昨夜から降り続いた雪が、結構積もった朝、天気は回復して晴れてきましたが、ダイヤは多少遅れ気味。雪煙を上げて、2600系の上り急行が通過していきます。前は5000系。ちょうどこの頃から他形式との併結運転が始まりました。1983年冬、玉川学園前−町田間。デハ2705号。既に冷房化は完了しています。
通過する急行を後追いで。ワイパーの拭き腕が、2本のタイプに交換されています。クハ2855号、玉川学園前駅にて。1983年冬。
同じ日、昼になると、だいぶ雪も溶け始めています。首都圏の雪解けは、特に南向き斜面の場合早いですね。経塚山トンネルから出て、本厚木を目指す準急の2869他6連。このトンネルの壁に向けて、かつて逆Y字形の短い行き止まり線が敷かれていた時期があるようです。理由は不明ですが、画像で見ると、トンネル壁手前に多数の受電線?のようなものが見えます。もしかすると、「移動変電車」の置き場だったのでしょうか。一時期小田急には、移動式の変電所である、「移動変電車・イヘ910形」という不思議な車輌が存在していました。電圧降下が著しい場所に、時々移動しながら架線に電気を供給するというものだったそうですが、こんな場所にわざわざ折り返し可能な線路を設けるとなると、その置き場くらいしか、目的が見いだせません。1983年冬。玉川学園前−町田間。
朝の下り急行「大秦野」行き。この急行は6連運転だったのでしょうか?。もしそうでないとすると、極めて異例な、新宿方6輌に2600系を起用した例ではないかと思います。2600系は、下り方にサハ−クハが連続するので、その先に別の4輌編成を連結すると、サハ−クハ→←クハ…というように、3輌モーターの無い車輌が連続することが考えられ(9000系を連結する場合を除く)、走行安定性の見地からそのような組成は禁止されています。しかし、もしこの写真に写っている列車が、雪による運用乱れで、例外だったとしたら…。記憶がはっきりしないので、わからないのですが…。1983年冬、向ヶ丘遊園駅にて。