2003年12月26日号

明日につなぐ技術

 
  明日につなぐ技術
 

 新しいデジタルカメラを買った。とても小さく、また軽く、ポケットに入れて持ち歩くのにちょうどよい。ケースが別売りなのも、最初は驚いたけれども、なるほどとうなづける。
 せっかく新しいカメラを買ったのだから、なるべく鮮やかな色のものを撮影してみようと、10月から育てている「赤ソバ」の花を撮ってみた。そして、ついでなのでそのまま出かけた。
 K駅前のスーパーで買い物をしてから、杉並のそば店Aに向かおうとして、ふと思いだした。このスーパーの北側の入り口には、デジタルカメラのスピードプリント機などというものがあることを。
 同様な機械は、新宿のYカメラなどに行くと、フロアにずらりと並んでいて、自分でもって来たカメラのメモリカードを、所定のところに差し込んで、画面で確認して枚数を指定、お金を入れると長くても数分で「プリント」されて出てくるというものである。
 さてわが町のスーパーにある機械も、当然同じような構造であった。そこでこれから行くそば店Aのみなさんにも、赤ソバの「現状」を見ていただこうかと思って、写りのよさそうなもの2枚を指定して、お金を入れた。ところが1枚はすぐに出てきたものの、2枚目が出てこない。どうも調子が良くないらしい。
 ともあれ、撮影した画像がその場で確認でき、それをプリントするのに数分程度ですむようになったというのは、驚くべきことである。「そんなのフィルムだって、23分仕上げがあるじゃないか」と言われるかもしれない。それはそうだ。確かにその通りだが、フィルムは枚数が決まっていて、例えば36枚撮りならば、34枚くらいは撮影してからでないと、ムダにするのは気が引ける。私などはニュースカメラマンではないのだし。そのため結局撮影してすぐ、というのはほとんどない。極端な話、デジタルならば、1カット撮ってすぐプリントということすら可能である。またその数分プリントが、街中ですぐ、というところがミソだと思う。
 
 電車に乗って、そば店Aに着いた。先ほどプリントした赤ソバの写真を見せたりしていると、他の客がちょうどいなくなったので、
件のデジタルカメラを取り出して、4枚ほどみんなで撮影した。実は前回来た時、店長とその奥さんが、デジタルカメラを買おうかと言っていたからでもある。
 せっかく撮ったのだから、さっきのように、すぐにプリントしてみたい。それとその画像に移っている人分、「焼き増し」ならぬ「プリント増し」…と言うのも変だから、複数枚数プリントしたい。
 それですぐにプリントしてくれる店を探した。ところがこれは一筋縄では行かず、そばのスーパーにもない。コンビニもだめ。写真屋が何軒かあるので「デジタルカメラの画像プリントはやってますか?」と聞いて回ったが、どこも3日かかるとか、工場に出すから1日カードを預かるとか、「使えない」ことを言っている。これには参った。家に帰ってから、家のプリンターでプリントするしかないか、とも思ったが、それではデジタルの本領は発揮できない。
 駅前を線路と平行に通る商店街をのぞくと、Fカラーの看板が出ている写真店が見えた。そこでダメならあきらめようと思って、急ぎ足で入って聞くと、50メートルほど先に姉妹店があり、そこでなら出来るので行ってみてくれという。
 やっぱり聞いてはみるものだと思いつつ、姉妹店に駆け込むと、なんとか30分時間をくれればやると言う。K駅スーパーや、新宿Yカメラの数分とはさすがに比べようもないが、時節柄、年賀状関係で混んでいるのだと言う。この際それでも仕方ないので、特急30分で頼んだ。
 30分きっかりたって、同じ店に行くと、ちょうどプリントが仕上がるところであった。店の人が数分の遅れを申し訳ないと謝るので、こちらこそ無理を言ってすみません、とわびて、出来上がったばかりのプリントを手に、お互いに笑顔で別れた。
 そば店Aに戻って、プリントを手渡すと、予想通り喜んでくれた。早さには少々驚きつつも。

 テクノロジーはこうして「楽しむ」ものであるべきだと思う。
 技術は日々進歩して、昨日の技術は明日は古いかもしれない現代である。科学は常に前に進まなくてはならないし、また当然にして、人間を幸せにするものでなくてはならない。
 その技術の進歩とか、利便を享受するのは、むしろその速度についていくのが大変なこともあるが、現代人に与えられた特権でもあるはずだ。
 いささか陳腐な話になるかもしれないが、テクノロジーを、人を脅かしたり、あやめたりするかもしれないことに使うのは、やはり間違っている。
 第二次大戦後、日本はかつてない長さ、戦争の惨禍に巻き込まれることはなかったと言える。その間に進歩した、非軍事的なテクノロジーは、人を幸せにしなかったか。もちろん答えはノーだと思う。

 4カットのプリントには、そば店の主人が、とてもいい笑顔で写っていた。この笑顔の主人のプリントを、なんとか時間に間に合わせようと、必死に作業してくれた写真店の店員の人たちもまた、私を笑顔で送り出してくれた。テクノロジーは、こういういい笑顔のため、人々の幸福のためにあり続けて欲しい。人の幸福とは、人それぞれによって違うという、困難な命題が課せられたとしても。

 あらゆるテクノロジーが、世界中の人々の顔を曇らせることがないことを願いつつ、今年の筆を置くことにする。

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