそれを置き換える205系も転属車ですが、どうなのでしょうね…。

 2011年に起こった「東日本大震災」で、仙石線は大きな被害を受け、特に写真に写っている各駅や、この写真を撮影した時に泊まった旅館などの人々や土地が無事なのか、大変心配な状況です。

仙石線103系電車の画像です

 クモヤ443系電気検測車と並ぶクモハ103−25他4連。「快速 石巻−仙台」という珍しい方向幕を表示しています。ヘッドライトは国鉄時代から2灯化されていました。多賀城駅、1984年頃?。「Fコレクション」より。


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