このページでは、当時北陸地方在住であった友人「自由人」氏が撮影してきてくれた画像を紹介します。

EF70 1000番台の画像です

 氏が帰省するということで、撮影してきてもらった画像です。これは富山駅に停車する、旧形客車列車を引くEF70形1000番台(EF70 1007)。EF70の1000番台は、本来20系客車をけん引する高速形です。ブルートレイン「日本海」などに活躍しましたが、その後限定解除され、一般運用に。このように旧形客車の先頭にも立っています。見る限り全て青い客車のようですね。機関車後方の小屋根、「テルファー」(荷物用エレベータ+横移動機)が、今となっては大変珍しいです。1983年春。


EF70形の客車列車の画像です

 EF70形は、この時まだ初期形が活躍していました。一度は休車になりながらも、車輌不足のため復帰して列車を引くEF70 9号機。ヘッドライトがシールドビーム2灯化されています。上の1000番台とは、色々な部分の形態が異なることがわかります。塗色は「赤2号」のはずなんですが、東北の機関車より明らかに明るい赤に見えます。HOゲージのカツミ模型店製EF70形は、塗色が明るすぎると言われていますが、案外本来に近い色なのかも知れません。2輌目客車はオハフ33の3500番台のように見えますが…。富山駅。同年。


オハフ33形3537号の画像です

 オハフ33形の1000番台と1500番台(電気暖房付きはそれぞれ3000番台と3500番台)は、オハ35を改造して、車掌室を設けた車輌です。トイレと反対側の客窓を原則的に700ミリ幅に縮め、車掌室+手ブレーキ室としたもので、当然尾灯を装備しています。このうち、1000番台は、TR23台車を装備する車輌の改造、1500番台はTR34台車を装備する車輌の改造で、種車の台車によって、改造後の番号を振り分けました。そのため形態はまちまちで、丸屋根の1500番台、戦後形ながら戦災台車を装備するため1000番台になったものなど、いろいろあります。このオハフ33 3537号は、戦後形の鋼板屋根、キノコ形折妻、TR34台車付き、という装備になっています。外観上も、比較的ひずみが少なく、状態は良好のようですね。北陸本線には、旧形客車末期まで、この種の珍しい形態の車輌が、比較的多くありました。富山駅にて。


オハフ33 3550号の画像です

 しかし、ここで大問題が発覚!。自由人氏、貴重な車輌をよく撮影してくれました。国鉄の付番基準では、オハ35改造のオハフ33の場合、以下の取り決めになっています。
A.オハ35形の戦前形または戦後形でTR23台車付きの改造→オハフ33形1000番台。
B.同上・電気暖房装備車→オハフ33形3000番台。

C.オハ35形の戦後形、または戦前形のうち台車振り替え、戦災復旧などでTR34台車付きの車輌の改造→オハフ33形1500番台。
D.同上・電気暖房装備車→オハフ33形3500番台。

 さて、上の画像の車輌を見てみましょう。車輌番号はオハフ33 3550号です。すると、番号からすれば、「D」のタイプ、すなわち、オハ35形の戦後形などでTR34台車を装備した車輌を改造し、電気暖房が付いている車、ということです。
 しかし、画像をよく見て下さい。この車輌の台車はTR23Gという、TR23形をコロ軸受けに改造したものです。
 コロ軸受けへの改造は、オハ47形やオハ35形、マニ36形などでよく見られるもので、これは付番基準に影響を与えません。コロ軸受け改造車は+500番などという取り決めはないのです。したがって、本来この車は、「B」のタイプになるべきで、オハフ33形3000番台になっていなくてはおかしいということになります。

 オハからオハフに改造する際に、コロ軸受けであったか無かったかで、1000番台と1500番台を分けたという説がありますが、それですと、例えばオハフ33 1002号(TR23G台車付き)や、1010号(同)の説明がつきません。やはり台車形式がTR23であるか、TR34であるかで分けた以外には考えられないのです(TR23G台車とTR34台車は、軸箱の中に入っているコロの形状が根本的に異なっており、共用できないため形式を分ける必要があったと推定できます)。

