相模大野の電留線で休む2857号ほか5連。この時代はまだ5輌編成の編成が残っていました。なるべく色は忠実に再現してみましたが、イベントカーとして2600系最後の活躍をした、2670編成よりは、少しオレンジ色が濃いめに見えます。またHゴムが、この時代はみな灰色でした。1967年1月、相模大野電留線にて。
「快速準急」として、小田原を目指す2600系。クハ2863他5連。この編成も5輌編成です。2600系というと、イメージ的に向ヶ丘遊園から新宿方で活躍という気がしてしまいますが、実際には小田原まで普通に走っておりました。読みにくいですが、種別表示窓に「快速準急」と4文字の赤字で表示されています。1967年1月、相模大野−小田急相模原間・相模大野電留線脇にて。手前の電留線は、後に経堂から移転してきた相模大野工場の、工場内線になるのでした。
上り快速準急に運用されるクハ2866他5連。多少写真の印画紙面が荒れてしまっていますが、くすんだ感じの橙色が、なんとも言えないムードを醸し出しています。1967年1月、相模大野−小田急相模原間・相模大野電留線脇にて。
他の写真もそうですが、この「Fコレクション」の撮影者さんは、簡単にひょいと立ち入れるところでは無い場所から撮影している写真も目立ちます。関係者だったのではという気がしますが…。
ぶれとぼけが残念ですが、「フラワー号」のヘッドマークをつけた2600系新塗色車、クハ2852他6連。新塗装化は1969年からですが、6連化は前年までに終わっているので、新塗装で5連の時代というのはありません。無線アンテナが無く、旧塗装時代の写真と比べると、乗務員室ドアのすぐ後ろの戸袋窓が、通風用のギャラリに変わっています。また連結器も密着連結器に変わり、エアホースもコックを残して撤去されています。
なお、「フラワー号」のヘッドマークは、白地に花模様を描き、横にライトブルーの帯を通して、そこに白字で「フラワー号」と記しています。1970年春頃、海老名駅にて。昔の海老名駅は、ホームの脚が木製と、今からは想像も付かない姿です。
海老名駅に進入してくる「快速準急」新宿行き上り電車。逆光でぼけが苦しいところですが、おそらくとっさの撮影なのではないかと推察します。残念ながら車番がわかりません。密着連結器化されていますが、エアホースのコックは残っています(連結器右側)。また3連ジャンパー連結器もあり、いかにも過渡期の形態をしています。この編成は、ドア窓のHゴムと、行先表示窓のHゴムは、黒色になっています。列車無線アンテナはありません。1970年春頃、海老名駅。1964年10月までは、画像左奥に相鉄線との連絡線路があり、相鉄の電車が本厚木まで乗り入れをしていました。
それにしても、今の海老名駅からは想像もつかない、「周囲に何も無い」様子に驚きます。
新設当時の新百合ヶ丘駅に進入する2600系非冷房車。準急相模大野行き。現在は背景の法面も崩され、ビルだらけになっていることに、驚きを禁じ得ません。一番左の線路は、手前側が3番線ということになりますが、この当時は奥側百合ヶ丘方の留置線が極端に短く、4輌にすら対応していない様子なのと、シーサスクロッシングが設けられていません。1974年6月2日。新百合ヶ丘駅1番線。
以上の写真は、全て「Fコレクション」より。