小田急8000系による特急ロマンスカー代走

 1987年初頭頃というと、ロマンスカーは当時まだSSE車3000系、NSE3100系、LSE車7000系しか無い時代でした。この頃SSE3000系は、「あさぎり」として国鉄線への乗り入れがなされていましたので、老朽化していたこともあり、LSE7000系を短編成にしたタイプを新製して置き換える予定を立てていました。しかし、国鉄の民営化論議の中で、置き換えに関する協議が出来ない・しにくい状況となり、やむを得ず3000系を2編成廃車した上で、残りを更新することで対応しました。一方、NSE3100系も機器の老朽化が進み、少しずつ更新修繕は行っていたものの、抜本的な車体修理を、日本車輌へ運んで行うこととなり、1編成ずつ輸送しては工事を進めていました。

 ところが、悪いことは起こるもので、箱根登山鉄道小田原−箱根板橋間の急カーブで、LSE7000系が脱線してしまい、しばらく修理を要する状況となりました。通常、こういう場合は予備車があるものなので、支障は無いはずだったのですが、たまたま検査入場していた編成が別に1編成あり、さらにNSE車1編成が日本車輌に車体修理で入場していた時だったため、特急車は、合計3編成が使用できないことになってしまいました。

 検討の結果、一部の特急列車を、2週間ほど一般車輌(通勤形)で代走することにし、ここに戦前〜戦後の一時期を除くと、小田急ロマンスカーの歴史上あり得ないはずの、一般車代走「特急」が走ることになりました。

 駅に掲示が出ており、当時の「さがみ54号」などがその対象列車となり、「さがみ」と「えのしま」の一部が代走になったようです。

 車輌は当時最新鋭だった8000系の、比較的新しい車輌が充当され、前面・側面の表示幕には「特急」が無いため、正面は種別を「臨時」、行先には所定の行先を表示、側面は種別を無表示、行先部分は「臨時」を表示して運転されました。

 2010年1月、ロマンスカーLSE車7000系1編成を廃車のため分解したところ、台車の連接部に亀裂が見つかりました。それで、念のため他編成とHiSE車10000系の同部位を検査したところ、同様な亀裂が発見されたため、しばらく運用停止し、代車による運転に切り換えると発表されました。幸い、現在は多数の特急車輌があり、編成減車で乗り切れましたので、通勤車輌による代走は発生しないですみましたが、1987年当時はそういうわけにも行かず、わずかな間とはいうものの、一般車代走とならざるを得なかったわけです。

 たまたま通学時に、駅に張られた掲示を見て、記録しておこうと撮影した画像が見つかりましたので、あまり発表されていないようですから、ここに掲載することにします。

※youtubeとかに勝手に転載しないで下さいね。出典:某と書けばいいわけではありません。無許諾での動画投稿サイトへの転載は著作権の商用利用ですので、使用料が発生します。


一般車8000系による「さがみ」代走列車の画像

 下北沢を通過して、小田原を目指す「さがみ」代走の8000系8263編成による「特急」。停車駅は新宿−向ヶ丘遊園−本厚木−新松田−小田原。下北沢−世田谷代田間で撮影。

一般車8000系による「さがみ」代走列車の画像

 同列車の後追い。表示は「臨時」・「小田原」になっています。乗客は1輌当たり2〜5人程度でした。乗車できたのは、本来の特急券を持っていた人のみという説と、誰でも乗れたという説があります。これについては、「特急料金は払い戻す」と駅の掲示にあったので、当日案内をしたのでしょうが、特急券は払い戻しとともに回収されたはずで、誰が券を持っていたか判別が困難になると考えられ、ホーム上で払い戻しをしたのでなければ、特急券を持っていた人のみ乗せたという説は、やや不自然ではないかと思えます。乗車整理券のようなものでも配ったのなら別かもしれませんが、そのような話は当時聞いたことはありません。
 しかし一方、1輌数人の乗車(写真撮影時に見た限り)は、誰でも乗せたとすれば少ないように思えるのも事実です。ただ、新しい種別として定常的に運転されたわけではないので、新宿から向ヶ丘遊園まで、昼間(画像の列車は午後3時過ぎ)に無停車で走る列車が、それほど便利か?という疑問も残りますね。当時のダイヤでは、先行の急行を追い抜かない列車も多かったので、一般車輌で、トイレも無く、当時のロマンスカーの「売り」の一つである「シートサービス」も無い、停車駅が途中3駅のみという列車を、便利とは思えなかった人が意外に多かったのかもしれません。
 
