2003年12月12日号

冬の日は短くて

 
  冬の日は短くて
 

 地元の鉄道線に、10月から、1960年代の塗装を再現した、イベント電車が走っている。
 最近は各地の鉄道で、昔の塗色を再現して運転するのが、どうもはやっている様子である。しかし普通の通勤形電車で、1編成しかないし、特別なダイヤで走るのではなく、毎日特に決まりなく走るので、なかなか出会うのは難しい。
 それで有志の人々が、毎日その電車を目撃したら、あるいは乗車したら書き込むネット掲示板を作り、公開した。そのため、毎日その掲示板をのぞけば、時刻表と照らし合わせることで、イベント車が、いつどこの駅を通るかを、知ることができる。
 そんな便利なところがあるので、私もそこに書き込む一方、あまり上手ではない写真の腕だが、年賀状の絵柄になるような写真は撮れないかと思って、ありがたく利用させてもらうことにした。
 それで、その掲示板で得た情報を元に、ある日、午後4時過ぎ頃、地元の駅のホームに、入場券を買って上がった。
 ところが撮影しようと、カメラを取り出すと、もう日は沈んでいて、高架線の遠くに見える山の向こうに落ちた日が、山の稜線を映し出しているに過ぎなかった。これでは高速で走る電車を、ブレずに撮るのは難しい。イベント車は、時刻表によると、この駅に停車せずに通過する急行である。
 つくづく日が短くなったなと思う反面、案外何時頃になると日が沈むのか、わからなくなっている私は、すっかり自然から遠くなっているような気がして、いささか困ったような気分になった。子どもの頃は、日が沈むなどというような自然現象に、もっと敏感だったはずなのに。
 しかしまあ時期的には、もう夏至から5ヶ月半も立ち、もうすぐ冬至という時期だから、当たり前なのであるが、都会に住んで毎日を無感覚に過ごしているようになっていると、あらためて気付かされた。 
 結局まもなくやってきたイベント車は、流し撮りで撮影することにした。夕日に映えるイベント車なんていう構図を期待していたのだが、あえなく没となった。うまく撮れているかどうかさえ、はやりのデジタルカメラではないから、すぐにはわからない。

 冬至と夏至とどっちがうれしいかと考えれば、その時点としてどちらとも言い難い。強いて言えば、夏至はそこからのち、日は短くなるばかり。それに対して冬至はこれから毎日日が長くなるので、やはり冬至のほうがいくらかうれしいような気もする。
 ではその間はどうかとなれば、これは文句無く冬至から夏至に向かう間のほうがいい。何しろその間には、桜の咲く春だってあるのだし。
 地球は極点に近い地方だと、一日中日の沈まない白夜や、一日中日の射さない日があるという。そのような地方に住む人々は、白夜はともかく、日が射さない日が何ヶ月も続くことについて、どんな気持ちで暮らしているのだろう。ちょっと想像もつかない。
 新宿に買い物に行くと、帰りの電車は地下から発車して、やがて地上に出る。その時外の景色が暗いと、なんだか気分が沈む。それは特に秋から冬にかけて、日が短くなる時期に重なるわけであるが、寒さに縮こまる体とともに、心まで縮んだような気持ちになる。これは日本の地球上での位置と、東京の位置にも関係するのだろうが、もう少し日が、全体に長ければいいのに…と思う。しかし冬は早く家に帰れという、自然の指示かもしれない。
 幸いあと十日ほどで冬至だが、その冬至が過ぎるのを、指折り数えて待つウチの人々である。

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