 しかし、一方疑問も残ります。他の車輌で、このような付番の原則に当てはまらない例は、少なくともオハ35改造オハフ33形の場合、現在確認されている中では、3549号とこの3550号のみです(オハフ33 1011号も、TR34台車付きなのに、1000番台になっていますが、これはのちに台車交換されたとのこと。そうすると1500番台へ再改番の必要は?)。だとすると、ある時点で台車の振り替えがあったのではないか?、ということが考えられますね。
 つまり、例えばこういうことです。元々TR34を装着したオハ35として落成し、その後オハフ33に改造された。その時点ではTR34形台車を装備していたので、3500番台に付番した。しかし、その後何らかの不具合が、台車に生じて、TR23Gに交換された。そうなると本来は改番しなくてはならないが、車輌の寿命も考え、改番しないままとした。…などというシナリオが考えられます。

 TR34形台車は、戦後ベアリング業界を、軍需産業排斥の動きから救うため、戦後まもなくの車輌に、積極的に採用されたローラーベアリング式の台車です。同形に電車用のTR36、DT13などがあり、機関車用でもEF15形やEF58形には、コロ軸受けの台車が採用されました。しかし、当初はベアリングの摩耗が激しく、保守には手を焼いたそうなので、台車としての不具合は、割と多かったのかもしれません。戦災復旧客車のTR23B台車の謎(TR34の台車枠に、わざわざ平軸受けの車輪をはめた珍しい台車。オユ36→スユ37などにも採用)や、電車用DT13を、わざわざ平軸受けにして、客車につけたTR35U台車の存在(スユ40形に装着)、私鉄でも京王帝都(現:京王電鉄)デハ1800系の台車に、TR35(DT13の旧形式)を平軸受けにして装着など、コロ軸受けの不具合の可能性を裏打ちするような事例が、いくつか存在します。

 しかし、オハ35からオハフ33への改造が、1965年頃と、戦後20年を経た段階であり、コロ軸受けの不具合は、既に克服されているはずであること、および、今のところ撮影された資料によれば、オハフ33 3549(元オハ35 953)、マニ36 2228(元オハ35 954)、オハフ33 3550(元オハ35 955)と、連番で3輌が、いずれも日立製作所製であり、TR23G台車を装備していたことが確認されていることから、少なくともオハフ33 3549と3550は、オハ35として新製された時からTR23台車を装備していて、その後のオハフ33への改造の際、番号をつけ間違えた可能性が高い感じはします。
 ただし、TR11台車で落成したオハ35が存在し、のちにそれらはTR23またはTR34に交換されたようなので(鉄道ピクトリアル750号、50ページ。電気車研究会・鉄道図書刊行会刊、東京)、TR23の戦災台車を、TR34に振り替えたり、その逆が存在した可能性も、確実な資料がない以上、否定できません。

 いずれにせよ、これらの車輌の存在は、これまで知られてきたオハ35形系列の常識・知見を覆すもので、その点において極めて重要な資料と言えるかと思います。果たして付番ミスなのか、台車振り替えがあったのか…。興味は尽きません。

 オハフ33 3550号、車体はごく普通の戦後形オハ35からの改造です。鋼板屋根、絞り折妻で、車体の仕上げは良好な方です。オハ35から改造のオハフ33は、オリジナルのオハフ33と比べて、車掌室の窓が客室寄りです。またこの窓幅は700ミリですが、施工工場によっては1000ミリのままとしたところがあるようです。富山駅にて。
 このページの画像は、全て「自由人」氏提供。

※オハ35、オハフ33の台車に関する考察部分の参考文献は、鉄道ピクトリアル749号、750号。電気車研究会・鉄道図書刊行会刊、東京、による。


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