夕方近く、豪徳寺駅に進入してくる、下り各駅停車のクハ2853号ほか6連。特段冷房改造後と大きな違いはありませんが、ベンチレータの多さが目につきますね。またスカートは、のちの冷房化後のスタイルに、既になっています。1979年頃?。
向ヶ丘遊園で発車待ちの、クハ2855ほか6連。2600系につけられたスカートは、5000系に付いているものと似ていて、連結器下の欠き取りが、2段になっているのが本来です。全車冷房化と前後して、上の画像の形態のものに取り替え(改造?)されました。またこの時代は、他形式との連結運転をしていなかったため、ジャンパー栓受けもありません(本来はスカート右側にあり、スカート取り付け前まではあったが、スカート取り付け時に撤去)。1978年。
津久井道から、併走する2600系を撮影。晩秋の列車、というところですが。新百合ヶ丘−柿生間。側面のベンチレータ配列がわかるかと思います。非冷房時代は、クハの一番前のベンチレータは、側面が開いており、押し込み式の外観ながら吸い出し式でした。またベンチレータ配列そのものは、のちの旧4000系と基本的に同じですが、運転室直後の側面戸袋窓も、よろい戸をはめてベンチレータになっていました。1978年秋。
経堂検車区の引き込み線は、敷地外からこんな写真を撮ることが出来ました。現在もある「山下公園」という公園の道沿いにある、一段高くなったフェンス台に上がれば、その時々の車輌が撮影できたものです。中央、珍しく貫通ドアを開けている2600系非冷房車。2659他。右はデハ4014他、左はクハ5253他です。種別表示は4000系(右)ともども手動ですが、サイズが上下で小さいのがわかります。後に冷房化の際、自動化とともに拡大されました。1978年頃。
フィルムから拾った画像です。ススキをなびかせながら、準急として新宿へ向かう2600系非冷房車。種別表示器の文字は、試運転・急行・快速準急・準急・各停・無地があったようですが、各停は黒(不使用)、それ以外は全て赤色でした。またパンタグラフが、この時代横方向にメンバのないものになっており、その後と異なります。シューも薄い形のようです。形式はPT42Kだと思うのですが。2660他6連。鶴川−柿生間にて。1979年頃。このあと、2660編成、2659編成、2651編成が相次いで冷房化され、次いで、2658編成から番号を戻るように冷房化が進みました。
夕闇迫る経堂駅に回送で到着した、非冷房時代のクハ2656他。回送も通過表示灯(おでこの両端)を点灯しています。行先表示は海老名と向ヶ丘遊園の中間を表示し、回送であることを示しています。本来なら白幕の部分まで回すべきでしょうが、方向幕がこの時代は手動式だったので、手間を省くため、よくこのように表示と表示の間に回していました。非冷房時代は、密連下に電気連結器がありません。この時代2600系は、他形式と連結運転を行っていなかったためですが、3連ジャンパー連結器は取り付けていたので、向かって左側の足かけ位置が高い位置になっています。1979年1月、経堂駅3番線にて。