小田急2600系活躍の軌跡

 1964年の登場以来、小田急の通勤輸送とともに歩んできた2600系電車。当時最大の車体幅をもつ通勤電車で、まさに日本の高度経済成長を輸送の面から支えたような車輌と言えそうです。

 機構的にもやや特殊な電車で、登場当初は、ホーム有効長の関係から5輌編成でしたが、ホーム延長工事の完成とともに、1967年から1968年にかけ、サハ1輌を組み込み6輌編成とされました(当初は新宿方の2輌目に入れる予定だったようです)。しかし、両先頭車は制御車(クハ)で、中間車は電動車(デハ)3輌とサハ1輌という編成内容なので、電動車は珍しい6個モーター1制御器制御という方式が採られています。そのためモーターの端子電圧は500V(通常多くは375V)で、デハ2700番台の車輌は、前後の台車でコントロールする制御器が異なるという、不思議な車輌となっています。今でこそ、2輌編成でモーター3個などという装備も珍しくはありませんが、この2600系の登場した時代では、非常に珍しいケースとなりました。
 また回生ブレーキをいち早く導入していますが、これは省エネルギーという意味よりも、他車の加速時ピーク電流を、ならしていくのに貢献させる、というような目的が主であったそうです(少なくとも当初は)。

 ここでは、惜しまれながら全廃された2600系の活躍を、1978年頃から振り返りたいと思います。



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イベントカーの活躍

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