東中野駅追突事故の生き残りクハ201−3号。10輌編成の201系が、10輌編成の103系に突っ込んだ事故でしたが、双方の最後尾(201系)と先頭(103系)だけは、台枠・車体にゆがみが生じなかったので、103系は他の車輌と組み直して運用に復帰しました。しかし201系のほうのクハ201−3は、適当な相手がいなかったため、長く三鷹電車区での留置が続くことになりました。ごくまれに他車の代走で運用に入ったこともあったそうですが、事故以来基本的に留置が続きました。三鷹電車区裏にひっそりとたたずむクハ201−3号。前にクモヤがいますが、連結はされていません。窓やドアにはステッカーが貼られていません。代走に備えて、ATS−Pは取り付けられています。編成札は、あの日のままです。1996年5月5日、三鷹電車区裏。
少し望遠撮影してみました。窓には大半ブラインドが降りています。繰り返し事故が起こっていた場所なのに、なんで放置してしまったんでしょうかね…。同日、同所。
(以下次号)