2005年5月20日号

ホームページの責任

 
  ホームページの責任
 

 友人が、「知り合いがホームページと、ブログというのを始めたがっている」と、言ってきた。
 しばらくすると、その人は、「ホームページビルダー」というソフトを購入して、自分が編集に携わった本を宣伝するサイトを、なんとか作った。私にも友人から、見てみるように「指示」があったので、ちょっと覗いてみたが、まだ「ホームページを開きました!」というには、ほど遠いというのが、正直な感想であった。
 どうも昨今、ホームページビルダーのせいなのかどうなのか、発表したいテーマをよく吟味せず、ホームページを開設する人が多いような気がする。
 これはホームページビルダーというソフトの問題では、本来ないのだが、このソフトは簡単な操作ですぐ作れ、特別なスキルを必要としないせいからか、初心者がまず買ってくるソフトらしい。
 ホームページを、作ってみようという心を、低い敷居にすること、また、情報を誰かに発信しようとする心そのものは尊いと思う。それに手を貸すための、簡単なソフトは歓迎されるべきである。ただ、そういういいソフトがありながら、内容を十分に吟味しないとすれば、それは宝の持ち腐れ、ひとりよがりと言われても致し方あるまい。
 結局、技術的なことのクリアは、ソフトに任せて、一方内容についてとか、ホームページを開くに当たっての、最低限のノウハウをわかっていない人が、安易に始めるものだから、見るのに苦労するようなテーマと内容、そして体裁のホームページが出来上がってしまうのだ。
 そのように書く私だって、それほどホームページの作成が、上手ということはないだろうが、「最低限のノウハウ」とは、例えばトップページに過度に大きな画像を貼り付けないとか、文字を小さくしすぎないとか、画像にはタイトルと、万一表示できない場合、代わりに表示されるテキストを入れるとかの、見る側に親切な、ごくごく基本的な「作法」と、セキュリティに関する意識である。
 ところが、友人の知人が作ったサイトは、それら全てがことごとくできていない。
 まずトップページには、その宣伝したい本の巨大な画像。これでは表示するだけで、相当な時間がかかってしまうし、上下に画面をスクロールしないと、問題の本の画像全体が映りきらない。それから、リンクが切れている自分のブログ。この人のブログを読もうと思っても、閲覧ソフト(ブラウザ)に、いちいちアドレスを入力し直さないと読めない。これでは読むなと言っているようなものである。もちろん、画像にテキストなんて入れてないから、もし画像が表示されなければ、そこに何があるのか、全くわからないことになる。
 通常ホームページというのは、無料か有料で多少の違いはあるが、まず所定の場所を借りて、そこにffftpなどの、サーバーに接続するプログラムを用意し、データを自分のコンピュータから、たくさんの人々のホームページのデータを保持している、サーバーコンピュータにコピーする。つまり自分のコンピュータと、大きなコンピュータをつないで、データを送らなければならない。ホームページビルダーには、このデータのやりとりをする機能もあるので、初心者にやさしいが、サーバーコンピュータの中には、独特の設定が必要なことがあるので、それらでつまづきがちであろう。
 やはり一般的なサーバーコンピュータとのデータのやりとり法を、ちゃんと学んだほうがいいのではあるまいか。そのほうが結局、つまづいたときの助けも、多く得られそうな気がする。
 それと気になるのは、こういうホームページ初心者で、特に女性になぜか多いのであるが、自分の公開しようとしている全てのデータは、「世界配信しているのだ」という気構えがない人が多すぎる点である。
 世界とは大げさでないか?と思う人は、はっきり言って、ネットワーカー失格かもしれない。なぜなら、たとえ日本語のサイトでも、そのサイトに面白味があればあるほど、異国からのアクセスもありうる。日本人は、世界中どこにでも、今や住んでいるし、翻訳ソフトを使ってでも、見たいと思う外国人は、いくらもいるからだ。
 ということは、いつでも自分のページは、世界に向かって公開しているのであって、その全責任は、自分が負わねばならないし、いい加減なことはそうそう書けないはずだし、無責任なことはすべきでない…はずなのだ。
 特に「マンガ・アニメ同人」ジャンルの人(男女問わず)に多いと思うのだが、掲示板を設置しているのに、ちょっと批判的なことを書かれると、その人の発言を目の敵のように削除したり、見苦しい言葉で攻撃をはじめてしまう人がいる。
 それと、自分の絵なり、テキスト作品なりに、「どうしようもない下手ですが…」とか、「お見せできるレベルではありませんが…」とかのいいわけを書く人がいる。だったら載せるなと、言いたくもなろうかというものだと思うのだが…。
 人に見せるのに、大いばりである必要はないが、かといって、そんなに自信がないなら、発表しないほうがいいのでは?と思わせるものがある。「謙譲しているのだ」と言う人もあるが、こういうのは謙譲とは言わない。自慢したいくせに、変に下手に出て様子をうかがっているかのようである。見苦しいこと甚だしい。
 こういう人たちは、自分の「作品」に絶対の自信を持っているくせに、それを批判的な目で見られることを恐れる。批判に対して、立ち向かう自信は、ないのではないかと思える。また、世界に配信している責任を、まったく感じていないかのようである。こういう「私的情報の垂れ流し」は、ネットワーク全体の質を落とすし、何より見ていてつまらない。
 例えば上に書いた掲示板の例でも、掲示板というものはそもそも、意見交換の場であって、雑談ばかりでいいとも思えない。雑談だったら、チャットかメールで十分なのではないか?。

 私は、自分の制作しているページが、全て崇高なテーマに基づいて、メッセージ性があるとまでは、言い切る自信はない。だが、世界に宛てて配信しているのだから、どんな人が見るかもわからない。よって、それなりの責任は自覚しているつもりである。そうでないコンテンツなんて、配信する価値もないと信ずる。
 ホームページも、創作も、それを見た、読んだ全ての人を、感化することなど、出来はしない。理想としては、そうありたいところだが、そんなことは現実に不可能だ。しかし、気概として、そういう理想を掲げたり、そういう思いを持つことは、実は大事なことだと思う。
 友人の知人が作ったホームページは、今のところそんな理想が、見えることはない。それは残念であるが、ホームページとは、常に発展するものでもある。今後、この人がいろいろなことを学習して、それなりのメッセージ性のあるコンテンツが展開できることを望む。

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