小田急8000系「幻の塗装」

 小田急8000系は、1982年夏頃にその登場が駅構内ポスターなどより予告され、年末に8251編成が小田原より搬入されるにあたり、そのダイヤまで公表されるという、今では考えなれない小田急側の「サービス」がありました。地下鉄乗り入れ車である9000系の増備が終わり、それまで製作していた5000系を追造(5200系にモデルチェンジ)していた小田急としては、全くモデルチェンジした新形車である8000系の登場は、満を持してのものだったのでしょう。
 しかし、意外と知られていないのですが、8000系当初の塗装案では、正面の帯デザインが、最終的に出場した車輌と異なっており、それまでの5200系や9000系などと同様に、帯が途中で途切れているものだったのです。最近入手した「Fコレクション」の写真から、「当初塗装案」で、結局「幻の塗装」となった正面デザインの画像をご覧に入れます。

当初塗装案の8000系画像です

 これは、今はやりの「ウソ電」ではありません。東急車輌工場内で、出場間近な8551号他。「快速・新宿」表示になっているのもご愛敬でしょうか(当時の種別幕には、未設定の「快速」が入っていました)。正面帯がつながっている姿を見慣れた私たちとしては、なんとなく落ち着かないデザインに思えます。しかし、このまま出場して、全ての編成がこのデザインであれば、「そういうもの」として慣れ親しんだのかもしれませんね。この後、デザインは修正され、帯がつながった状態で出場したのは、もちろん現車の通りです。

小田急8000系と京浜急行2000系画像

 もう1枚、これは京浜急行電鉄2000系(まだ正面に番号が付いていない)と並ぶクハ8251号他。当然、こちらの先頭車も同じ塗装パターンになっています。それにしても、広軌の京急車との並びも、車輌メーカー内ならでは。本車の表示は「急行 新宿」です。

小田急クハ8251と京急2000の画像です

 幕回しをしてくれたのでしょうか、このカットはほぼ同一の構図であるのに、「快速 新宿」になっています。よく見ると京急車の密連下電連のカバーが掛かっています。

小田急クハ8251と京急2000の画像です

 少しアングルを変えたところです。

試験的な塗装のクハ8551の画像

 上の画像よりは、少し前に撮影されたのではないかと思われる、クハ同士が向き合っている様子です。全て正面の帯はつながっていませんが、この画像ではまだ艤装がすんでいないのか、車内にケーブルが引き込まれていたりします。しかしボルスターアンカーの横棒はまっすぐなので、空気源はあるようです。右奥にちらりと見えるのは、営団(当時)7000系増備車と思われますが、少なくない車輌が引退していますので、時の流れを感じますね。この画像は、正面の手すりと、マーク受けの関係がよくわかるのではないかと思います。

小田急8000系初期の運転台画像

 まさに登場直前の8000系運転台。その後のものとは、よく見るといろいろ異なっています。メーターパネルの色は、よく見ると深緑色ですし、表示灯類にLED類が添えられておらず、文字そのものが点灯するだけです。右下にATSの切り替えスイッチがありますが、「設置区間」「非設置区間」となっており、切り替えられるようになっていました。これはまだ8000系登場時には、主として箱根登山線内で、OM−ATSが設置されていない区間があったためです。正面ガラスの下のほうが、まだ鉄板でふさがれていません。
 以上の写真は、全て「Fコレクション」より。撮影場所は東急車輌(当時)構内、1982年12月。

 その後、8000系第1編成である本車は、小田急の「予告」どおり、1982年12月16日に小田原へ甲種輸送されてきました。なんと「露払い列車」は、183系1000番台+クロ157−1による「お召し列車」。新車搬入だと、警察官がこんなに立つものなのかと疑問に思っていました。思いっきり間違っていたわけですが(笑)。目の前のホームをお召し(須崎御用邸での「静養」のための列車でしたが)が通過するのに、私たちは特段規制もされませんでした。今とはまた違った「おおらかさ」の時代だったと言うべきでしょうか。
 話が少しそれましたが、夕方が迫る中、8251編成の甲種輸送列車がやってきました。

