2005年6月10日号

暴力教師の思い出

 
  暴力教師の思い出
 

 私が中学生だった頃には、教師に殴られるなどというのは、ごく普通の光景であった。これが現代であれば、どういう理由であれ、教師が生徒に、もしくは生徒が教師に暴力を振るうなどというのは、許されないことになっている。
 そもそも教育現場というのは、人を教化する場所であるわけだが、通常意見の対立や、論争も、話し合いで解決しなければいけないし、それが当たり前の社会的ルールなのだから、その社会的ルールを教える機関である学校で、暴力によってなにがしかの支配が行われるというのは、その設立趣旨にあっていないと、言わざるを得ない。
 だから当然にして、体罰というように「美化」した言葉で語られる暴力は、排除されなければならないのは自明である。
 さてしかし、私の時代はそうではなかった。国語科のK教師、数学のT教師、物理のE教師、音楽のC教師の暴力は熾烈で、私は特にその標的にされた。教師どもも、体格がよくて、半グレの連中には、大したことはできないのだ。私のようにやせ形で、グレてもない生徒にこそ、しょっちゅう手が出る。そこがまた不公平だと思ったし、小市民的でいやな感じである。
 特にこの中でも、数学のTはひどかった。同じクラスのIという生徒といっしょに、授業中笑っていたとして注意を受けているのに、私にだけ「何へらへら笑っているんだ」と言って、顔を殴られ、口から出血して…という具合である。この時の怒りは、今でも忘れない。Iの家は、何か学校が尻込みする家柄だとか、うわさで聞いた。うわさだから、何も確証はないが…。
 それと物理のEもひどい。いたずらをした女生徒の腹を、げんこつで殴り、その場にその生徒が崩れ落ちたのを、私ははっきり目撃した。
 音楽のCは、私やH君という友達の頭を張りまくっていたし、国語科のKは、「招魂棒」なる木を削った棍棒を持っていて、それで尻を叩く。漢字テストの成績が悪いときなどである。
 まったく今から考えると、自分でも信じられないような光景だし、茶番のような話であるとともに、深刻な、学校のほうで口止めしていたのかと思わせる出来事もあった。
 当時は、携帯電話もなければ、今のように「体罰は不可」という空気は、まったくと言ってなかったから、それが普通のように思わされていたが、今だったら、特に物理のEのケースなど、その場でデジカメの動画か、携帯のカメラで撮影し、警察に通報すれば、即現行犯逮捕すらありうる。…もっともその場合、私が撮影・通報者だったら、あとで命がないかもしれないが…。
 このように最近は、暴力行為の証拠を押さえることが容易になったこともあってか、あまり表だって激しい暴力は、学校でも聞かなくなったが、陰湿な言葉の暴力や、いわゆる生徒間の校内暴力を、見て見ぬ振りをするなどというケースは、逆に増えているような気配だ。これはまたいやな感じである。
 そんな私の学校でも、他の先生方の名誉のために書いておくが、ここに例示した暴力教師は、一例であって、大部分の先生方は、口で言って聞かせたし、陰湿な言葉を吐く教師もいなければ、生徒間のケンカなどでは、毅然とした態度をとっていた。そのことはきちんと書いておく必要があろうかと思う。
 しかし、確かに一部、とんでもない教師が存在していて、それは我が中学校に偏在していたことも、また確かなようなのが、今となっては不名誉なことである。
 暴力で人を説得することなど、出来はしない。その証拠に、私は国語科のKを、殴り返してやればよかったと、今でも時々思うのである。
 断っておくが、ここに私怨を書き連ねているわけではない。今仮に上にあげた教師に会ったとしても、当時の“仕返し”をしようなどとは、思わない。もうそんな歳でもないのだし。だが、忘れてはいない。教師のほうは、年齢も加わって、私にいつどんなことをしたかなど、忘れてしまっているに違いない。要するに、教師の側からすれば、たくさん殴った生徒のone of themなのである。だが、殴られたほうは、そうはいかない。繰り返しになるが、暴力で説得はできないからだ。暴力を受けた記憶は、かなり長く残る。時に仕返しも、人によって、状況によっては考えるかもしれない。
 これと同じことは、全ての人間関係でも当てはまるし、話を広げれば国際関係だってそうである。
 当時13歳だった私は、国語科のKが持っていた「招魂棒」を奪って、Kの頭をかち割ったとしても、当時の少年法からすれば、罪に問われない。それに気付いていれば、あるいはやってみたかったかも知れない。そうしなかったのは、ただ当時、そういう知識がなかったし、子どもの頃から「先生の言うことを聞きなさい」というような教育を、受けてきたからだろう。わが家の教育は、「間違っていると信ずることに対しては、断固抵抗するべし」というところまでは、行っていなかった…のかもしれない。だから残念である。Kを病院送りにでもしてやれば、少しはおとなしくなったかもしれない。
 しかし、もしそれを実行していたなら、私も同じ土俵に落ちたことになってしまう。大人になって知識が付くということは、当時の少年法なら、おとがめなしだった、ということに気付くことでもあるが、すぐ手が出るような、低いレベルに、自分が堕すことの「不格好さ」に、気付くことでもある。
 まあ、そういうことを総合的に考えれば、単なる通過儀礼として、そういう時代があったのだと思っていいのだろう。
 人間だから、私も心持ちを一定に保っていられるわけでもない。だから、今でも時に口惜しく思うこともあるけれど、最終的なことを言えば、当時暴力教師だった連中は、もう老人世代…。立場からしても、体力からしても、もう私ら世代を、殴ることはほぼ不可能だろう。手足は衰え、目はかすみ、下手をすれば、認知症にでもなっているかもしれない。まさに「盛者必滅」ということの体現であろうか。
 もっとも教師というものほど、「後ろを振り向いて反省する」ということがない生き物も、あるいはないのかもしれない。リタイアして、その環境から離れ、時代も変わった今、自責の念とか、そういうものを感じたりはしないのだろうか。みんながみんな、認知症だと言うなら別だが…。
 それにしても、学校というところが面白いと思うのは、いつしかみんな歳を取ったとき、当時教師だった人々は、みな等しく老化し、ついでに私たち生徒だった者も、平行的に老化していることである。これは一種残酷な事実だが、滑稽でもある。人間のもの悲しさを、もの語るようなことである。
 ともあれ、今若い世代の人々は、少なくとも私が経験してきたほどは、暴力的な校内ではないと思うし、またそうであると信じたい。学校時代の思い出は、本来美しく、輝いていて、感慨深く、もの悲しい…はずだ。そういう思い出を大事にして欲しいと思う。

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