高架経堂駅折り返しの様子
2011年3月11日に発生した「東日本大震災」では、多数の方々が亡くなり、また被災され、いくつもの原子力発電所が地震動と津波によって、危険な状態となりました。特に福島第一原子力発電所は、炉心の冷却が地震と津波によって不可能となり、水素爆発と炉心溶融が起き、かなり遠くまで高い線量の放射性物質がばらまかれる事態となったのは、周知の通りです。それぞれご苦労なさっている方々には、心よりお見舞い申し上げます。
そのような中で、東京電力管内では、複数の原子力発電所が被害を受けて停止したため(および火力発電所も点検などで停止していたところもあったため)、電力が不足であるとして、4月に入ってから中止されるまで、「計画停電」と呼ばれる、時間帯とエリアを区切って停電する、「強制節電策」が取られるに至りました。本来このような強制節電策は、綱渡りの部分はあったにせよ、不必要だったようですが、こうした過酷事故が起こること自体、それまでの自民党政権・経済界・電力会社・研究者が一体となって唱え、今も唱えている、「原発は安全で、事故は起き得ない」という結論ありきの「原発安全神話」が崩壊したことを意味しており、自民党・歴代政権を始めとした関係機関には猛省を促すとともに、「血を流す」努力を要求すべきであると考えます。ですが、その幻想に過ぎなかった「原発安全神話」を信じ、電力を湯水のように使い、それに依存し過ぎていた国民も、みな立ち止まって反省しなければならないでしょう。
しかし、原発を強力に推し進めて来て、いまだ反省もなく推進の姿勢を変えようとしない自民党政府、東京電力の原発依存、危機管理能力の欠如、大規模災害時のバックアップ体制のお粗末さ、強い隠蔽体質は、「想定外」などという言葉で許されるものではありません。このことは、結果として供給電力に余裕が無くなる事態を招き、それにより各鉄道会社は、減便ダイヤでの運行を迫られ、後に緩和されたものの、有料特急の大量運休など、社会に与えた影響は大変大きいものがありました。この事実は記憶に留めておく必要があるでしょう。また、その後の電力供給から見て、原子力発電所の稼働無しで、決定的な電力不足には陥っていない(民主党・野田政権は大飯原子力発電所の再稼働を強行しましたが)こと、および、地震国で国土も狭いこの日本において、原子力発電に依存する体制は、たとえ当分の間不便や、見かけのエネルギー費高騰を招いたとしても、国民に身体安全上の危険負担を強いることから、即刻やめなければならないのは自明です。
今回の電力供給余裕の不足と、計画停電により、小田急線では、一時ターミナルの新宿から、わずか8キロの距離である経堂駅までの折り返し運転しか出来ない事態に陥りました。一部区間(例えば藤沢−片瀬江ノ島間など)では、終日や長時間の運休という事態にも陥っています。
ここでは、2011年3月15日、たまたま通りかかった経堂駅で、どのように電車は折り返していたかを紹介することにします。そして、このような異常な運転が、どうして起こったのか、またそれに対して、私たち都市生活者はどう考えるべきかの、よすがにしていただきたいと思います。
経堂駅で終着となる下り電車が、1番ホームにやって来ました。全列車ここで折り返しなので、当然各停での運転です。そのため梅ヶ丘−経堂間は、緩行線走行となるので、そのまま1番ホームに到着するようにしていました。休憩しているのでしょうか。ホームのベンチにはわずかに乗客が座っています。発着表示も、1番ホームは全て「当駅止まり」。2番ホームは電車はやってこない旨の表示のみです。
乗客を降ろした電車は、そのままドアを閉め、1番ホーム下り方にある渡り線で、急行線(2番ホーム先)へ転線します。前の表示は、まだ「各停 経堂」のままです。
下り急行線上に停車する電車(2000系)。ここで車掌さんと運転士さんが前と後ろで入れ替わり、いわゆる「エンド交換」をします。経堂駅は、このような「非常運転」を考慮した線路と信号の配置になっているようです。この画像で右へ別れていくのは、4番ホームへの線路、左下へ伸びる手前の線路は3番ホームへ、その左は順に、上り通過線、下り急行線、下り緩行線です。
やがて時間になると(10分に1本の運転)、下り急行線を上り方向へ逆線発車し、渡り線を渡って3番ホームへ入線します。表示はエンド交換時に、「各停 新宿」になっています。なお、車輌は同じ2000系ですが、時間の関係で同じ列車を写したものではありません。念のため。
ホームに据え付けられた上り新宿行き。撮影したのは昼過ぎでしたので、各車輌数人から10人程度の乗客でした。据え付け直後がらんとした車内のクハ2454号。
人影もまばらな上りホーム。おおよそ3時近くですが、通常あり得ない光景です。停車しているのは、14時56分発新宿行き各停。
改札口にある発車表示。下り方面(画像左側)は、無表示状態です。右側は全て各停で、10分間隔であるのがわかります。月曜日の午後とは思えない構内の人の数…。
これらは、直接には原発を「信仰」する人々と、電力会社の根本的に間違った思想がもたらした、「人災」の図です。しかし、東京に限らず、都市が抱える「もろさ」を示すものでもあります。もっと言えば、全ての人間は、いつもこのような「もろさ」の中で、微妙なバランスを偶然保って生きているに過ぎないということです。それを、あらためて考えさせられる出来事でした。深く胸に刻む必要があるかと思い、あえてここに紹介した次第です。
原子力発電所への依存度が、もう少し小さければ、あるいは「事故は起こりうる」という前提で、火力や水力のバックアップ体制がしっかりしていれば、さらに電力の供給について、もっと正確な隠蔽の無い情報開示がなされていれば、起こり得なかった事態ではないでしょうか。