地下鉄乗り入れ時代

 小田急の9000系は、1978年から予定通り、地下鉄千代田線に乗り入れを開始しました。同時に準急電車の10輌運転も実現しています。しかし、ホーム長が短かった経堂駅への、千代田線直通準急の停車までは、なお20余年を要したのでした。
 ここでは、そんな地下鉄乗り入れ時代の、9000系の姿をご紹介します。

朝の千代田線直通準急綾瀬行きの9000系画像

 珍しく首都圏に雪が降った1979年1月13日の9006ほか10連による、準急綾瀬行き。91Eの運用で、俗に「スキップ準急」と言われた、百合ヶ丘・読売ランド前・生田通過運転の準急で、前面窓向かって左側に、板でその表示を出しています。雪で暗いため、ぶれてしまいましたが、下の画像とともに定点撮影的なものなので、あえて紹介しました。

朝の千代田線直通準急綾瀬行きの9000系画像

 夏の同じ列車。このころの直通準急は、千代田線に入ると冷房を止めるという、今から思うと信じられないことをしていました。この日も冷房は使用していたはずですが、窓がけっこう開いています。この日の列車は9002他10連でした。1979年7月20日。向ヶ丘遊園駅(上写真も同じ)。左右上部の「通過表示灯」も、今となっては懐かしいですね。

花咲く中を行く小田急9000系の画像です

 これは普通の準急として、6連で走行する9000系。たまにはこんな風景もあったのです。1978年頃、玉川学園内より。

江ノ島線準急に充当される9000系の画像です

 準急列車は、この時代、江ノ島線にも設定されていました。6輌編成で片瀬江ノ島を目指す9706他の6連。成城学園前駅にて、1979年頃。左に見える2600系非冷房車(いや、今や冷房車もですが…)、江ノ島準急、地平にある成城学園前駅、そしてこの9000系…。全ては過去の姿になってしまいました。

経堂駅に停車する9000系の画像です

 経堂駅は、当時ホームが短く、6輌編成の列車は、ホームいっぱいに止まり、後方の安全確認のために、画像のようにホーム端に鏡が設けられていました。今の経堂駅からは、想像もつかないような様子ですね。右側の「東京相互銀行」の表示も、その後「東京相和銀行」、次いで「東京スター銀行」になってしまいました。今も右側のビル2つは健在ですが、鏡の左側に見えるものは、全て失われました。9408号、1978年頃。手すりが原形ではなくなっています。これも地下鉄乗り入れのための改造の一つです。


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