五十代の乱心?
最近、ちょっと意外に思うようなことが、続けて起こった。3つほど列挙してみようと思う。
一つ目は、あるターミナル駅の中にあるデパートの、食品売場へ降りるエスカレータに、買い物をしようと、二人連れで並んで乗っていたとき、後ろから私を強烈な力で押す者がいる。もし転落すれば、私の前の人たち数人も巻き添えだから、なんとか踏ん張りながら、何事かと振り返ると、無言で私を押しのけて通り過ぎる、白髪混じりの男がいた。
二つ目。とある私鉄のターミナルから、各駅停車に乗って、すいていたので、荷物を脇に抱えて、7人掛けの端に座った。始発なので立っている人もなく、7人掛け座席1つあたり一人から二人程度の「着席率」であった。そのうちに電車は発車し、私はついうとうと寝てしまった。4〜5駅先にある、別な私鉄との乗換駅についた頃、私の脇に異様な勢いで「どすん」と座る人がいた。眠っていたが気付いて、そのほうを見ると、私の荷物と私をじろっとにらんでいる50歳くらいの男性がいた。「しまった混雑してきたのか。荷物を置いていたのはまずかったか」と思って、あたりを見回すと、なんのことはない。前の座席は相変わらず2人しか座っていない。他の座席も、前の座席と同じ様子である。私の座っている座席には、そのおじさんを入れて、5人も座っている。それで了解した。この50歳代男性は、私が荷物を横に置いたまま寝入っているのをけしからんと思ってか、私の横にわざわざやってきて、ぶつかるかのように座ったのだと。
三つ目。近所の駅前でタクシーを待っていた。ここはタクシー乗り場がきちんと設定されてない。それも問題なのだが、白髪の50歳くらいの男性が、丁寧な口調で「あなたはタクシーを待っているのですか?。ここでひろえますか?」と聞く。「そうですよ。待っていればひろえますよ」と答えると、私のそばをうろうろし始めた。
と、その時、丁度向こうから空車のタクシーがやってきた。すぐ手を挙げたが、なんとそのおじさんは、私の前にすすっと進み出て手を挙げ、おじさんと私の真ん中当たりに止まったタクシーに、乗り込もうとする。当然こちらは抗議してトラブルになった。ところがこの人は「急いでいるので」と言う。それならこっちだって同じである。この世の中、急いでいない人など、滅多にいないはずだ。「こっちだって急いでいる」と言うと、「じゃあいいよ、乗りなさいよ!」と、捨てぜりふのように言う。「その言い方は失礼だ」と言うと、なんとその白髪おじさんは、持っている鞄を投げ捨てて、私に向かってこようとする。それも2度もである。やれやれ。
この3度の「意外な体験」全てが、同じ世代の人、それも男性であることに驚きを禁じ得ない。
私はもうはっきり言って、いや、はっきり言わなくても十分中年である。まもなく40代になろうかというのだから。だがその私より少なくとも10歳は年上であろうかというような、人生の先輩方の、あまりに傍若無人な振る舞いには、憤りを通り越して、あきれてしまう。
この世代を指して「団塊の世代」と言うのだそうだが、私たち「初級中年」には、経緯はよくわからない。が、少し想像をたくましくしてみると、この人々の親は、おおよそ70代中盤くらいであろう。戦争が終わる頃に10代終わりから20代始めくらいであろうか。とすると戦争を挟んで、大きく価値観の変わってしまった世代である。よくこの世代は、その大きく変わってしまった価値観により、戦後に生まれた子どもたち、すなわち現在の50代を、どのように教育すべきかという指針を失い、相当な戸惑いと苦労があったとも聞く。そうした時代背景が、あるいは影響しているのかもしれない。
ニュースの特集番組で、JRの駅や電車内での暴力事件で、最も多いのは20代と50代であると伝えていた。
それから数年前に、立て続けに17歳の少年が、幾人も事件を起こした時期があった。これらの少年の親は、現在の50代にちょうど符合する。
私は現在の50代の人々、特に男性が、みんな傍若無人であるなどと言うつもりは全くない。どういう集団であっても、一部が悪ければ、全体が悪いように言われてしまうし、印象もそのようになってしまう。もちろん大多数の50代の人々は、一生懸命不況の風に立ち向かい、ストレスや生活習慣病、家族の独立など多くの問題を処理して、バリバリ現役で活躍しているはずである。
そして数年前の17歳たちも、ほとんどの17歳は普通の17歳であったのと、おそらく同じように、大部分の50代男性は、人のいいおじさんのはずである。
それは、30代の終わりである私も、認識しているのであるが、それにしては50代の「ご乱心」が、最近少々目に余るのも事実と言わざるを得ない。
まもなく私が迎えようとしている40代は、昔「四十にして惑わず」と言い、「不惑」と表現された。その更に10年上を行く50代に、無分別な人が若干多いかもしれないと思わせる「事件」が、身の回りに起こってくると、「それはいったいどうしたことか…」と、解せない気持ちにもなるわけである。
今や12歳の子どもが、4歳の子どもを猟奇的に殺す時代である。そういうことを見聞きするにつけ、初級中年の私は、憂鬱な気持ちで一杯である。どの世代が悪いか悪くないかという時代では、もはやないこともわかる。
上に挙げた3つの事例でも、いくつかは私に全く非がなかったわけでもないだろう。だが、たとえその世代の一部の人であっても、年下に苦言を呈されるようでは、ちょっと情けないと思う。もう「いい年の」と言われて久しいはずの「充実中年」としては、私たちのような「初級中年」を、もっと叱咤できるようでないと、仕方がないのではないか。「もう少し自重されてはいかがか先輩」と、言いたくもなろうかというものである。
とは言うものの、私たちもやがては50代になるときが来る。その時に30〜40代の人々から苦言を呈されないよう、身を慎まなければなるまい。人のふり見てなんとやら…。このことは肝に銘じておこうと思う。
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