 ロマンスカーの原形は、小田急電鉄の前身、「小田原急行鉄道」が、戦前の一時期「週末温泉急行」として、新宿−小田原間無停車で運転したものと言えます。この時は、専用車輌は無く、当時の一般車であるセミクロスシートの車輌などが使われたと記録にあります。
 一方戦後は、ロングシートのデハ1600形とクハ1650形、クハ1315号(本来HB車のクハだが、マスコンと回路を1600系用に改造して充当)を使用して、「週末温泉特急」として復活。1910系ロマンスカーがデビューするまでは、ロングシート車を特急にあたる列車に充当した唯一の事例でした(1910系と1900系で登場にわずかなズレがあった関係で、ロングシートの1900系2連を、1ヶ月ほど「週末温泉特急」に代走させたことはあったようです)。
 それだけに、この8000系通勤車による「特急」は、極めて異例の事態であったと言えるでしょう。

 他の私鉄や国鉄で、完全な通勤形ロングシート車を「有料列車の代走」に使用した例は、国鉄千葉鉄道管理局が、夏期臨時準急「白浜」に使用していたモハ80形がブレーキ不緩解で故障したため、急遽モハ72形を組み込んで、準急として走らせた例(1964年8月12日〜14日。「とれいん」第309号82・83ページの記述による。しかも準急料金を取ったもよう)位ではないでしょうか。

※ここに掲げた画像について、「鉄道用地内に立ち入って撮影している」等と、難癖つけている人がいるらしいですが、念のため現場の図を掲げておきます。見取り図なので、完全に現地を再現できているわけではありませんが、全体の構成はこれで合っています。

撮影現場図

 1枚目の画像は、図の「1」の位置、2枚目は「2」の位置(いずれも歩道)から撮影したものです。ここは当時小田急の資材置場になっており、古レールで柵が設けられていました(複々線工事後の現在はわかりません)。その柵の上からカメラを入れての撮影です。一部の想像力が欠如した方のために、いちいちこんなことを書かなければならないのは、非常に嘆かわしいことです。



2016年12月に発生した1000系によるロマンスカー代走について

 もう二度と発生しないと思われていた、ロマンスカーの一般車による代走ですが、なんと、2016年12月12日に一度だけ発生しました。
 当日EXE30000系充当予定の「えのしま74号」について、当該編成故障のため、やむを得ず相模大野より1000系10連(新宿方から1051編成+1251編成)を回送の上代走に充て、「えのしま74号」として運転しました。
 この時の運転では、各停車駅では「えのしま74号」である旨と、一般車代走であることのお詫びを放送し、特急券を持っている人のみ乗車可であること、下車駅で特急券払い戻しをする旨の案内がなされました。また当日のこの列車の特急券発売は中止され、駅の電光表示には「臨時特急」と表示、列車のほうは種別を無表示(黒幕)で行先のみ表示しての運行とし、新宿到着後は折り返し回送となりました。なお、停車駅は本来の「えのしま」号と同じ、片瀬江ノ島発−藤沢−大和−相模大野−新百合ヶ丘−新宿着です。
 この扱いを見ていると、かつての8000系によるロマンスカー代走も、同じように処理したのではないかという気もします。つまり、特急券を持っている人のみが乗車でき、下車後に特急券を払い戻すことにしたのではないか、ということです。
 一方、1日だけではなく、複数の列車が代走になり、しかも2週間ほどの長さでしたので、前売り特急券を持っている人のみ乗せたとすると、おそろしく少数の人のために列車を運転することになり、それも不自然ではないかとも思えます。もし、特急券を持っている人のみ乗車可能としたのであれば、特急券の前売りか、少なくとも当日発売だけは続けたのではないかとも考えられますが(わざわざ売っておいて払い戻しなので、手間がかかり過ぎますけど)、一説によると希望者には乗車を認めた(特急券無しで乗車可)とも言われており、詳しい事情がわかりません。
 8000系による代走時は、確たる記録が無く、よくわからないにせよ、この2016年の代走では、特急券を所持していないと、一般車であるのに乗車出来なかったのですから、あとで払い戻しをしたとしても、少なくとも一時的には「ロングシートの一般車に特急料金を取った状態で乗せた」希有な例ではないかと思われます。


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