1.条例は条例であるので、「申請を不要と考えていた」というのは、一応小田急電鉄の調査不足ミス。
これは一応致命的であると思えます。条例の存在意義や、その「有名無実」性については、あとで述べますが、法は法であり、条例は条例。見解の相違は理解できますが、条例に抵触しないかどうかくらい確認すらしないというのは、企業の危機管理としてちょっと情けない。
ただ、小田急は案外この種の「特別装飾」車輌には熱心なほうかもしれません。かつて運行実績のある、これらの電車ではどうしていたのでしょうね。時間経過の中で担当者が変わってしまい、忘れ去られていたのでしょうか。
これは「蘭・世界大博覧会」装飾の8000系。
第2次「フラワートレイン」のイラストステッカー部分。特にこの車輌の場合、色味の違いがありますが、どこまでが地色と判定されていたのか、気になるところです。
2.都条例が想定する「屋外広告」とは、「宣伝広告」に限らず、何事かを伝達しうる、「外に設置」してある全てを言う。
まあ、読んで字のごとしなんでしょうが、外に向けて、内側から見えず、しかし屋内に設置してある広告は、屋外広告と考えない、という理屈は、一般市民の目線で考えれば、かなり詭弁に類すると思うのですが(4に詳述)。
3.単なる塗色変更のつもりだったという小田急の主張も理解は出来る。
この理由として、都が言うように、「宣伝の意図があるかないかは、法も条例も考慮しない」とするのであれば、どんな車体ラッピングも、全て同じように考えるべきで、「(外に)出されたものが広告だ」と言うのなら、「特定のイメージ付けをする外観は広告にあたる」と考えられます。したがって…、
a):例えば地下鉄丸ノ内線の02系更新車に、かつての旧形車に付けられていた「サインカーブ」(正弦波形の模様)を再現して、「かつての丸ノ内線をイメージ」している以上、それは屋外広告かもしれない。
b):銀座線の新形車輌(2012年春営業開始予定)新1000系も、レトロ感と、「銀座線のかつてのイメージを継承した」とする以上、「特定のイメージ付けをする外観」そのものであり、それは屋外広告かもしれないということになってしまう。
…というのがあげられます。
しかし、いちいち「特定のイメージ付けをする外観」が、屋外広告だとしていたら、商店もバスも、車も、人の着ているものも、家の外観も、全て屋外広告ということになりかねず、それでは誰も社会生活を送れなくなってしまいます。ですから、ラッピングによる特定イメージの表現は、単なる塗装変更と考えるというのも、十分理解できる(少なくとも、市民感情としては)ことかと思います。
4.車体の内側に付けられていれば、外からしか見えないものでも、屋外広告にはあたらない…か?。
これは全く詭弁というか、噴飯ものの理屈ではないかと思えます。こういうのを「屁理屈」と言うのではないでしょうか。一般人の感覚からすれば、外から見え、およそ何かを伝達しようとするものは、屋外広告と判断できると思います。つまり、判断基準は、「外から見えるかどうか」。役人の判断基準は、「外に設置されているかどうか」。このように、一般の判断基準と、あまりに乖離しているのでは、条例が条例として機能しなくなってしまう恐れもあります。
東京都交通局、都電荒川線花100形電車のように、「全て内側から外に向けて設置すれば、屋外広告とはみなさない」という、言ってみれば「曲解」を許すのであれば、「抜け道」がいくらでも想定でき、条例自体が有名無実化しかねません。この矛盾にどう答えるのか。議会でちゃんとした議論のし直しが必要かと思います。
区の事業だから、特認だと言って、西武鉄道の「銀河鉄道999号」は、車体の側面面積10分の1を超えて、「広告」をしつつ走行しているそうですが、そういう抜け道を作りすぎなんじゃないでしょうか。
都の言う、「外に向けて、内側から見えず、しかし屋内に設置してある広告は、屋外広告と考えない」、という理屈がいかにおかしな理屈か、実例を示してみましょう。広告は、お金を取るかどうかとか、何かの宣伝かどうかは関係ないそうなので、以下の画像のようなものでも、まあ広告でしょう。
著作権が無いか、自分にあるものを探したのですが、適当なものが無く、架空のものを自分で書きました(笑)。これは窓内側に貼って撮影しています。カレンダーの裏紙を使用しましたので、表に何が書かれているか、室内側からはわかりません。ですが都の定義によれば、これは「屋外広告」ではないということになります。
