モハ1形10号を、反対サイドから撮ってみました。リベットだらけの重々しいスタイルなのがわかります。ドアは当初手動でした。今回展示車は、全てパンタが下がっていました。そのため車内公開をしていた車輌は、窓が開けられています(ロマンスカーはドアを開けて対応)。
モハ1形10号の、KS−30L台車。のちの住友金属の台車で、各私鉄によく見られたらしいです。弓形のイコライザーが目立ちますが、ブレーキが片締め式なのも、当時の高速電車としては珍しいかもしれません。なるほどこれでは、回送時15キロでしか、今は走れないでしょうね(苦笑)。
2200形の、住友金属FS−203形台車。2200系のうち、2200形は直角カルダン駆動なので、軸間距離(1軸目と2軸目の距離)が、やや長くなっています。軽量簡易な構造の台車ですが、モハ1形のに比べると、俄然近代的に見えますね(笑)。台車の右側に見える三菱のマーク入りの機器は、コンプレッサー(空気圧縮機)ですが、これは原形ではなく、2200形の原形は、3−Y−Sというベルト駆動のものでした。またこの編成は、初期形タイプなので、当初は窓枠がアルミではなく、木製でした。ドアものちに交換されています。
モハ1形の反対側。パンタ側の正面ということになります。モハ1形の運転室は、当初画像のようにポールで仕切られただけで、独立した部屋にはなっていませんでした。今からすれば驚きです。運転台は中央にあり、自転車のサドルのような折り畳みいすに腰掛けて、運転したようです。モハ1形は、登場時の姿を、かなり厳密な考証で復元してあります。復元当初は、大野工場内を自走したとか。
2200形も、反対側のパンタ付きデハ2201が、半身だけながら撮影できましたので、撮影しました。もっとも家族連れが多くて、人も入ってしまいましたが…。2200形は、1982年まで活躍し、その後富士急行にも譲渡されたりしましたので、ファンも多いのではないでしょうか。私もよく通学時に乗りました。縦揺れは結構ありましたが(笑)。多摩線で2連または4連で長く活躍していたので、その時代に乗ったというファンも多いでしょう。