2004年8月13日号

平和と憲法

 
  平和と憲法
 

 8月15日が近づいている。今の若い人々は、国の教育がいい加減なせいで、知らない人も多くなっているのかもしれないが、この日は「終戦の日」である。
 この日本という国が、アメリカをはじめとする連合国と、戦争をして敗戦した日、ということである。
 この日を「敗戦の日」と呼ぶべきだとする人もいるが、私の見方としては、戦争に勝ち負けは、本当の意味において無いと思うので、特にその言い方にこだわらなくてもいいと思う。長く苦しい、そして若い人々が酷く死んでいった戦争が、ようやく終結した。その事実だけで十分のような気もする。
 私は戦後の生まれであるから、戦争とはどういうものか、正直なところイメージしてみることしかできないし、そのイメージだって、必ずしも正しいものかどうかわからない。しかし、私の生まれるわずか二十年ほど前には、空襲があり、若い特攻隊員が、アメリカの戦艦に自爆攻撃し、女性や子どもがひどい目にあわされており、日本の軍隊が、アジアの国々の人々に、虐殺や略奪をしたりしていたのは、紛れもない事実である。
 その事実を知る今、私のような戦後世代は、どうするべきなのだろうか。
 直接の戦争責任を取ることは、何しろ生まれていないので、出来ない。したがって、結局自分たちよりも上の世代、特に戦前世代の人々が、実体験してきた戦争のありさまを、聞いたり、様々なメディアで見たりして、それを伝承する手伝いをするしか、無いのではないかと思う。

 さて、最近とみに現行の憲法を、「改正」すべきであるという論議が、政府内をはじめとしてわき上がっている。世論調査でも、驚くほど多数の人々が、「改正」なるものを支持している。これは危険なことだ。
 そもそも国会議員や、公務員が、憲法改正を口にすること自体、第99条(「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」)に抵触するのではないかと思うが、そのことには誰も触れない。少なくとも学者くらいは、それに触れてもいいのではないかと思うのだが。
 全ての物事は、一定不変などということはないのだから、憲法も時代と共に変わって行くべきだ、という考え方自体は成り立ちうる。しかし、あの第二次世界大戦から59年。私たちの自由で平和な生活を、守り続けてきたのは、他ならぬ、この憲法に違いない。
 なぜなら、憲法は「最高法規」であって、それを上回る法律や条令、政令などは、設定することは許されない。その憲法で、「武力行使はしない。陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は認めない」と規定されているのである(第9条)。この世界にも類を見ない規程こそが、この国の平和を守ってきたことには違いないからだ。
 憲法の歴史上、アメリカの押しつけ憲法だという人もいる。確かにGHQの憲法草案が、最終的に現行憲法のもとになっているのだが、それまでにいくつもの草案が、当時の政党でも作られたし、旧体制を引き継いでいた当時の政府部内でも、作られた。しかし、政党で作られたものはともかく、政府のものは、ほとんど明治憲法を引き継ぎ、主権在民、基本的人権、戦争放棄を、明確にうたっていなかったりしたため、その内容に業を煮やしたGHQが、自ら憲法草案を作った。とすれば、それは当時の政権が、それなりの対案を提示できなかったということなのであり、その責任は当時の日本人にあると言わざるを得ない。それは「押しつけ」というよりは、それ以外に選択肢が無かった当時の、政治的権能の貧困と言うべきなのではないか。
 もちろんいろいろな思惑が、そこには絡んでいたのだろうし、私は憲法学者でも無いわけだから、知らないことも多い。そのため説明しきれないけれども、どういう成立過程であれ、この憲法があったからこそ、日本という国は、戦争の被害にあわなかったばかりか、国の力を、ほとんど全部、技術力の向上に当てられた。その恩恵を、私たちは日々享受しているはずである。このことは尊い。もし第9条が無かったら、高度成長はあっただろうか。新幹線は開通していたか。私たちは、こうして自由なメディアを持ち得ていたか…。
 歴史にifは無いと言うけれど、それを考えないわけにもいかない。平和とか、自由とかいうものは、今やあって当たり前になっていて、それがどういう過程で達成されたかということには、普段気付くことは少ない。だが、戦争が無いということが、私たちにとってどんな良いことをもたらしてくれているのか、たまには考えるのも、先人の苦労や犠牲に応えることになると思う。
 第二次世界大戦の末期、十代から二十代の若者が、多数戦争で命を落とした。そこには特攻という名の自爆攻撃で散った人々も多い。人道に対する罪とも言える原爆で、命を落とした大人も子どももたくさんいた。空襲もまたしかりである。そういう事実を思うとき、ふたたび若い世代を戦争に送り出したり、子どもを巻き添えにしたりするわけにはいかないという、強い決意を感ずる。
 私の年齢では、もう予備役くらいにしかならないだろうから、戦争にかり出されて「人殺し」をすることにはならない、かもしれない。しかし今10代から30代前半くらいまでの人は、もし戦争になって、徴用されるようなことがあれば、戦闘行為、つまりは「集団的人殺し」に、強制的に参画させられるかもしれない。
 私は独身で、子どもがいるわけではない。が、世代としては、小さい子どもか、中学生くらいの子どもがいたって、不思議はない歳になった。いままであまりそういうことを意識したことはなかったが、最近電車に乗って小さい子どもが、父親といっしょにいたりすると、「もしかして、子どもがいれば、あんなかも」と思うようになった。そうすると、やっぱり今子どもの世代には、たとえ私が今独身だとしても、ある責任を持たないわけにもいかない。
 前のほうに、私は戦後生まれだから、戦争責任は無いと書いたが、戦後生まれだからこそ、自分たちはもちろん、これから大人になる世代が、少なくとも戦争の惨禍に巻き込まれることのないように、するくらいの責任はあるのではないかと思う。それはどういう理屈で、というよりは、大戦に倒れ、寿命を全うできなかった多数の人々が、私たちの享受した平和や自由の「恵沢」(けいたく)を、その後の世代にも継承せよと、命ずるような気がするからである。
 今日、私たちは、自由にホームページなどを作り、いろいろな情報を発信したりできるし、友人と遊びに行くことも自由だし、その行動や思想に、国から何かを押しつけられることはない、はずである。
 その自由は「放縦」というのとは違うが、本来的なものであって、既に空気のようなものだから、いちいちそれを実感する機会は少ない。しかし、実はそれを獲得するために、長く苦しい「悲しみの歴史」があったのだということは、心のどこかにとどめていなくてはならない。そしてその自由を、正しく次の世代に対しても、手渡してゆく責任を自覚しなければならないと確信する。そのことが、59年前の戦争で、命を落とした、名も無き多くの人々に対する、私たちの責務であるとも信ずる。
 憲法改悪をもくろむ勢力に対しては、断固としてその改悪に反対し、自由のもたらす「恵沢」は、それがいつまでも続かなければならないと思う。「終戦の日」は、その名の通り、永遠に8月15日であり続けなくてはならない。別な日になるようなことがあっては、決してならないのである。

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