2004年10月1日号

鈍感表現の愚<2>

 
  鈍感表現の愚<2>
 

(前号からの続き)

 私もこの「コメットさん☆」という作品の、最終回後の「ストーリー原案」というのは、今現在(9月21日)で35話分くらい考え、ホームページ上で発表している。それは、この放送作品自体が、「あとは視聴者のみなさん、いろいろ考えてみてね」というような、終わり方をしていたからだ。
 しかし、手前味噌な話になるかもしれないが、一応放送当時の雰囲気や、世界観を大事にしようとか、そのままで「全年齢対象」の作品ではあり続けよう、だから生臭い話や、度を越した恋愛話は、書かないようにしようといったことには、気を配っている、つもりである。
 少なくとも上に紹介した、「小説」なるもののように、ぱっと見、成人向け小説かと思えるような書き方は、絶対にしない。なぜなら、そもそもこの「コメットさん☆」という作品の、作品世界が好きだからいろいろ考えるのであって、それに見合わない世界を考えても、それは時間の無駄だからというのが一つと、成人向けにシフトするならば、「コメットさん☆」のキャラクターである必要はないということが一つ、元作品のイメージに合わないだろうというのも一つ、さらに、全年齢対象から外れないように書く「自由」も、また担保されているということが一つの、主に四つの点に、根本的な理由があるからだ。
 同人雑誌にオリジナルストーリーを書くということと、ホームページに同じように書くというのは、似ているようだけれども、実は非常に違うという点は、認識しなければならない。
 それは同人誌の場合、よほどのことがない限り、実質的な頒布部数が、300冊以上になることはない。それに対して、ホームページは、いくらかの知り合いがいれば、テーマにもよるけれども、すぐにアクセスは数百程度行くものである。ということは、まごうことなく、そのコンテンツを世界に発信しているということであり、どういう人が、どういう気構えで見るか(読むか)わからないということである。
 それゆえ、同人誌では許されても、ホームページでは書かない方がいいテーマというのも、あるにはあるのではないかと思える。そういったことには、もっと敏感であるべきだ。
 無論、この国は表現の自由が確保されていて、どんなことでも書いていけないとは言えない。しかし、それでもあえて言うが、対象を考えれば、しない方がいい表現とか、ファンを自認するなら、しないですますほうがいい表現というのも、あることはある。それはまあ、自分のイメージが大切だと思うなら、他人のイメージも大事にしなきゃ…というようなことでもあろうか。
 上の「小説」なる作品を、現在も世界配信し続けているのは、前にも書いたように女性だという。こういう女性の書き手は、全てではもちろんないが、どうもロマンがないのではないかと思ってしまうのは、差別ということになってしまうのだろうか…。女は子どもを産んで育てたりするから、ロマンティストではあり得ないのだと、言った人もいる。が、それを「そうですか」とは、私は言い切れない立場だと思うのだが。

 昨今、児童ポルノ禁止法の「改正」をすすめようという動きがある。現在、児童ポルノには、イラストや文章のものは除外されている。そのため、人目をはばかるような絵のものが、マンガのコーナーを中心に、普通の書店で「成年コミック」などとして、売られている現状である。
 あまりそういうものに、目の色を変える歳でもないし、かといって聖人君主でもないから、多少はそういうものの内容くらいは、見知っているが、学齢期の少女にひどいことをするような、「これはいくら何でも…」というようなものが、多くなっているようだ。
 そのような流れの中で、児童ポルノ禁止法を、より強化して、絵のものも取り締まれるようにしようという動きも、総論としては賛成せざるを得ないかな、とは思う。しかし、やっぱり一応、私の「意見」としては反対だ。
 なぜか。それは、拡大解釈の余地が、これまでに比べて、ものすごく広いからである。
 今までの法律でも、お父さんがビデオで、風呂上がりの子どもを撮影したら、場合によっては違法行為になるがごとき話が、まことしやかにささやかれている。実際にそれで、どこかの父親や母親が、逮捕されたという話は聞かないし、そんなことを言ったら、ビデオカメラのメーカーは、商売上がったりだろうから、今後もそうはないと思いたいが、法律の趣旨をそのまま読みとれば、そういうことも含めて、取り締まりの対象になりうる。これは危険なことだ。
 国家というものは、常に国民を監視したがるものである。それは自由主義であろうと、全体主義であろうとかわりはない、と言い切れる。しかし、それに対して、つまり国が表現の自由や、思想・信条の自由を「統制」するのを、ただ傍観して無関心に待っていることなど、できようはずもない。そんな権限を、国に与えた覚えはない。
 しかし、もし絵も文章も、児童ポルノ禁止の名目のもとで、監視されるようになるとすれば…。
 上の「成人向け小説」の女性も、「成人コミック」の執筆・編集の人々も、当局に対しての「利敵行為」を、なしていないのか?。それは非常に気になる。
 それは飛躍が過ぎるという人も、当然あるだろう。しかし、誤解を恐れず言うなら、その気になれば、どんな理由付けだって出来うるということである。そのひん曲がった理由付けでさえ、法律の前には立派な大義名分となるわけだ。
 一ホームページで、「成人向け」な表現を、少々したからとて、今日明日すぐに法の網が、私たちに降りかかるわけではない。規制はもっと狡猾に、少しずつ網の目が細かくなっていくがごとく、行われる。そこへ至る手助けを、もしかするとしてしまっているのかも…ということに、常に思いをいたさないとすれば、それはネット配信者として失格ではないのか。「小説」と銘打ったものを、世界配信するならば、そうした自由と規制の関係にくらい、もっと敏感であるべきだ。

 この話は、マイ・ブームであるところのアニメ作品に対して、「ファン」と称するものが、あまりに無神経と思える表現を、多くの人の目に触れるネット上でしていたということについて、それをたたき台とし、そういう無神経・無理解・無関心が、関係するかもしれない危険を、予想して考えたものである。
 したがって、何も絶対なものはないが、こういう私の考えが、思い過ごしと、杞憂に終われば、それはそれでいい。しかし、それを誰も保証できないところに、鈍感化した「表現人」たちの、怖さがある。
 本当に、飛躍と考えすぎの産物なら、それでいいのだが…。
(完)

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