身延線旧形国電3

 さらに続けて身延線の電車を紹介します。
クモハ51812号の車内の画像です

 クモハ51812号車内。最近の電車で言えば113,115系などのようにセミクロスシートです。このような座席配置は、国鉄ではこのクモハ51形が最初のようですが、のちの70系や111系、さらに私鉄の一部などでも採用されました。

 それにしてもニス塗りの座席と壁は、重厚な美しさを持っていますね。通路中央に立つスタンションポールも、イスなし車(サハ204やサハ208とか)でない車輌で見ると、懐かしい感じもします。1980年甲府駅にて。


クハ47061号の車内の画像


 ちょっと写真が暗いのですが、日本最長?のスーパーロングシート(13.1メートルだとか)をもつクハ47061号の車内です。右奥はトイレ、背後が運転室です。クハ47の50番台は、サハ48の運転台取り付け車で、身延線と飯田線に何輌かいました。本来クハ47形やサハ48形は、側窓2つにつき1組の固定クロスシートのはずです。しかしこのようなスーパーロングシートになったわけは、戦後進駐軍がやってきたときに、進駐軍専用車にするべき2等車(当時)が不足していて、やむを得ずサハ57形やサハ48形の3等車を代用車にしたところ、ロングシートのサハ57はともかく、サハ48では大柄な米兵にはクロスシートが狭すぎ、それならばということで幅広のロングシートに改造したとのことです。もっともそもそも当時はクロスシート車でも座席を撤去していた車輌が多かったようなので、クロスシートを整備しにくかったことも理由の一つでしょう。

 そんなわけで登場したロングシートのサハ48(一部はサロ48)でしたが、横須賀線で使用後、地方転用のため運転台を取り付けて身延線に配置された…ということです。ただこのロングシートが当時のままの寸法か、また車内が米兵の嫌ったニス塗りのままであるが、実際に進駐軍専用車として使用されたのか、などいくつかの疑問があることも事実です。


甲府を発車するクモハ51818号の画像


 これから富士への旅に出るクモハ51818号です。手前は乗務を終えて引き上げる私の乗ってきた電車の車掌さん。クモハ51も少しずつ形態に差があるのは、旧形国電ならではのもの。この車は助手席側の窓が2段のままです。また運番窓も2桁のままですが、大鉄形通風器はありません。窓の寸法自体はクモハ51826と同じのようです。1980年12月甲府駅にて。


 古いネガを整理していましたら、62系の写真が1枚見つかりました。

クハ66001の画像です

 甲府駅の身延線ホームに停車する62系、クハ66001号。トップナンバーと喜んだのですが、よくよく考えてみると、クハ66000号がトップナンバーなのでした(笑)。車体すそが垂直面なのがわずかにわかります。ホロも旧形用のものですね。113系や115系とは、スカートの形状も異なり、何しろ台車がDT13です…。クハ66形には、0番台と300番台、モハ62形にも0番台と500番台があり、それぞれ検査回帰が違っていたそうですが、入場の時はどうしていたのでしょうね?。62系の編成はずっと固定的で、登場時から変わったことはないはずなので、クハだけ検査とか、モハだけ検査ということがあったはずですが、そういうときは、ほかの車全てが「無効止め車」になっていたのでしょうか?。1977年夏撮影。



 62系の走行写真を、「Fコレクション」から。

62系の画像です

 全くこうして見ると、113系の4連に見えますね。パンタが中間車に1つずつあり、いずれもPS13であることと、ユニットサッシなのに非冷房、車体裾がやはり目立つことなどから、わかると言えばわかるのですが。またサボ受けが、中央ドアの脇にあるのが目立ちます。113系などは、端のドア脇です。撮影地は不明ですが、おそらく富士宮の近くと思われます。編成はA2編成のようです。改造車なので、前面タイフォンの高さに、車輌による多少の差異があるようでもありますが…。1975年6月1日撮影、「Fコレクション」から。

62系の画像です

 田園地帯を行く62系。こちらは偶数車になります。台車の様子から、クハ66300番台のようですが…。Fコレクションから。1981年7月8日。

身延線旧形国電の画像です

 富士電車区に待機する、身延線旧形国電。左からEF15、遠くクモハ60800番台、クハ55300番台、クハ47000番台、62系です。これも「Fコレクション」から。1981年7月18日撮影。



 

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