2004年4月30日号

必死のチラシまき

 
  必死のチラシまき
 

 いつもよく利用するK駅の前には、駅ビルがあって、ここに最近某コンタクトレンズチェーン店が入店した。
 この駅ビルは、私が子どもの頃からいくつものテナントが入店しては、廃業したり、リニューアル工事で退店したりを繰り返している。そんな中で、やや高いと言われる賃料をものともせず?、そのチェーン店は入店した。
 ところがこれは、その駅ビルや駅の利用客にとっては、まもなく迷惑千万な店となった。
 それは「こんにちは、○○でーす」という声高なかけ声と共に、ゴミにしかならないと思われるチラシを、完全に毎日、本当に一日も欠かさず毎日、少なくとも日中はまき続けているからだ。
 まあ最初の一週間位はいいとしても、毎日となると、何度も同じようなチラシをもらうわけにもいかず、そのビルをよく利用する身としては、だんだん困った気分になる。

 そもそもこの会社の幹部は、毎日同じ場所でチラシをまいて、どれほどの宣伝効果があると思っているのだろう。能がないと思う。
 チラシや宣伝ビラの類は、極力多くの人の目に触れさせなければ、効果が半減してしまう。それを毎日同じような人に渡そうとするのは、まったく時間と人件費、それに資源のムダである。こんなこともわからない会社というのは、いかがなものかと思うのだが。
 少なくとも場所を変えるとか、時間帯を調整するくらいの知恵は絞るべきではないのだろうか。
 またそのチラシをまいている人が、かなり必死の様子なのも気になる。声をからさんばかりに、「こんにちは、○○でーす!」と大声を上げている。風の日も、非常に寒い日も、暑い日も、雨の日も…。
 おそらくバイトの人なのだろう。また会社は「もっと大声で」、「にこやかにしろ」、「とにかくまいてまいてまきまくれ」、「規程枚数を何時間以内にまけ。さもないと給料削るぞ」…といったような要求をしているに違いない。いや、確証はないけれど、そうでも言っていそうに見えてしまうほどの、まいている人の必死さである。
 末端の一販売店は、成績を競わされているのだろうから、本社の指示には盲従的にならざるを得ないのだろう。したがってあまり好ましくないのは、その会社の本社の姿勢である。
 そういうのを毎日見ていると、もうそのチラシまきの人が立っているところは、極力通らないようにしようと思う。つまり迂回してしまうということである。ビルから出て、駅へ向かおうと思っても、チラシまきがあることを思うと、とたんに暗い気持ちにすらなる。
 同じように思う人は結構多いのか、別の通路を通って駅に入る人や、一度駅から地下道に降りて、エスカレータでビル内に直接抜けるコースを通る人が多くなった。地下道には飲食店が並んでいるが、見る限り、それらの店のお客さんの数が、わずかではあるが増えている様子である。これでは、自社のチラシをまいて、他の店の宣伝をしているかのようである。この会社の上の人々は、この事実を知っているのだろうか?。
 たかだか1つの店が、駅から駅ビルへ、あるいは逆の人の流れを、変えてしまうほどの権利はないようにも思う。迷惑に感じている他の店もあるのではないか。
 うちの母親によれば、「チラシをまいてもいいけれど、5メートル先にゴミ箱を置いて、いらない人はいったんもらってからそこに捨てる。ある程度たまったらまた回収、再利用すればいい。ボロボロになったらやっと捨てるのはどうか?」などと、冗談めかして言っている始末である。
 チラシの再利用は地球にやさしいかもしれないが、もちろんボロボロになるまで再利用というわけにもいかないから、結局効果的なまきかたを研究してもらうしかないと思う。
 このところテロを警戒して、駅や商業施設からゴミ箱が撤去されている。チラシまきの人があまりに必死なので、つい気の毒に思って、チラシをもらっても、結局捨てるしかないわけで、しかしあたりにゴミ箱はないわけだから、家まで持って帰る気にはならず、したがってやっぱり最初からもらわない…という悪循環になっている。
 それにしてもチラシまきの人は、若い人ばかりであるが、会社支給のジャンパーを着て、今日も明日も意味のないチラシをまき続ける。
 若者の能力を、こんなことに使いつぶしていいとは思われない。若者の仕事として、こんな程度のものしか提供できないとすれば、会社はもちろん、やはりこの国のゆく道も、拝金主義に堕しているという点で、どこか間違っているのだと思う。

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