2005年8月4日号 ※都合により1日早い更新です。

外国人は向かい合い

 
  外国人は向かい合い
 

 先日、近くの駅から急行電車に乗ろうと、駅のホーム上にある、乗車位置目標のところに並んでいると、同じように、ちょうど隣の乗車口に当たる場所に、二人の外国人が並んでいた。
 電車がやってきて、乗車すると、件の外国人二人は、声高に話を始めた。聞いていると英語なので、まあ英語圏の人なのだろう。しかし、国籍まではわからない。体格はよく、歳は30歳くらいの人々である。
 ところが、この外国人の英語に輪をかけるように、向こう端の座席には、おばさんが二人、これまた車内じゅうに聞こえわたるほどの声で、延々とべらべらしゃべっている。この二組の人々の会話は、昼下がりの急行電車の中で、ひときわ目立っていた。通常、思うよりは、昼下がりの電車も、静かなものなのに、である。
 やがて電車は最初の停車駅を過ぎ、空いた座席に、二人の外国人は座った。ところが電車の長いいす、両側に数人ずつの空間が出来たのにもかかわらず、この外国人は、あっちとこっちの座席、つまり通勤電車の長いす・ロングシートで、通路を挟んで向かい合わせになるように座ったのだ。それぞれのとなりには、余裕があるのに…である。
 そうしてまた、通路を挟んだまま、声高に英語でしゃべり続けている。
 これはなかなかに面白い光景だと思われた。向こうのおばさん二人は、相変わらず熱心にしゃべっているが、おばさんは、隣り合わせに座って、なお比較的大きな声でしゃべっているのに、近くに座っている外国人二人は、通路を挟んで向き合って会話しているのだ。
 おばさんの声量が、隣り合わせで、車輌のすみでしゃべっているのに、車内じゅうに響くというのは、相当なものだと言わざるを得ないが、それよりも不思議なのは、どうして外国人の二人は、隣り合わせに座らないのだろうか、ということである。大きい声で迷惑とまでは考えないが、通路を挟んで向かい合って、大声張り上げるよりは、隣り合わせで普通の声を出すほうが、エネルギー的に楽ではないのか?。
 この理由について、いくつか考えてみたが、そもそも彼らの国には、ロングシートの通勤電車というものはなく、通常列車は全て向かい合わせ座席、ということが考えられる。
 確かにアメリカの郊外電車や、イギリスの通勤電車、オーストラリア・メルボルンの近郊電車など、おおむね外国の都市近郊電車は、クロスシートと呼ばれる、向かい合わせ、もしくは一方向向きの座席が続くものである。全ての座席がロングシートという電車が、多数走っているのは、東京くらいのものかもしれない。もちろん、例外はあって、ニューヨークの地下鉄などは、ベンチのようなロングシートではあるが。
 そういう習慣から、向かい合わせに座って、通路を挟んで会話するということに、あまり抵抗がないというのは、考え得ることだ。われわれ日本人だと、周囲への気兼ねや、会話の内容を聞かれるだろうなどと思って、通常電車のシートのあっちとこっちで、通路を挟んで会話するというのは、あまりしないと言っていいだろう。ここらへんは、その国の習慣の違いなのだろうか。
 このような外国人の車内でのしゃべり方というのは、前にも見た記憶があるから、どうも外国人に多いスタイルなのだと言えそうだ。前に人が立つかもしれないなどとは、そもそも考えないのだろうか?。それとも、たまたま彼らの住んでいる町には、ロングシートの電車など、無いのだろうか…。
 彼らとおばさんの、小うるさい会話は、終点の駅まで続いていた。同じように声高な会話でも、片や通路を挟んで対面で、片や隣同士である。やはりこれは、文化の違いと言うべきか、それとも何か必然があるのか…。

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