ヒヨドリ、困った!
昨年までは春先ごろから、ベランダに果物を置きさえすれば、ヒヨドリが飛んできて、満足そうについばんでいたものである。
今年もそろそろそういう時期である。12月に、実ったキンカンを、少々食べられてしまったこともあって、リンゴを買って置いてやろうかと思っていた矢先、まさかの「鳥インフルエンザ」流行である。
鳥インフルエンザは、鳥に対しては高い病原性を持っているが、今のところ、相当濃密に、罹患している鳥や、そのフンなどと接触しない限り、人へ簡単にうつることはないようだ。ただしかし、フンには高い濃度でウイルスが含まれるようなので、罹患している鳥のフンを、安易に処理すると、感染の危険がないわけではない。
それで社会の動きを見ていると、もうなんだか恐怖にかられてか、飼っていた元気なチャボを捨てたり、学校ではニワトリを「殺処分」したりという、今の段階でちょっとどうかというような反応をしている人々もいる。
また京都の某養鶏場では、ウイルスの封じ込めに失敗したようなので、かなり周辺や、そこと取引のあった場所への影響が、残念ながら懸念される事態となっている。
もともとこの病気は、アジアで流行しだし、それが野鳥によって国内に持ち込まれてしまったらしい。京都周辺では、カラスの死体からウイルスが検出されたので、人工的に飼育されている鳥はともかく、野鳥のウイルス保持率がどの程度か、心配されるところではある。環境省も調査に乗り出したし、野鳥の死骸を見つけたら、保健所に通報するようにと、政府は呼びかけている。
さて困った。ヒヨドリは、置いた果物を食べていくのはいいけれど、たいてい大きなフンをしていくのである。
今の段階で、元気にそこらを飛び回っているヒヨドリと、そのフンが、直ちに危険ということはないけれど、野鳥がどれくらいウイルスの保持者であるかがわからないので、一応気を付けないわけにもいかないだろうと思う。
去年までは、フンの片づけを、その昔結核にやられたせいで、肺の機能が低下気味のうちの母が、特別な対策もなしにやっていた。私が請け負うつもりでも、朝洗濯する時などに、ついでにやってしまうのだ。今回の鳥インフルエンザの人間に対する病原性以前に、母のような病歴の人は、呼吸器系の疾病が重症化しやすい、「ハイリスクグループ」と言えるので、心配は心配だ。
それと、ここは集合住宅だから、近隣の目というか、「関心」ということもあるだろう。もちろん、重々迷惑をかけることのないように、気を使ってはいるが、何しろ今年は姿の見えないウイルスが相手。いらぬ心配をする人がないとも言えないかもしれないし、野鳥の汚染度によっては、必要な心配、かもしれない。
そういう状況だから、少なくとも、野鳥の罹患調査の結果がはっきりしないうちは、ヒヨドリに果物を置いてやるのは、やめた。
と、そのような方針を決めた矢先のこと、母がベランダで植物に水やりをしようと、サッシの扉を開けるべく外を見ると、1羽のヒヨドリが、既にベランダの手すりに止まって、じっとこっちを見ていたという。
いままでだと、人の姿を見ると、「ピィッ」と一鳴きして、どこかへ飛んでいってしまうのだが、母の姿や顔を覚えていたのか、じっとしばらく見つめたまま、飛んでいくこともしなかったそうだ。
そんなことがあるのだろうかと思ったが、もしかすると、鳥の記憶力は、想像以上であるということなのかもしれない。
ところがある日、私が今度はベランダに出ようと、窓のところに寄っていくと、何者かがベランダのたたきのところから飛び上がり、手すりに止まった。よく見るとヒヨドリである。やはりじっとしばらく手すりに止まって、こちらを黙って見ている。やがていずこかへと飛んでいった。
こういう「事件」が続くと、私の決意も揺らぎがちである。まるで「今年は無いの?」と、ヒヨドリに聞かれているかのようだ。
「今年はね、鳥インフルエンザという病気が…」などと、ヒヨドリに言って聞かせても、彼らは納得してくれそうにない。さあ困った。
正直、果物を置いてやりたいのはやまやまである。しかしやっぱり、少なくとももう少し情報がはっきりしないことには、単に私たちの感情的なことでは、すまされないいくつものファクターがある。
天災でも災害でも、正しい情報を自らのものにすることが、危機管理の基本である。今回の某養鶏場でも、正しい情報を自らのものとし、それを保健所や自治体、周辺の人々と共有していれば、もう少し違った結果になったかもしれない。
野鳥に関する、確実な情報がない今、私も方向性を見いだせないでいる。
ヒヨドリたちも、うちの人々も、「困った!」と思っているこの一週間であった。 |