2006年4月10日号

花見雑感

 
   花見雑感
 

 花見というと、まあ普通は「桜の花を見る」ことをさす。私などは、桐好きな母の影響もあってか、「桐の花見」というのもするが、「タイサンボクの花見」、「ラフレシアの花見」などというのをする人は、花見の定義にもよるけれど、まあいないだろうと思う。
 さて、そういうわけだし、都内近郊の桜も、ちょうど見頃を迎えた3月末から4月上旬にかけて、何カ所か、うちの定番的ポイントに、桜を見に行ってきた。新宿御苑、成城町、鎌倉・段葛…である。
 新宿御苑は、酒類の持ち込み禁止なので、大酒飲んだ人々が、そこらで飲んだくれて、カラオケをがなるということもない。お酒は、苑内の食堂で、飲めないことはないが、酔っぱらうほど飲んでいる人など、見かけたことすらない。
 それで新宿御苑は、落ち着いて、本来の花見が出来ると思うので、毎年都合をつけていくのであるが、今年は例年になく、天候が不順だったせいか、何種類もある桜が、いっせいに咲いている感じで、とても美しかった。
 珍しいと思ったのは、中国人の団体客が、バスでやってきていたことだろうか。最近、経済の活性化で、小金持ちになった中国の人々が、日本の各地にやってくるようになったと聞いたが、新宿御苑に花見にやってくるというのは、意外な感じだった。
 もっとも外国人そのものは、前にもタイ人の家族が、八重桜を見たりしていたので、それほど驚かないけれど、中国は「桃の国」というイメージがあるものだから、大声でカメラを構えて写真を撮る団体は、少々意外な感じがしたのだ。
 しかしふと、中国人の団体も、「花を見て」いるのかいないのか?という疑問を持つ。
 というのは、よく隅田川の川べりや、各地の公園などで、「場所取り」までして酒を飲んで歌ったり、騒いだりしている人々は、既にイメージとして定着しているけれど、彼らは「花を見る」ことを、「名目」にして、単に騒いだり、飲んだくれたりしているに過ぎないようにも思える。それは主たる目的が、花を見ることではなく、飲むことだと思えるからだ。
 するとこれは、中国人の団体のほうが、まだ喜んで写真に撮るだけ、花を「見て」いる ようにも思う。この点で、日本の花見によく見られる、一種の狂乱状態は、矛盾を抱えているような気がするのだ。
 そもそも酒やカラオケといった、「騒ぐこと」、「ハメを外すこと」に、無上の喜びを感じている人々はいいかもしれないが、そういう雰囲気を嫌う人や、ゆっくり落ち着いて花を見たいと思っている人からすれば、迷惑千万な話である。
 しかし一方、そのように書く私だが、うちに帰って、撮影してきた写真を、プリンターで印刷していると、ある事実に愕然とした。
 桜の花とつぼみを接写した写真を、プリンターで印刷して、じっと見てみると…。桜(ソメイヨシノ)のがくとつぼみには、産毛のような毛が生えていることに気付いた。こんなことは、ン十年人間をやっていて、長く通った学校にも、いつもたくさん桜の木があって、それを眺めていたはずの私なのに、はじめて気付いたことである。当たり前に見ているはずの、しかも「しらふ」で、じっと見ているはずの私だったが、いささかちゃんと「桜の花見」、特に「見」をしていたのかと、実に困った気分になる。
 無論、桜の花の構造的なところを見るばかりが、花見だとは言えないとしても、写真に撮って気付く、というのは、自分の目で対象物を、よく見てない証拠だとも言えてしまう。
 すると「花見」とは、直接花を観察することではなくて、季節として美しい花が咲く光景を、「感じること」なのか…。いや、それこそが日本人の、古来から続く、本当の「花見の意味」なのか。その辺が、わからなくなってしまった。
 中国人団体のように、大喜びでカメラに納めるのも花見、カラオケ+大酒も花見なのだろうか?。
 私はいままで、少なくとも後者は、花見ではないと思ってきた。それは上にも書いたとおりである。ところが、「花を見る」とは、目で見て鑑賞するのではなく、雰囲気を感じることなのだとすれば、悔しいが、その考えはいささかあやしくなってくる。
 桜前線は、東京を過ぎて、更に北上している。今はまだ、都内でも散りきらない花を見ることが出来るが、それもあと1日から2日というところだろう。10年ぶりの大寒波から抜け出て、しかし例年より早く咲いた桜。それは、あらためて意外な問いかけを、私に残していったような気がする。

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