同じものをはがして、今度は窓の外側に貼ってみました。全く伝達する内容は同じ。紙すら同じです。しかしこれを、窓の外に貼っただけで、それは「屋外広告になる」(よって条例の規制を受ける)という。どうでしょう?。現実的に考えて、どこが違うのでしょうか。こんな理屈がまかり通ると、本気で思っているとしたら、いったい役人という人種は、何を学んで大人になったのだろうとすら思えますね。
5.役人はすぐ「指導」とか、「許可」とか言うが、エラソウ過ぎ。
公共的役割の企業の私鉄も、当然法人税や固定資産税などを納めますし、地方交付税という形で、自治体にも環流します。その私鉄の利用者ももちろん、納税者です。そのような人々の集まりに対して、「指導」すると言う。少々高飛車に過ぎないかと思います。「要請」等、いくらでも言い方はあるはず。役所の仕事というのは、いかに「お上」意識にあぐらをかいているかが、よく見えるような物言いですね。
6.「地色」の問題。
地色(ベースカラー)という言葉が出てくるのですが、これはつまり、A)部分ラッピングなどの場合は、車体本来の色、B)全面ラッピングの場合は、一番面積が多い色、ということなんじゃないかと思います。小田急F-Trainの場合は、「B」にあたると考えられますが、こういう場合、「地色」とは、例えばマンセル記号でどの位まで異なっている色まで「地色」と認めるのか、それとも少しでも違っていると、それは「地色」と認めないのか。そこらの基準があいまいだという問題点があげられると思います。
例えばそれは、3つ上の画像で、ピンク色のイラスト部分と、車体のピンク色がわずかに異なっていますが、このイラストの背景部分は「地色」に含めるのかどうか、また実際のF-Trainでも、2号車の黄緑色が、わずかに色調を変えながら、虹のように3色くらい使われていますが、これについて、どこまでが「地色」で、どこからが「屋外広告の色」なのかについて、明確な指摘も無ければ、基準も無いようです。
この「地色」なるものの範囲がどこまでなのか、はっきりしない中で、担当者は「数え方が難しいところ」なんて言っています。これは、「ケースバイケースである」と言っているようにも聞こえるのですが、もし担当者の恣意的な運用を許す可能性があるとすれば、それはもはや「法の下の平等」に反するので、条例として成立し得ないはずです。それに、そもそも「地色」とは何かについて、広く広報されていないのも気になります。
7.施行規則はホームページに載せているというが、それで広く一般化していると言えるのか。
ホームページに掲載すれば、それでこと足れりとする風潮が最近あるようですが、国や自治体もそのそしりを免れません。100パーセントの市民が、自在にインターネットを操れることが間違いないのであれば、それで広報は足りると言えますが、当然そんな国などどこにもありませんし、日本は特に高齢世代でネットと無縁の人々が多いです。施行規則は、条例の下にあるものですが、そのような「細則」も含めて、そもそもあまねく広報されているとは言い難いのではないかと思えます。
例えば、夜逃げした人への通告は、裁判所の掲示板に一定期間書類を張り付けておけば、通告したことにする、という便法もあるようですが、この種の条例は、多数の市民が相手です。相手のいることについては、ちゃんと明確に広報してもらわないと困ります。広報しなければならないことを、ホームページと広報紙にちょろっと載せた程度で、「あまねく広報できた」などと考えるのは、それこそ傲慢というものではないでしょうか。もっと啓蒙をすべきです。
8.都は「一部修正の上許可を取り直せば運行継続可能」というが、そんなことが物理的に可能なのか。
ラッピングというは、今世紀に入る直前頃から、ビニール・プラスチック樹脂への印刷技術が発達したため一般化してきた技術です。そのため、上の「1」に掲げている画像の小田急線電車では、1983年や1987年の特別装飾なので、全てステッカーで処理されています。
ラッピングにおいては、元の塗装や接着されているものを侵すことなく、上にシートを貼り付けるので、ぴっちり隙間無く車体を被うように貼ることが出来ます。しかし、実際のところそれを「広範囲に修正」しようとすると、一度貼り付けたシートを伸ばしながらはがし、再度貼り付けるということになり、とても可能とは思えません。実際にそんなことをしたケースは、聞いたことがありません。今回のF-Trainのケースでは、著作権がからむキャラクターが印刷されています。そうすると、再度キャラクター入りのシートを印刷し、納品、著作権的チェック…とやっていたら、これまた短くても数ヶ月単位の時間がかかってしまうでしょう。都は、そうした「修正」が事実上不可能なことを、知っていながら「一部修正の上許可を取り直せば運行継続可能」なんて言っているとしか思えませんがどうでしょう?。