新車8000系甲種輸送列車の画像

 思い切り人かぶりまくり(笑)。右下に至っては、同行の友人の手(笑)。今だったら罵声が飛ぶんですかね。そういうのはいやだなぁ。もちろんこの日はそんなことはありませんでした。
 編成はEF65 1072+ヨ8900+8251+8551−8501−8401−8301−8201+ヨ14388でした(−部は永久形連結器での連結部)。甲種輸送列車の画像は、全てすぎたま撮影。1982年12月16日。国鉄小田原駅。

新車8000系甲種輸送列車の画像

 8251に貼られた輸送票。内容は以下の通りです。
(左・上から)輸送先 小田原経由 小田急線  着駅 伊勢原  発駅 逗子  換算両数 4.0=4両 3.2=2〃  輸送年月日 57.12.16
(右・上から)特殊貨物検査票  輸送番号 東 南 第39号(注:東南とは、東京南鉄道管理局の略と思われる)  輸送経路  線 駅経由  積載限界 建築限界内  最大高 4.145粍  最大巾 2.972粍  最大長 20.000粍  貨物下面と軌条面との間隔  粍  検査57年12月15日 横浜貨車区 客貨車区
 着駅が伊勢原になっているのは、小田急における貨物列車の当時の設定が、伊勢原まで「社線直通」だったためと思われます。そこで「ヨ」を外したのかどうかまではわかりませんが、今は保守用車置き場になっているところに、貨物側線がありました。
 輸送経路としては、一部推定を含みますが、京浜急行・金沢八景(東急車輌)−神武寺駅−連絡線−国鉄逗子駅−横須賀線−大船−東海道線−高島貨物駅−折り返して小田原−小田急・小田原−相模大野、と考えられます。
 ちなみに、よく見ると窓枠類の止めゴムは、新車時には灰色であるのがわかります。すぐに汚れて黒っぽくなってしまうのですけどね。

新車8000系甲種輸送列車の画像

 8251(左)と8551の連結部。残念ながら正面は出てませんでした。しかし、8551号の正面帯は、左右がちゃんとつながっているのがわかります。やはり左右が分かれたデザインは、東急車輌(当時)内までであったことが、これでわかりますね。わかりにくいですが、正面の行先表示は、「試運転」になっています。
 2台ずつまとめられたクーラーや、窓枠類の銀色の輝き、貫通ドアが各車に付いていること、伝統のアルストムリンク式台車など、美しくも見事なできばえに、目を見張った思い出があります。

新車8000系甲種輸送列車の画像

 夕闇迫る中、入れ替えを終えて、小田急の電気機関車が先頭に付きました。手前からED1041+ED1031。右に並ぶのは5200系。この後、深夜終電後に、相模大野へ向けて回送されました。
 この8251編成は、このように1982年12月16日に小田原に到着し、翌12月17日に相模大野に到着しています。それなのに、銘板は「昭和58年」(1983年)になっていました。届け出の関係かとも思われましたが、後年作られた1252編成は、平成元年1月12日に入線、その後竣工届けのはずなのに、銘板は「昭和64年」(1989年)になっています。この銘板問題は、8251編成の謎の一つではありましたが、更新により銘板は外のものを残して撤去されています。車輌としては2016年現在も残っていますので、外銘板がどうなっているのか、興味のあるところですが、沿線を離れて久しい今、ほとんど確かめるすべがありません。

 参考までに、営業運転開始時の同じ編成の画像をご覧に入れます。

営業開始間もない小田急8251編成画像

 上の画像と同じ、クハ8551号ですが、ヘッドマークに隠れ気味ではあるものの、正面両側の帯は、やはりちゃんとつながっているのがわかります。1983年3月、千歳船橋−経堂間にて。すぎたま撮影。


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