経堂工場の跡地を利用した留置線が、北口入口脇をふさぐように、構内踏切としてありました(もっと昔の画像は、鉄道資料館→「昔々の鉄道風景」→「小田急電鉄の昔」で見られます)。そこに車輌を留置したり、そこから本線に出るポイントを通って、回送が新宿駅に向かうときは、構内踏切が閉まります。そんな様子をホームから撮影しました。この線路には、通常赤を現示した出発信号機があり、電車が本線に直接出るときのみ、青に変わるのです。しかし、電車が通ってしまうと、またずっと赤に戻ってしまうのでした。ここの踏切は、長く自動化されず、時間になると係員がやって来て、「はい、閉まりまーす!」と言いながら遮断機を手でハンドルを回して下げるという、ちょっとのどかな風景が毎日何度か展開されていました。夕方の新宿始発各停に備えて、回送で発車する2600系冷房車と、その発車を待たされる人々。1979年6月、経堂駅北口にて。
2600系の3本並び。中央の2667編成のみ冷房改造されていますが、左側の編成も右側の2658編成も、まだ冷房化されていない時代です。種別表示窓の大きさ、行先表示器の自動化に伴い冷房車は黒幕になっているなど、違いがあります。経堂検車区線。1979年頃。
山下公園という公園の桜の下、入庫して休む小田急の車輌たち。左から4000系、2600系非冷房車、2220形、2600系冷房車です。場所としては悪くないところなのですが、桜とからめるには、ちょっと無理がある公園でした。1978年4月、経堂検車区線にて。
登戸駅を発車して、多摩川橋梁を和泉多摩川駅に向かう2600系の車内から。対向は2400系。鉄橋のガードレールは、創業時の古レール(37キロレール)が、最後まで使われていました。この橋も、2600系も、向こうに見える景色も、今はどれも残っていません。1978年頃。