9.法は法を守るのであって、人を守るものではない(ものが多い)。
法律(や条例など)は、人が作るものであって、人を守ることを前提にしているはずではないかと、思う方も多いかと思いますが、実のところ、あまりそうとは言えないのではないかと思います。
それというのも、今回の件で、いったい誰が幸せになったのか。幸せになった人など、誰もいないということには、注目すべきかと考えます。せいぜい役人の功名心を、くすぐった程度のものではないでしょうか。
法律とか、条例というものの基本的理念は、市民の安全や安寧な生活を守り、正義を守り、秩序を守り、もって人々の生活を幸せに導くことのはずです。しかし、今回の件を見るにつけ、ほとんどそのようには機能していない。どうも都の対応は、多分に「見せしめ」的感じを拭えず、全体に不透明感が漂うのが気になります。
全面ラッピングバス(下画像がその例)や、荷台に広告のみを搭載した広告トラック、新宿・歌舞伎町や秋葉原の全面広告ビルなどと、電車の車体広告が、面積的に10分の1以下でなければならない条例上の整合性は、全く感じられません。
富士急ハイランドの、「リカちゃんタウン」広告全面ラッピングバス。都内新宿駅西口で撮影。バスは全面広告でも、問題なしなんでしょうか。
荷台を全面広告としたトラックの例(例なので、特に本記事と広告の内容・広告主は関係ありません)。これがOKで、電車は車体の1/10以下でないといけないという整合性がわかりません。いずれも都内・新宿周辺で車の中から撮影。
法律論的には、「あれはいいのか論」が通用しないことになっているのは理解しています。しかしそれは、一般市民の感覚からしてどうでしょう?。「消費増税」のように、「取りやすいところから取る」という考えに一脈通じる、「指摘に素直に従いそうなところから指摘する」という姿勢が見て取れるような気がすると言うと、勘ぐりすぎでしょうか。
無論、法律を無視しろとか、条例なんてどうでもよいと言っているのではありません。今回の件が、はからずも都条例の不整合性や、実態に合わない状態を露呈させた(ので問題であり、今後議会でちゃんと議論すべきだ)、ということを言っているのです。
10.意図的なのかどうか「東横線プリキュアトレイン」が、条例を遵守していたのか回答しない点について。
前のページのやりとりの中にも記しましたが、私が2度に渡って話として出しているにも関わらず、東急東横線で運行された「プリキュアトレイン」の車体広告が、都条例とその施行規則に準拠していたのかどうかについては、明確な回答が得られていません。あれは、純粋に映画の宣伝で、区や市の事業などでは無いと考えられますので、問題がなかったかどうかは、公平性を担保する上で、かなり着目すべき点になります。正直、運転期間が短かったこともあり、「見逃していた」のではないかという疑念も生まれますね。
11.小田急電鉄側のその他の事情について。
小田急の路線は、登戸−新宿間と、柿生−相模大野間の一部だけしか都内を通らないので、相模大野−小田原間、および相模大野−片瀬江ノ島間限定運用にしてしまえれば、都条例など関係なくなります。本来であれば、そのように完全限定運用にしてしまうことで対応するくらいの、気概を持ってもらいたいところですが、今回のF-Trainは、10輌貫通編成(中間で切り離しが出来ない)で制作したため、限定運用には、車輌の運用面での問題以外にも、不都合がつきまとうことになり、やむを得ないことになってしまいました。これがもし6輌編成であれば、限定運用にはしやすいでしょうが、神奈川県内限定運用にしてしまうこと自体、本来の装飾目的である「藤子・F・不二雄ミュージアム」が、川崎市にあり、最寄り駅は「向ヶ丘遊園駅」ですので、そこまで走れない記念電車は、そもそも記念の意味がかなり薄くなってしまうとも言えます。
その他、おそらくキャラクターの背景を取り去ってしまえば、すぐ許可申請→許可となりそうですが、その場合、キャラクターの回りのラッピングシートを、切り抜かねばならず、車体や下に貼ってあるステッカー式の帯などにキズが入ることになりかねないので、ちょっと出来ない相談だったでしょう。