2004年12月3日号

文明がもたらした本当の悪

 
  文明がもたらした本当の悪
 

 先日の号では、東京都知事の石原慎太郎氏の、「文明のもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」という発言を取り上げた。
 もちろん、この発言はまるっきりおかしな、氏の持論によるものだろうと思う。
 では、本当の「文明のもたらした悪」とは、何であろうか。文明は、その言葉の定義とは矛盾するが、いいことのみをもたらしたわけではない。このことに間違いはない。するとその「悪」とは何か、知りたくはなる。

 さて、都内で流しのタクシーを拾おうとすると、意外にも車の奪い合いになることがある。バブルの一時期それはひどく、乗せるほうも、一部ではあるが「乗せてやる」的な物言いや、行動があったそうだ。しかしバブルははじけ、今や都内の幹線道路沿いなどで、空いたタクシーが、全く拾えないということはなくなった。であるのに、どういうわけか、あとから来た人に、しょろっと拾われてしまうという「奪い合い」は、逆に最近ひどくなったような気がする。
 最近の例であるが、私が近所の交差点のそばのガードレールの切れるところで、タクシーを待っていると、20代の若者が二人、私のそばにやってきた。そして空車のタクシーが来たとたん、そのうちの一人が、すすすっと前に出て、歩道のガードレールの切れ目から車道に出て、手を挙げるではないか。私があまり刺激しないように、「おおい、お兄ちゃん、こっちが先だよー」と言うと、もう向こうは因縁モードである。一人は、「すみません」と謝るのに、もう一人のほうは、「急にそんなことを言うとは何だよ」と言う。これはよくわからない理屈である。…というか、笑ってしまうというか。
 タクシーを横取りしようとした人に、声をかけるのに、急にもへったくれもない。「あのー、えーと、そのー」とでも言って欲しいのか?。そんなことをしてたら、タクシーは彼らに取られてしまう。もっとも、それがねらいなのかもしれないが…。
 専用の乗り場がないところで、件の二人が、200メートル先で、タクシーを止めたというなら、それはまあ仕方がない。だが、さすがに目の前でとなると、それはないのではないかと思う。こういう悪知恵だけはたらくというのは、いかがなものか。
 
 文明のもたらした最大の悪は、高齢女性ではなくて、知性を人々から奪い去ったこと、および、多くの場面で考えることをせず、直感ですむようにしてしまったこと、これこそが悪であると思う。
 人は考える動物であり、それがゆえに、他の動物にはない知能を持っているはずである。しかし、この世の文明、例えばそれはいろいろな機器類にしてもそうだが、そういったものは、全て考えなくても操作ができるようになってきているではないか。またテレビゲームの流行にしても、マンガの流行にしてもそうである。昔は本をいろいろ考えながら読んだものだ。しかしテレビゲームも、マンガも、それほど考えるということをしなくても、すんでしまう。
 …とこう書くと、テレビゲームでも、考えなければ進められないものがあるではないか、と、反論する人も多いと思う。しかし、そういうものは少数で、たいていはあまり考えずに、その場に起こる「イベント」に、ボタンで「反射的反応」をしていればすんでしまう。
 昔から私は、ゲームセンターなどにある、「ピンボールゲーム」が好きである。あれは、台の傾斜から、球筋を読んだり、どの順番でボールを打ち返せばいいか、台の上面に書いてある説明を読んで、それを理解しなければ、うまくいかないところが面白かった。今のテレビゲームの類には、そのようなちょっとした考察すら、無いものが多いではないか。
 現代人は、深く思考したり、洞察したり、簡単な言葉で言えば、人を思いやったりする心を、いろいろなものが便利になることで、失っていったのだと思える。
 こういうことを、言ったら、やったらどうなるか?。それを類推する能力すら、喪失していっているのではないか?。
 コンピュータの演算速度が、数値計算で10年前の約400倍になった。新幹線の最高速度が、210q/hから、300q/hになった。それらは、いろいろなことを便利にし、快適にしただろう。また、ある程度必要なことだと思える。しかし、物事速ければいいというものでもない。それは心の余裕を失わせるからだ。コンピュータが速く処理すれば、次の命令をすぐに出さなければならない。新幹線が速くなれば、ゆっくり車窓を眺め、想いにふけることも困難になる。その事実は、利便性とは別に、厳然と存在する。
 私は文明を否定しているのではない。どっぷりそれに浸かって生活しているのだし、昔の速度や生活に戻るべきだなどと言うつもりもない。しかし、文明は、いいことばかりをもたらしたわけではないのだ、時には悪ももたらしたのだ、それが現代人に、無感覚ということを通して、逆に降りかかっているのではないか?ということに、思いをいたすべきなのでは?と、問うているつもりである。
 人のことを思いはかることすら、できなくなっている現代人は、結局都知事の発言を笑えない。
 ともすれば、自分もその轍を踏んでいないのか。それは私もまた、考えなければならないことであろうとは思うのだが…

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