量産車の登場と国鉄時代続き


総武線各駅停車用201系の画像

 中央線に続いて、総武線各駅停車にも201系は投入されました。中古の101系ばかりに「あえいで?」いた、中野電車区にもようやく直接新車投入が行われています。画像は、この時期まだ2本のみしか走っていなかった黄色の201系で、クハ200−35他10連。中野電車区第2編成です。秋葉原駅にて、1982年11月13日撮影。

総武線各駅停車用201系の画像

 翌日限りで廃止となる、房総急行を撮影しようと、反対側のホームで待っていますと、続行でもう1本の201系が来ました。中野電車区第1編成の、クハ200−37他10連。中野電車区の黄色201系は、その後翌年4月までに、17本を数えるほどになりました(転属車含む)。それにしてもとっさの撮影でしたので、苦しいカットです(苦笑)。秋葉原駅ホーム端より。

201系電車の画像です

 その後も黄色い201系は増備されていきました。東急車輌で完成後、公式試運転を行うクハ200−76他10連。東逗子駅にて、1983年2月頃?。「Bコレクション」より。

201系黄色量産車の画像

 東逗子駅を通過して、田浦へ向かう201系公式試運転。クハ201−75他10連。東逗子−田浦間(東逗子駅ホーム端より)。1983年2月頃?。「Fコレクション」より。

201系黄色量産車の画像

 同上・試運転の折り返し。戸塚駅を通過するクハ201−75他10連。大船−戸塚間(戸塚駅ホーム端より)。1983年2月頃?。「Fコレクション」より。

201系電車の画像です

 試運転をしつつ、そのまま自力回送で配置先である中野へ向かったと思われます。クハ201−75他10連。運行番号の文字が入っていませんね。品川駅にて、1983年2月頃?。「Bコレクション」より。

青梅線に入る201系の画像です

 国鉄時代には、「青梅特快」は設定が無く、普通の快速が直通していました。立川駅西方にある連絡線を通って、西立川駅手前で合流するというルートです。画像は少し時代が下りますが、中央線から青梅線直通の201系快速。青梅線線内運用は、103系のみでしたので、長い編成とともに利用客には歓迎されたのではないかと思います。1985年頃、西立川駅。現在は右手側に昭和記念公園が造営され、それに伴い線路を横切っている踏切が廃止されるなど、様子は一変しています。

レインボー号マーク付き201系の画像

 立川基地跡を整備して作られた「昭和記念公園」は、徐々に整備が進められ、最初のうちは立川駅近くが整備されたに過ぎず、現在モノレールが脇を通っているあたりは、まだ空き地で、草が生い茂っておりました。しかし、一部の施設は既に営業が行われており、「レインボープール」と呼ばれる屋外プールが、西よりに作られ夏場は営業していました。1985年夏の日曜日は、その輸送のために「レインボー号」というヘッドマークを付けた臨時列車が走ったようです。運転区間は新宿−河辺間と記録されていますが、画像の車輌は「立川」行きを表示しています。線内運用もあったのでしょうか。クハ201−5、立川駅。1985年夏。


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