2005年1月21日号

ほうき星を見よう

 
  ほうき星を見よう
 

 この1月になって、「マックホルツ彗星」という彗星が、見られるのだという。
 彗星というと、盛大に尾を引いて夜空に現れる、「天体ショー」のようなイメージがあるが、よほどでないと、そういうものではないらしい。
 有名なハレー彗星が、前回接近したとき、わざわざうちじゅうで、伊豆長岡まで見に行った。ところが、現地には、イチゴの電照温室がたくさんあって、その光で、南の地平線近くに見えるとされた彗星は、全く見えなかった。残念である。
 団地のベランダからも、観察を試みたが、今の建物と違って、低い4階建ての3階に住んでいたので、前の建物がじゃまになって、これまた見ることはできなかった。
 しかし当時、世間でもかなり話題になっていて、望遠鏡や双眼鏡が、やたら売れていたのを思い出す。新聞には詳細な図入りで、「観察のしかた」まで載るありさまであった。
 やがてハレー彗星は去り、町のディスカウントショップに、売れ残りの双眼鏡があふれたのは、予想されたこととは言え、ちょっと面白かった。
 当時生きていて、いっしょに伊豆まで行った父は、その時見られていれば、2回見られた世代であった。ハレー彗星の接近は、約76年に一度。残念ながら私は、次回の接近時には、さすがに生きていなさそうだ。
 ところが、彗星は何も、ハレー彗星だけではないのである。天文について、少々知っている人なら、そんなことは当たり前なのであろうが、私のように、詳しい分野が全く異なる人間にしてみれば、それはちょっと救われたような気分になるものである。
 そもそも彗星というものは、毎年のように発見され、そして接近しているもののようである。もちろん、手軽に見えるかどうかということは、また別な話になるのであるが、彗星に限らず、流星雨とか、月食、日食といった、天体の「普段と違う様子」まで含めれば、必ずなにがしかのショーが、毎年見られると言っていいだろう。
 彗星は、その後もいくつも名前が挙がったが、その中でも百武彗星と、ヘールボップ彗星は、都内の「光害」だらけのここでも、見ることができた。
 現在の建物は、不夜城のごとく共用廊下に、夜間薄赤いような照明が、一晩中灯っているので、星を見るには、かなり障害になる。そもそも、都内はいろいろなところに光があって、星を隠してしまう。
 しかし、そんなマンション形の建物であるうちでも、百武彗星は見ることができた。それは天頂近くというのだろうか、高い位置に出現したことと、比較的明るくて、素人でも見やすい星だったことが、幸いしたのだろう。毎晩のように、天気さえよければ、一眼レフのカメラをもって、団地の建物の前の駐車スペースまで行き、三脚にカメラを据え、首から下げた双眼鏡で位置を確かめてから、だいたいそのへんに向けて、シャッターを切ったものだ。かなり位置あわせはいい加減だったが、それでもちゃんとフィルムには、ぼぅっとした彗星の姿が映っていたのだから、ありがたいようなものである。
 ヘールボップ彗星の時は、もっと簡単であった。何しろ南の空の比較的高い位置に、毎夜あらわれるのだから。南側にあるベランダから、たやすく肉眼で見ることができた。もちろん撮影も。
 恥ずかしながら私は、子どものころから、根本的な勘違いをしていたのだが、彗星というのは、流れ星がゆっくり動くようなものかと、漠然と思っていた。なぜそう思うようになったのかは判然としない。もちろん、それはまるっきり間違いで、普通の星に、尾がついたようなものである。だから、見えるとされる間は、毎晩同じような位置に現れ、他の星と共に移動してゆく。考えて見れば、あたりまえのことなのだが、実際に見るまでは、それに思い至らなかった。

 さて、今度の「マックホルツ彗星」であるが、国立天文台のホームページに、観察報告のページが設けられている。また見方や、方位、必要なものなども、記載されているという「親切さ」である。インターネットの環境が整って、ずいぶん彗星観察も、変わったものだと思う。
 新聞と、国立天文台のホームページを参考にして、観察を試みた。ところが、これがなかなか難しい。前に見たヘールボップ彗星よりは、かなり高い位置なのだが、南よりやや西よりに見えるのと、より暗いので、なかなか見つからない。また目印になる他の星が、こんな明るいところでは、そもそも見つかりにくい。それでもまあなんとか、1月8日には写真撮影と、双眼鏡で見ることには成功した。彗星とは言うものの、ぼやっとした光の雲のような感じであって、普通にイメージする彗星には、かなり遠い感じだ。
 それにしても、都内とはいうものの、星々は案外よく見える。さすがに天の川が…というのは無理であるが、名も知らない星たちが、瞬いたり、強い光を放っていることに気付く。そういえば、こういうことでもないと、夜空を見上げるなどということは、しなくなっている自分にも気付く。もっと子どものころは、星を見ていたような気もする。

 人は、なぜ星を見るのだろうか。なぜ、夜空を見上げるのか。そして、天体の動きや、彗星に、ロマンを感じるのか。
 知的生命体が、宇宙に存在するか?、という問いに対して、生物学者は懐疑的で、天文学者は肯定的だそうである。しかし、冷静に考えて、知的生命体が、この広い宇宙の中に、地球だけということは、考えにくいのではあるまいか。知的生命体というと、すぐ円盤に乗って、地球に攻めてこなければいけないような感覚にとらわれるかもしれないが、もし地球にやってくるとしたら、こんな遅れた文明の星を、攻撃しようとは思わないのではないか。よって、知的生命体が実際に存在するとしたら、われわれがイメージするようなものとは、おそらく全く異なっているだろう。
 だがやっぱり、人類は地球外の知的生命体を探し当てたいと、常々思っている。それは、もし地球にしか、知的生命体がいないとしたら、それはとても寂しいことであって、それを認めることは、とてもできないからなのではないだろうか。
 だから人は、星に不思議を感じ、SFを愛し、知的生命体を探し、星空を見上げるのではあるまいか。人の寂しさ、命のはかなさゆえに…。
 彗星は、これから月末頃までずっと見えるそうである。しかし、毎晩見ようかと思っているものの、寒気が降りてきて、やたら寒い風が吹いたり、それでいて夜だけ曇っていたり、雪が降りそうになったり、なかなか地球の空は気まぐれである。一応写真は撮れたが、点状に写った星のなかに、薄ぼやけた光の雲のようなものが、ぼぅっと写っているだけである。もう少し望遠レンズと、しっかりした三脚があれば…とは思うのだが。
 でも、一生懸命写真に撮ることよりも、自分の目、それは双眼鏡を通すことになるが、自らの目でしっかり星々を見ることのほうが、何だか大事なような気もする。この東京の空の下で、今宵も双眼鏡を片手に、普段見ることの少ない星を観察する。それは、地球人類のひとりとして、地球外生命体との「交信」に参加しているような、そんな大きな気持ちにも、ちょっとなるものである。

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※背景の彗星は、ヘールボップ彗星です。