2004年3月5日号

早すぎたタンポポの花

  早すぎたタンポポの花
 

 わが家のカントウタンポポは、近年冬でも地上部が枯れず、葉っぱが赤っぽく、小さくなりはするものの、じっと寒さに耐えて春を待つようになった。
 年が明けて、日が少しずつ長く、日差しも次第に強くなるにつれ、葉を青々とさせてきて、勢いを盛り返すのである。
 今カントウタンポポは、2つの鉢に数株があるが、1つの鉢に2株だけ植わっているほうは、とりわけ毎年元気である。
 今年は全体的に暖冬で、季節がやや「前倒し」しているかのようだ。2月はそれほど厳しい寒さではなく、ことに下旬に入ってからは、4月並の気温を記録する日すらあって、意外な感じである。2月にして「夏日」を記録した地方があった。これには驚くほかない。
 そんななか、元気なカントウタンポポの一株は、平らに広がった葉っぱの真ん中から、しっかりしたつぼみをたくさん持ち上げ、2月12日、そのうちの1本の花が咲いた。
 テレビの地域ニュースでは、どこだかの河原で、タンポポが咲き始めたとか言ってはいたが、うちの回りでは、セイヨウタンポポすら咲いていない。もっともカントウタンポポは、おそらくうちにしかないのであろうが…。
 とにかく、こんなに早いタンポポの開花は、この辺では一番かもしれない。まるで春を告げるかのようである。
 コンクリ建物の6階というのは、風も強くて、虫もわいたりするから、あまり植物の生育には良くないかと思うのだが、地表に植わっているわけではないので、地表面からの底冷えのようなものは、植物に直接作用しないのかもしれない。それが開花を促す温度に、もしかすると影響しているのかも。
 秋まきで育てている「赤ソバ」も、3月に入ろうかというのに、完全には枯れず、未だに新しい花が少しは咲いているほどである。これはもう「越冬」という感覚だ。
 開花したカントウタンポポの株は、次々にそのつぼみを開いていったが、カントウタンポポのような「在来種タンポポ」の多くは、自分の花粉で実がつかない「自家不和合」なので、一株の花が次々に咲いても、その花が実になって、綿毛になることはない。綿毛の元のようなものはできるのだが、むなしく枯れてゆくばかりである。
 別な株の花があればいいのだが、他の株は、つぼみすら見えないものがある始末で、開花時期は相当バラバラの感じである。これは今年の気候のせいもあるかもしれないが、そもそもは遺伝的にいろいろな性質が混在する「在来種」の、特徴であると思われる。
 科学的検証としては、そう言えるけれど、自分も含めた「人」は、そういう見方だけをするのでもない。
 「花が咲く」ということには、過去から現在に至る多くの人々が、特別な感情を持ち、それを表現してきたと言える。絵画、歌、詩、俳句…。おそらくそれは未来永劫変わらないだろうと思う。
 その特別な現象である「花が咲いて」いるのに、タンポポは、実をつけることができないでいる。そして美しく咲き誇った花も、数日で枯れていく。その運命は、自然の摂理とは言うものの、私たちの心を、そぞろ揺り動かすものがある。
 それは「開花」が、「実に結びつく」前段階の現象として、当たり前に起こることを、人も生物的本能として知っているから、かもしれない。いわば無常感のような感覚と言えるかと思うのだが。
 そんな人間の心配をよそに、2月が終わりに近づいた頃、となりの株が開花した。これでおそらく綿毛もできよう。
 植物は、いつでも前に進もうと、しているものだ。

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