2004年8月20日号

24時間心電図

 
  24時間心電図
 

 このところ、夏になると心臓に違和感を感じるようになった。違和感といっても、他人の心臓が入ってる気がするとか、どうも心臓が止まっているようだ、とかいうのではもちろんない。
 心臓の拍動が、正しいテンポで打たず、所定以外のテンポで、1回から2回程度打つような感じがするのである。こういうのは「期外収縮」というのであるが、既に私の場合は、かなり昔から、風呂上がりなどに起こっていた。特に気にもしていなかったし、今日まで心臓が止まったわけでもないので、問題はないと思っていた。
 ところが、去年は冷夏だったせいか、あまり感じなかったが、おととしと今年は、日によって一日に数回から多ければ十回程度、「期外収縮」するようになった。広い意味では「不整脈」の一種だから、放置していていいのかどうか、疑問になってきた。
 そこで家庭医には、時々相談していたのだが、そのたびに薬を処方されてきたし、また心電図も検査してきた。
 心電図の検査では、多少の問題も無くはないようだったが、深刻な問題は見つからなかった。
 だが、今年はその期外収縮の回数が、あまりにコンスタントなものだから、一度24時間、心電図がどうなっているか監視することと、心臓の器質的な問題がないかどうかは、超音波で、一応調べておこうということになり、近くの基幹病院に予約をしてもらい、検査にいくことになった。
 基幹病院という考え方は、家庭医では出来ない検査や、急を要するような事態、精密な検査機器を使用して検査しなければならないような時に、家庭医から病院に連絡して、所定の処置を行い、その結果を持って、患者を家庭医に戻し、連係を保つことのようである。
 このシステムは、まあまあうまくいっているようで、先々月に母親が肺炎になったときにも、その日のうちに検査・診察を受けられ、診断結果もわかった。待ち時間はかかったが。

 さて、検査の日になって、病院へ行くと、まず問診ののちに、心電図室というところに行き、普通の心電図を取ってから、当初の予定通り「24時間心電図計」というのを、体につけられた。
 これは「ホルター心電図」とも言うようだが、要するに胸の回り5カ所に、心電図用の電極を貼りつけ、それから心臓の拍動の波形を拾い、腰につけたレコーダに24時間記録するというものである。検査そのものとしては、運動したときの心臓の拍動波形を見る、「負荷心電図」とともに、すぐれたデータ採取方法の一つであると思える。
 ところが、これが開発されたときからそうだと思うのだが、なんとレコーダの中に入っている記録媒体は、「カセットテープ」なのである。てっきりメモリカードにくらいはなっているかと思ったのだが。
 開発当初は、カセットテープがコンピュータの記録メディアであったりした時代だったし、カセットステレオなどの例もあるから、進歩的に見えたものだが、ハードディスクにテレビを録画したり、DVDで映画を見たり、デジタルカメラで大きくて精細な画像を撮影して、それを切手ほどのメモリカードに記録したり…という生活が、普通になった今、未だ24時間心電図計だけは、ひとりカセットテープを綿々と記録媒体に使用していたという、「前時代ぶり」には驚かされた。
 別にカセットテープでも、きちんと記録されればいいではないか、とも思うが、実際につけてみるとわかるけれど、カセットテープが記録媒体ということは、その大きさ以下には、記録装置そのものを小さくできないということである。つまりヘッドホンステレオの、ちょっと大きいやつ位のものを、腰に下げていなければならない、それも24時間…ということである。
 しかも5本もあるケーブルが、腰の脇で太い1本のケーブルにまとめられ、さらにそれが装置の手前で一度延長されて、装置につながっている。これらを全部下げた状態で、一日生活しなければならないということである。これは結構、じゃまで負担になる。
 つけた日は風呂に入れないし、シャワーも浴びられない。記録用紙をわたされるので、いつトイレに行ったか、食事をしたか、酒は飲んだかなども、それに記録しなければならないし、もし気になる症状が出た時、つまり私の場合は、期外収縮が出た瞬間ということだが、そういうときは、装置本体の「イベントボタン」を押せ、と言われる。これらはかなり神経を使うことだ。そのおかげか、どうも毎日数回あった期外収縮が、24時間心電図をつけていた当日、ほとんど出なかった。これでは意味があるのかどうか…。
 やはり技術の進歩は、日進月歩である。メモリカードを使うか、内蔵メモリチップなどを使えば、心電図計本体の大きさは、5センチ角位には出来るはずだ。それに伴って、ケーブルも細くできるだろうし、電極を止めるのも簡単になるはずだ。
 実は電極を止めるために貼ったばんそうこうテープが、あとで非常に皮膚をかぶれさせ、外す直前から、外した夜は、かゆくて仕方なく、あとでかゆみ止めを、つけなければいられないほどであった。これはまさしく、検査のために新たな病気を引き起こしているのであり、「医源病」とすら言えてしまう。皮膚の弱い人用のばんそうこうテープというのも、今は市販されているのだから、少なくともつけるときに、「皮膚は弱いですか?」くらいは聞いて欲しい。そしてあまり強くない旨答えた人には、テープをかぶれにくいものにする位の配慮は欲しい。外した日から5日たってこれを書いているが、未だにあとが消えず、少しかゆいほどである。
 検査などというものは、気軽に、かつ簡単に、負担が少なく受けられないと、受けることがおっくうになったり、怖くなったり、イヤになり、受けなくなってしまう。それは予防医学という、現代の医療の考え方の主流に反する。
 現代は、起こりうる病気を、あらかじめ予見し、そうした病気にならないようにしよう、もしなったとしても、重症化しないようにしよう、そのために検査を受けよう、と提唱している。だからガン検診もあれば、血液検査もあり、尿検査もされるのだ。
 しかし、寝るときもつけていなければならない、24時間心電図計が、小さめな弁当箱ほどもあり、実際寝るときには、脇に置いて、ケーブルを伸ばして寝なければならないというのは、明らかに患者の負担を増やしているとしか思われない。
 家庭医と大規模病院の連係を良くする。これは結構なことだ。また病院も、苦情を院長自ら聞いて回答する掲示板などを、ロビーに用意していたから、それも結構なことであろう。
 しかし、苦しい検査、二度とやりたくない検査、そのこと自体が負担になるような検査というのは、予防医学の観点からも好ましくない。24時間心電図計が、直ちに二度とやりたくないとまでは言わないが、今後、24時間心電図に限らず、様々な検査において、さらに機器の改良や、システムの改良が、少なくとも一般家電並みには進むことを、強く期待したいと思う。もしかすると、そういう地道な改良が、何人かの命を救うことになるかもしれないのだから…。

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